200000 | ナノ


※netaのこれの続き



へし折られそうになった腕を押さえて、なまえは恨みがましい目でエースを見た。「先生よえー!」ときゃっきゃきゃっきゃはしゃぐ彼が、はしゃぎすぎて羽目を外す度に拳骨で諫めてきたの他でもないなまえだ。今となってはもはやそれも遠い昔の話。なまえにとっては、夢の中の話である。

「本当に、弱くなっちまったもんだ」
「デスクワークしかしない社会科教師に腕力を求めないでくれ…」
「グラララ、おめェ、昔もそんなこと言って船一隻沈めてたじゃねェか」

朗らかに笑うニューゲートは、かつて自分と張り合った恋人が末っ子に腕相撲で負けたのが余程愉快なようだ。いや、呆れて笑うしかないのかもしれない。「幻滅したか」とふてくされるなまえに、「アホンダラァ」と返された声は優しく、答えはノーであることがわかる。ニューゲートは、強い弱いで人を好いたり嫌ったりしない。そんなことは知っていたから、なまえも笑った。思いきり捻られて痛む腕を擦りながら。

「先生!約束は約束な!勝ったんだから勉強教えてくれ!」
「はいはい、わかったから課題持っておいで」
「はーい!」

元気な返事と共にエースが部屋を去っていくと、なまえとニューゲートだけの空間は静かになる。いつかも、こんなことがよくあった。二人でゆっくりと飲んでいる時に息子や生徒、看護師のお嬢さんたちが入れ替わり立ち代わり訪ねてくるのだ。なまえにとっては夢の話で、夢にしては現実的ないつかの話。最期は後悔と悲しみに彩られて終わった。それがまた、こうやって同じ日常を繰り返せる幸せがどんなに貴重なものかを、なまえは身に染みて理解している。失ったものは取り戻せないのだ。60年近く生きてきて、失うばかりになってしまったなまえに『白髭』の名前はたくさんのものを与えてくれた。普通ならば手に入れることもない、夢のような夢の中から続いた現実の話だ。

怪物じみたなまえの強さが、ただの男に成り下がって落胆している子供たちがいることもわかっている。エースだって、あれでなかなか好戦的な男なものだから、最初はとてもわかりやすく落ち込んでいたのだ。いつか越えようと思っていた憧れの存在が輝きを無くしたのだ、仕方がないといえば仕方がないだろう。
しかし今は、昔と変わらず接してくれている。成績が悪くて課題を大量に出されたエースが、一番に頼るのはやはりなまえだ。社会科はおろか、国語や数学、英語までも。担当教科ではないのだから参考書片手に教えなければならないなまえとて大変ではあるのだが、「先生の世界史は面白いから好き」と言って自分の担当教科だけは好成績を残す生徒が可愛くないわけがない。喜んで一緒に頭を捻ってやろう。

腕相撲で勝ったらひとつおねだりを聞く。そう決めたのは誰にも負けることがなかった頃のこと。誰にも勝てなくなってしまった今も続いているのはなまえの甘やかしだ。サッチやハルタなんかはここぞとばかりに利用して、他愛もないおねだりを連発する毎日である。困るというよりは可愛らしく思えて仕方ない。騒がしくて暖かい日々が戻ってきたのだ。そしておそらくはもう、失うこともない日々。生きるのが楽しいなんて、いつ以来だろう。

「ルフィくんの前ではお兄ちゃんぶってるみたいだけど、まだまだエースも子供だなァ」
「弟の前では弱ェとこ見せらんねェんだろ」
「はは、うちのお兄ちゃん達に教わるのも気恥ずかしいみたいだしね」

さて、今日はいくつ教科があるのやら。国語や生物くらいならばまだしも、数学や化学は随分と関わりが薄くなってしまっているので参考書の力を借りても思い出すまでに時間が掛かる。せめてサボくんに聞けばいいのに、とは思うが。やはりそれもプライドが邪魔をしてしまうのだろう。思春期の男の子というのは、歯痒くて難しい。

「…おいなまえ」
「うん?」
「おめェ、そんなほいほい引き受けてたらキリがねェだろうが」
「そうかな、でもかわいいもんじゃないか。勉強教えてくれだなんて、教師としたら嬉しいくらいだ」
「………」
「…ニューゲート?」

なまえが日常の幸せを噛み締めているうちに、いつの間にかニューゲートの機嫌が悪くなっている。むすりと顔をしかめて、怖い目付き。どうした、と聞いても睨まれるばかりでは、決して察しがいいとは言えないなまえは理解ができない。

「ニューゲート、おれが何かしたか?」
「………」
「教えてくれないんじゃ、わからないだろう」

つんと逸らされた視線の先に回り込んで、無理矢理目を合わせる。口を引き結んだニューゲートは何も言わない。しかし手を伸ばしてなまえの手を握ると、そのまま引き寄せてなまえの手の甲を下敷きにぱたりと倒した。正に先程エースにもやられた、腕相撲で負けた状態の形だ。目を瞬かせてその意図を訪ねるなまえは、再度言うが決して察しがいい人間ではない。微かに赤く染まった目元の意味も、はっきりと伝えられなくてはわからないのだ。

「……ニューゲート?」
「…勝っただろう」
「うん?」
「たまにゃァおれの言うことも聞け、アホンダラァ」
「…うん?」
「あいつらばっか、構ってんじゃねェ」

手を取られたまま、ちゅ、と唇に押し付けられた唇に、ようやく意味を察したなまえは瞬く間に顔を赤く染めた。ニューゲートの比ではないその赤さに、機嫌をよくした独特の笑い声が響く。それと同時にエースの大きな足音が戻ってきて、なまえは慌ててニューゲートから体を離した。

「あれっ、なんかオヤジ機嫌いいなァ」
「…エース、早く課題終わらせるぞ。おれはちょっと用事が出来た」
「…先生、顔赤くねェ?」
「いいから早く!テキスト開く!」
「えっ!はいっ!」

グラララ、と笑うニューゲートに恨みがましい目を向けながら、なまえはまだ体温の残る唇を押さえた。
わざわざ腕相撲なんかしなくても、お前のおねだりなんかいくらでも聞いてやるんだと。口に出してしまうのは恥ずかしいから、今はまだ腕相撲のせいにしておこう。

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