200000 | ナノ


目と鼻の先に、顔がある。なまえの顔だ。近すぎてぼやけてしまう輪郭に、それでも相手はこれ以上退く気も押す気もないらしい。鼻先が触れてしまいそうな距離に、マルコは身動ぎも出来ずただ息を詰めた。

「なァ」

真っ直ぐに目を見て、なまえが話し掛けてくる。声は小さくて柔らかいのに、責められているような気がした。「おれのせいなの?」。なまえのせいだ、と言えば、確かにそうだ。この息が出来ないほどの緊張も、気分が悪くなるほどの懊悩も。なまえの曖昧な態度が原因だ。

まどろっこしいくらいの片想いを経て、マルコとなまえは恋仲となった。
キスをした。これは恋人になる前から。セックスもした。童貞かというほど初々しい行為になってしまったが、後悔はしていない。しかしキスもセックスも、ましてや家族達の隙をついたスキンシップでさえ、いつだって誘うのはマルコの方だ。まだ付き合っていなかった時の方が、なまえは遠慮なく触れてきていたような気がする。元々、スキンシップが好きな男だ。肩を抱いて額を合わせて、至近距離で笑いあうことだって珍しくない。それが、恋人という関係に収まってからは、どちらかといえば遠慮がちになってしまったように見える。下手に触ったら我慢出来なくなる、というのがなまえの言い分だが、そもそも我慢なんてしなければいい。マルコもなまえも、盛りは過ぎたとはいえまだまだ男だ。恋人がいればやりたいと思うのが健全だし、ましてやマルコとて我慢出来ないのは一緒だ。毎晩一人のベッドでなまえを想ってじりじりとしていることなど、当の本人は全く想像もしていないらしい。

キスをすれば嬉しそうにはにかむ。誘えばすぐにでも乗ってくる。終わった後には幸せそうに顔を緩めて笑う。嫌だとか気分じゃないとか、拒否をされたことは一度もない。
しかし、なまえから仕掛けられたことは、よほど良い雰囲気にならなければ皆無に近かった。拒まれないから良いだなんて、マルコは思ったことがない。好きなら欲しいと思うし、欲しいものは奪うのが海賊の流儀だろう。なまえもマルコと同じく海賊の気性を持っているはずなのに、ことマルコに関してはどこか一歩引いてしまうようだった。
性欲が薄いのかもしれない。マルコから誘うから、なまえもそれで満足してしまうのかもしれない。そう考えてここ一ヶ月ほど自主的に禁欲をしているのだが、なまえは多少触れはしても、一線から先に踏み込んでくることはなかった。お前それでも男かと怒鳴り付けてやりたいのだが、目論見がバレては誘っているも同然だ。ただじりじりとする毎日を酒で誤魔化そうとしたのだが、どうにも機嫌が悪い時に飲む酒というのは酔いが早い。気分も悪くなって、吐き気がして、それもこれもなまえのせいだと八つ当たりのように頭の中で何度かなまえの顔を殴った、その時。
突然マルコの部屋のドアを壊す勢いで入ってきたのは、悩みの種の、なまえだった。

「まるこぉ」

ふんにゃりとした声で、彼も酔っているというのはすぐにわかった。珍しいことだ。酒にあまり強くないからと、量を調整しながら飲むなまえは酔うことが極端に少ない。誰かに飲まされたのかと察したが、それはそれで腹が立つ。恋人が一人で悶々としている時に、何も考えず能天気に酔うまで飲んでいたのか。
「なんだよい」と返した言葉は、苛立ちと吐き気で冷たく硬い声になってしまった。するとなまえは後ろ手にドアを閉め、大股でマルコに近付いてくる。「まるこのよーすがおかしいって、さっちにそーだんしたら、おれのせーだっていわれた」。緩んで聞き取りづらい口調からは、幼児みたいな言葉しか出てこない。それにも苛立って、マルコはなまえから目を離した。
サッチに相談するくらいなら本人に直接言えと思う。    いや、「最近なんか変だな、どうした?」とは聞かれた。だが言えるわけもないだろう。だからこうして、らしくもなく鬱屈と酒を飲んでいるのだ。
口をつぐんでなまえを視界から外すマルコに、するとなまえは乱暴な手付きでマルコの頬を挟んだ。ぐい、と引っ張られて無理矢理目が合う。
    近い。
キスがしそうな距離だ。目を見開いて驚くマルコに、触れるぎりぎりのところで止まったなまえは改めて問い掛ける。「なァ、おれのせいなの?」。突然の接近に、緊張を押し殺せない。どっ、どっ、と重たい音で波立つ心臓に、マルコは唇を震わせたが声が出なかった。お前のせいだ、と言いたい。しかし口は動かない。緊張を宥めるように、なまえが舌を伸ばして唇を舐めてくるので尚更だ。べろりと遠慮もなく触れた舌の熱さに、引こうとしても頭が動かない。なまえが強い力で押さえているからだ。

「…う」
「マルコ」
「っなん、だよいっ」
「なァ、まるこ、どうした?」
「っるせ…」
「おれのせいなら、なんでもするから。そんなかおしないでくれ」

もたれかかっていたベッドに押し付けられて、何度も何度も唇を舐められる。なんでもするなら、さっさとその先をしろ。ぺろぺろと犬のように舐めるだけで埒の明かない舌に自分の舌を絡めて、ちゅう、と吸い付いた。するとなまえは目元だけで微笑んだ。大きく口を開いて、マルコの厚い唇にかじりつく。ちゅ、ぢゅう、べちゃ、ぢゅ。卑猥なリップ音と酒臭い息が、マルコの酔いをさらに加速させる。しかし気分の悪さは、反比例して薄れていった。ふわふわして、頭の重さが消えていく。いつもの受け身とはうってかわって積極的にマルコの服を脱がしていくなまえは、なんでもする、と言ったことを忘れたように欲情していた。「やりてェ」、と囁く声は熱く、カッとマルコの体にも火が点される。「えろいかお」。なまえがマルコの顔を見て笑い、そうして、たまらないというように額を鎖骨に擦り寄せてくる。

「…ああ、だめだ。ごめんマルコ、はなしはあとでな。セックスしよう」

したい。話なんか後でいい。しなくたっていい。自分勝手に求めてくるなまえに、マルコは思わず喉の奥で笑ってしまった。悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、こんなにも簡単なことだったのだ。酔わせてしまえば、こんなにもなまえは、マルコを求めていることがわかる。

「マルコ、すき、すきだ、かわいい、ああ、めちゃくちゃにしてェな。いいかな。こしぬけるくらい、おかしてやりてェな。いいよな。だいすきマルコ。あいしてるよ」

ぼそぼそと喋る独り言の内容に、耳まで犯されていく。マルコは気分のいい酔いの中、好き勝手される充足感に身を浸していった。終わりはきっと、なまえの酔いが覚めるまで。


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