200000 | ナノ


なまえの様子がおかしいと確信したのは、今日の仕事を終え、夕飯も済ませて、シャワーを浴び、さてそろそろ寝るかという時間になった頃だった。最初に違和感に気付いたのは、夕刻に訪ねてきたロビンが帰っていった後だ。
いつの間にかいつも以上に言葉少なになったなまえは、いつものようにクロコダイルが嫌み混じりの会話を持ち掛けても、反発や苛立ちもせず、適当にいなして最終的には話さなくなってしまった。怒っている様子ではない。怒っていれば、なまえはとても解りやすいはずだ。怒鳴って喚いて殴りかかってきて、怒っていると全身で訴えてくる。しかし今はそれがない。普段から怒りだけではなく嬉しいときも悲しいときも鬱陶しいくらいわかりやすいものだから、こんなにも不可解な様子は初めてだ。

シャワーから上がったクロコダイルの髪を柔らかいタオルで丁寧に拭い、シャツのボタンを止めて寝酒を一杯ナイトテーブルに置いていく。その動作全てに無駄口がないのは使用人として当然なのだが、普段のなまえとしたら明らかにおかしい。バナナワニの様子がどうたら、葉巻の値上がりがどうたら、カジノで買って景品がどうたら。クロコダイルの機嫌が余程悪い時は空気を読んで黙っているが、それ以外は聞いても聞かなくても良い話をしていくのがなまえの普段だ。どうでもいい話になまえもクロコダイルの相槌など期待していないのか、黙っていても右から左へ耳を通過していく低い声に、眠気を誘われてなまえが部屋を出た後に寝酒を一口含むだけで寝てしまう。それが今日は何やらじりじりとした空気にさらされて、ただただ苛立ちが募るだけだ。
仕事を済ませたなまえが、視線も合わせないままクロコダイルの部屋を出る。毎晩置き土産のように言い残していく「おやすみ」に一度も返事をしたことはなかったが、それすら今日はもう言いそうにない。いよいよ不快感でいっぱいになったクロコダイルが呼び止めた。

「おい」
「………」
「…おい」
「………」
「おい!」

呼び掛けても返事をしないなまえに、とうとうクロコダイルがキレた。ナイトテーブルのグラスをなまえの頭に投げつけ、叩き割る。ガシャン。肩まで酒浸しになったなまえは、しかしそれでも怒り出さなかった。無表情をふにゃりと崩すと、珍しく眉を下げて情けない顔をする。なんだ、と不審に思っているうち、なまえはクロコダイルがいるベッドの近くまで来てベッドサイドに腰掛けた。

「…わりィ」
「……態度のでけェ野郎だ」
「…うん、わりィ。頭冷えた」

濡れた頭を袖口で拭ったなまえは、ひとつ溜め息を吐いて間を置いた。「夕方、」と話し始めたのは、おそらく様子がおかしかった原因についてだろう。

「オールサンデーと話してたろ」
「…それがどうした」
「で、おれが途中で入ったら二人して急に話止めた」
「………それがどうした」

計画についての話をしていた。単なる使用人のなまえには欠片ほども知らせていない話だ。これから先も彼を計画に組み込むつもりはない。かといってなまえ自身が正体もわからない計画に首を突っ込みたいというわけでもないだろう。クロコダイルが裏でなにかしらを画策していることは、なまえとて薄々感付いているようだ。クロコダイルがアラバスタでヒーローと崇めたてられている様子を見る度、「お前が善人なわけがない」と笑っている。悪人であることをわかっていて、クロコダイルについているのだ。
だからこそ、今さら何だと思う。ロビンとクロコダイルが悪巧みをしているのも、人払いをして二人だけで話し合うことが多いのも、あからさまになまえを除け者にするのも、急に始まったことではない。意味がわからないと眉を顰めたクロコダイルに、なまえは困ったような顔を向けた。

「おれだってわかんねェけどよ」
「………」
「なんかこう…お前ら二人が親密にしてるの見たら…」
「………親密…?」
「もやっとしたというか」
「あの女とおれが、親密だと…?」
「むかっとしたというか、いらっとしたというか…それを考えてるうちにどんどん胸糞悪くなってきてだな…でも別にお前が悪ィわけでもねェし…」
「…おい?」

クロコダイルをそっちのけで、なまえは自分のわだかまりを発散するように口数を多くしていく。「多分、お前がオールサンデーと内緒話してたのが気に食わないんだ。内容なんて、どうでもいいんだけど」。自分でもよくわからない感情をもて余して、黙り込んでしまったとなまえは言う。今度はクロコダイルが黙り込む番だ。
    それは、つまりどういうことだ?
意味のわからない告白の子細を問い質そうと口を開きかけた途端、それを押し潰すようになまえがクロコダイルに問い掛けた。

「なァ、クロコダイル。おれはオールサンデーに妬いたんだろうか」
「…………………………………………………………………知るか」

たっぷりと沈黙を保った後に、ようやくひりだした声は突き放すというには随分とか細い。なまえはクロコダイルの顔を見て、もう一度困ったように笑って、それから酒で濡れた唇をクロコダイルの額に押し付けた。「おやすみ、クロコダイル」。そんなことを言われたって、今さら眠れるはずもないだろうに。
こんなにも顔が、熱くては。

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