200000 | ナノ


※netaのこれの続き。やや下品。



化け猫みたいにニンマリと笑う口を、エースはどこかで見たことがあった。しかしどこで見たのかまでは思い出せない。一度見たら忘れなさそうなくらい、ひどく鮮烈に頭に残る口元だった。馬鹿にしたような、嘲っているような、それでいて、純粋に楽しんでいるような。

    エース」

男に名前を呼ばれて、エースの背中にはぞくぞくと悪寒が走った。嫌な予感だ。だって、エースは彼に名前を教えたことがない。鉄パイプを握る手に汗を掻く。殺気も悪意もないのに、こんなにも身の危険を感じるのは初めてのことだった。

「お前、誰だよ」
「エース?」
「何だよ!」
「…ああ、そうか。お前が、エースか」

呼んだくせに、今更知ったようなことをいう。男の腕の中ですんすんと鼻を鳴らして泣いていたルフィが、顔を上げて「なまえ、エースのこと知ってんのか」と聞いた。先程まで悲鳴を上げていたくせに、今はその顔に恐れの色がないのに腹が立つ。

エースは、コルボ山の奥にまで届くルフィの叫び声を聞いて、一目散に駆けつけたのだ。ついさっきフーシャ村まで遣いに出掛けたはずの弟が、絹を裂くような悲鳴を上げていればそれはもう慌てるというものだろう。それがいざ辿り着いてみれば、ルフィはエースの見知らぬ男に抱えられ、甘ったれた幼子のようにしがみついている。その顔は確かに泣いていたが、無体を強いられたわけではなさそうだ。かと言って、友人との再会を喜んでいる様子でもない。さらに男からエースへ向けられる意味のわからない馴れ馴れしさは、エースを不可解に陥らせるに充分だった。

「エースが今よりもちっせェ頃に会ったことがあんだよ」
「おれは知らねェよテメェなんて!」
「そりゃあ、お前が甘ったれるしか能のねェ赤ん坊だったからだよ」

いちいち癇に障る物言いだ。鉄パイプを握り締めて全身で警戒を露にしながら、「ルフィを離せ」と低く唸った。「やァだね」。返答はやはり馬鹿にしたような物言いだ。
鉄パイプを振り回して、男の脚を狙う。しかし男はルフィを抱えたまま軽やかな身のこなしで地を蹴ると、エースの攻撃を避けるどころかあっという間に近くの木の上まで跳んでいってしまった。にやにやとエースを見下ろす目付きが気に食わない。腹が立つ。思わず八つ当たりのようにルフィへ叫んだ。

「おいルフィ!!なにそんなやつにしがみついてんだこの泣き虫!!」
「ウッ…!だって、なまえが、シャンクスの腕…っ!」
「おいルフィ、それはもういいって言ったろ?」
「だってよォ…っひっく、なまえ、すげェ怖がった…っ!」
「アーハイハイ、悪かった悪かった。飯でも食いに行くか?」
「行ぐ!!」
「おいルフィ!!」

弟を守ろうと駆けつけた兄をなおざりにして、随分と呑気なものだ。あの男には腹が立つが、ルフィにも腹が立つ。もう一度鉄パイプを握り直して飛び掛かろうと足に力を込めた途端、ルフィをあやしていた男の目がじろりとエースに向いた。にやにや。化け猫みたいに笑う顔。エースは確かにその顔を、見たことがある。物心つかない赤ん坊の頃の話ではない。うっすらと記憶には残っているのだが、その正体がわからずエースの苛々はさらに募った。

「…なんだよ」
「なにがだよ」
「お前が見てんだろ!」
「あァ…エース、お前も行くだろ?飯」
「行かねェよ!」
「なァにカリカリしてんだ」

木に登った時と同じくらい軽やかな動きで、男がエースの目の前に下りてくる。間髪入れずに振るった鉄パイプはルフィを抱えた腕とは反対の手であっさりと受け止められ、それどころか力強く引き寄せられて男の顔がエースの目の前にきた。「えーす」。わざとらしいくらいに柔らかい声で名前を囁かれて、エースの背筋には言い様のない感覚が走った。ぞくぞくする。一番初めに名前を呼ばれた時に感じた危険や恐怖の類いとは違う。今まで味わったことのない、腹の奥が熱くなるような感覚だった。「あ、」。思わず漏れた溜め息のような声に、なまえとルフィに呼ばれる男が目を細めて笑う。

「…エース」

耳元で喋るな、と言いたかったのに、結局声は出なかった。緩やかに弧を描いた唇から目が離せない。鉄パイプを離した手が、エースの頬に触れてきても振り払わなかった。

「…久し振りに会えたってェのに、んな怒ってんじゃねェよ」
「…んだよ、お、まえ、おれはお前、知らねェよ…」
「おれはなまえ。…そうだな、ルフィの友達、だな」
「シャンクスの友達じゃねェのか?」

腕の中で問い掛けたルフィには笑いかけるだけで答えず、なまえは土や獣の血で汚れたエースの頬を指で拭う。「エース、飯行くか?」。改めて優しく問い掛けられた言葉はどこか毒のようで、思考が麻痺したエースは頬を撫でられながら何も言えなくなってしまった。にや、となまえが笑う。その口元は先程となんら変わらないのに、エースには違って見えた。
    なんか、そう、なんというか、    エロい。
見てはいけないものを見てしまっている気分になったエースは、しかし己の矜持として目を逸らさなかった。きりきりと眦を決して、強く睨み付ける。

「おいおい、なァに意地になってんだ。そんな怒ってばっかじゃ疲れんだろ」
「…うっせ」
「欲求不満か?ボーヤ」
「うっせ!」
「教えてやろうか」
「何をだよ!」

「オナニーの仕方」

ねっとりとした声色で囁かれた内容は、意味がよくわからなかった。おなにーって、なんだ。きょとんと丸くなった目で見上げたなまえの顔は、上手く言い表せないけれどひどくやらしく見える。じわじわと赤く染まっていくエースの顔を「はっはっは!」と笑い飛ばしたなまえは、エースの一瞬の隙をついてルフィと同じように抱え上げてしまった。

「っおい!なんだよ、離せ!」
「はいはい、飯の後でな」
「なァなまえ、おなにーって何だ?」
「お前にゃまだ早いよ、ルフィ」

はっはっは、と快活に笑いながら、なまえはルフィとエースを村の方へと拐っていく。どんなにエースがなまえの腕の中で暴れても拘束は外れず、結局その日は一日中ゴア王国の中心街を連れ回された。うまい飯をたっぷりと食わせてもらって、新しい服も買ってもらって。エースやルフィをからかいはすれど、殺意も悪意も向けてこない男は、少し腹が立って変な気分にさせられるだけで実際はマキノのように面倒見のいい奴なのではないかとエースは少しだけ思った。「なまえは怖ェけど、味方だったら怖くねェやつだってシャンクスが言ってた」とルフィは言うが、なるほど確かに、どんなにエースが食って掛かってもなまえから危害は加えられなかった。

「味方か?」とエースはなまえに問いかける。
「味方だよ」となまえはニヤニヤしながら答えた。
到底信用出来る顔ではなかったが、少しくらいなら心を許してやる気にはなったくらい、彼からはエースが散々感じてきた悪意も敵意も感じなかったのだ。


    しかし、なまえが言った「オナニー」の意味を知ったエースが、顔から火が出るほど辱しめられて、なまえへ敵意を抱くのはそう遠い話ではない。

エースは後に言う。

「あいつ、ヘンタイだ」、と。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -