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査察としてそっちに行くことになった、と電伝虫で連絡が来たのは先週のこと。元より海軍の支部は定期的に本部から査察がやってくることになっているが、問題が多いG-5ではそれが割と頻繁にある。3ヶ月に1回、問題行動の報告が多い時は1ヶ月に1回。とはいえ本部からの査察程度で怯むような連中ならば、最初からこんな悪評は立っていない。注意や指摘は聞かないし、聞いたとしてもそれはポーズだ。むしろ大人しく聞くふりでもしていればいい方で、正当な指導に難癖をつけて、逆ギレのように査察官へ喧嘩を売ることだって少なくはない。全く実にならないばかりか返り討ちさえ受ける査察に胃を痛めるものは多く、誰もが避けて通る仕事が、なんの因果かG-5とは正反対の気質を持つなまえへと回ってきたらしい。それを聞いたとき、スモーカーの頭をよぎったのは一抹の不安だ。
G-5に勤務となる際、会いに来るとなまえは言ったが、問題児ばかりの配属先に頭を悩ませるスモーカーは勿論、なまえのいる本部の方こそ大きな人事異動があってお互い休暇どころではなかった。電話はしていたもののなまえと顔を会わせるのは久々で、離れて暮らす恋人と会えて嬉しいのは当然感情としてあるのだが、それよりもなまえがG-5の問題児どもに傷付けられたりしないかという心配で、スモーカーはつい「断れねェのか」と言ってしまった。どうせ誰が来ようと無駄なのはスモーカーが一番良くわかっているのだから、何もなまえでなくても構わないはずだ。しかしそれきりなまえは電伝虫の向こうで黙り込んでしまったので、馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。なまえの表情を写す電伝虫も神妙な顔をしていた。
「お前も知ってる通り、こっちはひでェもんだぞ」と続けると、小さな声で、「スモーカーくんがいるから大丈夫」だとなまえは言う。昔から仕事のことでは頼られるどころか頼ることの方が多い恋人に頼りにされて、嬉しくないわけがない。じんわりと胸が温かくなるのを感じながらも、照れ臭くて「てめェの仕事だろ、てめェでなんとかしろ」と辛辣な激励になってしまう。また黙り込んでしまったなまえは、やはり不安なのだろう。
彼は優しい男だ。ほんの少し苛烈な部分もあるとは知ったが、スモーカーの中で彼は、未だに穏やかで清らかな存在である。隣人を愛し、優しくするのが当たり前で、争うよりも仲良くする方が簡単だと思っているなまえは、救いようのない悪にすら寛容であり、それでも海兵であるがゆえに救えない現実でいつだって心を痛めている。ただでさえ、元帥が代替わりしてからより苛烈になった海軍の傾向に神経を磨り減らしているのだから、これ以上の心労をかけさせたくないと思うのはスモーカーの愛情だ。「せいぜいナメられないようにしろ」を最後に通話を切ったスモーカーは、翌日から荒くれどもへの指導をほんの少しだけ厳しくした。

そして査察当日、今日のことだ。ヴェルゴとスモーカーが迎えたなまえは、最後にあった時より少しだけやつれたように見えた。忙しいのか、ストレスが多いのか、気にはなるが今はそんな個人的な話をしている時ではない。なまえと今日の査察の予定を話し合うヴェルゴの後ろで待機していると、視線が動いたなまえがスモーカーの姿を認め、一瞬嬉しそうに微笑んだ後、すぐにその表情が凍り付いた。何かに驚いたような仕草に首を傾げたスモーカーの肩に、横から突然手を回してきて「こいつがスモやんの同期かァ!?随分なよっちそうな奴じゃねェか!」と暴言を吐いたのはお調子者の部下の一人だ。スモーカーはすぐに頭を殴り付けたが    この時から、なまえのまとう空気が変わった。
「上官にそんな馴れ馴れしい口を聞くとは、何事ですか」。冷ややかな声、殺気すらこもる鋭い目付き。びりびりと肌に突き刺す張り詰めた雰囲気に、その場の温度が急激に下がったかのような感覚に陥る。ヴェルゴが眉を上げ、スモーカーに殴られた部下が小さく悲鳴を漏らし、査察で共についてきたなまえの部下でさえ、戸惑ったような顔でなまえを見た。スモーカーとて、なまえの変貌に驚きを隠せない。こんな顔は、一度だけ。G-5へ転属する前の一悶着があった際に、似たような表情を見たことがあった。そうか、あんな顔も、仕事上必要ならば出来るのか。スモーカーは感心しながらも、恋人の知らない一面に少しだけ背筋が寒くなった。

査察は、予想外なほどスムーズに済んだ。おちょくる気満々だった連中はなまえの底冷えした空気に声を無くし、反発出来たところで「幼児にも理解出来ることが、何故わからないのでしょう。赤ん坊からやり直しますか?」と暗に殺害を仄めかされて震え上がり、そして監督不行き届きだとヴェルゴを叱りつける姿に抗議をした連中も、部下が悪いから上司が怒られるのだと言われれば、ヴェルゴを親のように慕っている男たちは返す言葉もない。下の責任を上が取るのは当然だ。これ以上言うことが聞けないようならば左遷や解雇、処分さえ考えていると脅迫したなまえに、全員が黙り込んだ。今までにも似たような発言をした査察官は何人もいたが、態度が違うのはハッタリと思えないなまえの冷たい目付きと強い威圧感のせいだろう。逆らったら10倍で返されそうだと、渋々G-5の問題児たちは気持ち悪いくらい良い子の返事をして、その日の査察は終わった。

「…なまえさん、別人みたいでしたね…」
「ああ」
「ちょっと、なんていうか、怖いですね」
「……」

戸惑っているたしぎに気付いてはいるだろうが、普段のように優しい声を掛けることもなくなまえはその場を後にする。スモーカーはヴェルゴから宿泊する部屋を案内するよう言われていたため、その背中を追い掛けた。

    なまえ」
「………うん」
「上手くやったじゃねェか」
「……うん」
「おい」
「…うん」

スモーカーが話し掛けても振り向かず、気のない返事しか返さないなまえの腕を掴み、振り向かせた。大方自分の意にそぐわない厳しい態度をとらざるを得なくて落ち込んでいるのだろうと思ったが、ようやく顔を見せたなまえは、じっと恨みがましい目でスモーカーを見ている。「なんだ」と聞いても何も言わない。それどころか視線を逸らして「今日、船に泊まるから、部屋は案内しなくていいよ」とスモーカーを突き放す始末だ。いよいよ違和感を覚えてもう一度強く腕を掴み直すスモーカーの無言の訴えに、なまえはしばらく口を閉ざしていたが、耐えきれなかったのかとうとう観念して弱々しく本音を明かした。

「一緒に、ご飯でも食べれたらと思ってたけど…」
「…おれもそう思ってた」
「うれしい、…けど、今日はダメだ」
「…あ?」
「ひどいこと、してしまいそう」
「っ!」

するりと脇腹を這った掌に、思わずなまえから距離を取るが、ぎゅうと唇を食いしばって何かに耐えているようななまえの顔に気付いて、スモーカーは腹が立った。自分がなまえを知らないうちに傷付けてしまうことがあるのだと、スモーカーはもう知っている。だから我慢しないで言えと言った。何も隠すなと。なまえだって頷いたくせに、またこうやって口を閉ざしている。
殴り付けるように勢いよく胸ぐらを掴んだスモーカーは、なまえを強引に部屋へ連れ込んだ。それだけでスモーカーの言わんとすることを理解したらしいなまえは、なんの抵抗もなくベッドへと座り、息を切らして苛立ちを表すスモーカーを見上げる。それから一度溜め息を吐くと、ベッドの隣を叩きスモーカーにも座るように示した。その指示に従って腰を下ろせば、掌が伸びてくる先はスモーカーの頭だ。本部勤務の頃よりも髪が伸びてきたので、後ろに撫で付けた。垂れてくる横髪が邪魔で、短く刈り上げた。「髪型変えたんだね、かっこいいね」。なまえは場の空気に似合わないほど柔らかい声でそう言うと、短くなった部分を撫でる。さりさり、音を立てて触れる指先は優しくて、少しだけスモーカーは安心した。安心したのだが、頭を撫でられるという行為が5分、10分と続き、そしてなまえの目線がスモーカーの目ではなく右目、しかも眼球ではなくその周辺の傷を見ているのだと気付けば、いよいよ落ち着かなくなってきた。
くわえた葉巻を口の端で転がしながらやり過ごしていると、ようやくなまえが口を開いて「傷」と呟いた。

「この傷、どうしたの」
「…まぁ、ちょっとな。大したことじゃねェ」
「………いっぱい、聞きたいことがあるんだ。離れていた間のこと、たくさん」
「わざわざ話すほどのもんはねェよ」
「でも、聞きたい」
「…なら、今日はこっちで泊まるんだろ」
「……ひどいこと、しちゃうかもしれないよ」
「…………勝手にしろ」

仄かに赤く染まったスモーカーの頬に指先を滑らせて、なまえはようやく笑った。「ひどいこと、するね」。言ってることと、表情がまるで合ってない。それでもいつものなまえの顔に、スモーカーはようやく恋人に再会できた嬉しさを噛み締めるのだった。

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