200000 | ナノ


※本編より昔の話


「なまえさんっ、好きですゥゥう!!!」

盛大な愛の告白と共に体ごと想い人に突っ込んでいったのは、スモーカーが名前もしらないような下っ端の海兵だ。下っ端といえど体格は恵まれていて、ラガーマンのようなあれに全力で突っ込まれては受け止めるのも一苦労だろう、とスモーカーは思った。まさにその予測通り、盛大な愛の告白と彼の体を不意討ちで受け止めざるを得なかったなまえは薙ぎ倒されて床に後頭部を打ち付けている。「ひゃっ」と恐々した悲鳴を上げたのはスモーカーの隣にいるたしぎだ。「なまえさん、頭、すごい音してましたけど…」。大丈夫でしょうか、と聞かれても解るわけがない。スモーカーは当人ではない。一歩間違えれば殺人現場にもなりかねない惨状を端から見ていた、ただの第三者だ。

青キジと青キジ直下の部隊を集めて開かれた飲み会は、知った顔もいれば知らない顔もいた。懇親会にも近いそれは青キジが進んで開催したわけでもなく、海軍に昔から根付いた風習のようなものらしい。セッティングから進行まで全てを担ったのは副官であるなまえだ。宴もたけなわで酔っ払いが続々と生産されていく中、彼だけは未だ素面のまませかせかと酌にオーダーにと忙しなく動き回っている。そんなことはそれこそ下っ端に任せればいいと思うのだが、彼に任せれば一番スムーズに一番盛り上がって一番上手くまとまるのだからやはり彼が動くのが一番妥当なのだ。実力主義の海軍では腕力と知略に優れたものばかりで、宴会の幹事に向いた人間など希少なのだから致し方ない。かくいうスモーカーとて、戦闘の指揮は取れようとも酔っ払い相手の統率など頼まれたって御免だ。暴力で解決しない自信がない。怒鳴り付けて場を白けさせない自信もない。だから飲み会の場ではいつもこうして、中心から離れた場所でひっそりと酒を楽しむようにしている。
しかしスモーカーがたしぎを始め他数名の部下や知人と仕事の話を肴に酒を飲んでいる時にも、羽目を外した酔っ払いたちは脱いだり歌ったり芸を披露したりと大盛り上がりだ。その中の一人が、アルコールの力を借りてとんだ暴挙に出た。そう、先程なまえを押し倒して愛を叫んだ男である。スモーカーは彼を知らないが、なまえは彼と知り合いのようだ。大方また余計に親切を振り撒いていたのだろう。結果があれだ。
逞しい腕でがっちりとホールドされたなまえは、頭を強かに打ち付けたせいか、体を思い切り圧迫されているせいか、明らかに目の焦点が合っていない。「ちょ、おち、おちちつ、こう、かっ」と宥める言葉は、お前が落ち着けと言いたくなるほどどもっている。勿論そんな制止で相手が落ち着くはずもなく、なまえの胸元に顔を埋めた男は「嫁にきてください!」と絶叫していた。阿呆か。

「えー、それならおれもなまえ嫁さんに欲しいわ」

軽いノリで挙手をしたのは近くにいたクザンだ。阿呆か。スモーカーは甚だ呆れてしまい、溜め息を吐きながら焼酎の入ったグラスを噛んだ。クザンだけではない、それならおれもおれもと複数の手が上がって、酔っ払い特有の勢いしかない空気は突如として盛り上がった。阿呆すぎる。スモーカーは自分の腹の奥がじわりと熱くなるのを感じた。

なまえは確かに料理が上手いし気遣いも出来る。失敗した時に入れてくれるフォローも迅速で然り気無い。感情的になったところなどスモーカーでさえ見たことがなく、いつだって聖母のごとく微笑んでいる姿は確かに伴侶としてうってつけだろう。周囲の屈強な軍人どものような攻撃性が男らしさと言うのであれば、どうしたって彼は女性的だ。

しかしなまえは男である。スモーカーは身をもって知っていた。
男として付いているものは付いているし、スモーカーの体に触れる時などは正に雄の様相である。
知らないだろう、とスモーカーはなまえをホールドする男を睨んだ。まだ彼はなまえにしがみついている。なまえは苦しそうに呻いているが、周囲のやんややんやと馬鹿げた囃し立てにより掻き消されてしまっていた。しかしなにか、相槌を打っているのは喧騒の中心から離れたスモーカーの位置でもわかる。しがみつかれた男に口説かれでもしているのだろうか。明らかにおふざけの周囲と違って、そこの空気だけは重たくなっていた。やがてなまえの相槌が止まる。あんなに力強くしがみついていた腕が弛み、男は顔を上げた。真剣な瞳になまえの顔が微かに強張る。周りはそれに気づかない。曲がりなりにもなまえを取り合っているくせに、当人はまるでほったらかしだ。当たり前といえば当たり前である。本気ではない。酔っ払いの戯れ言だ。よく見れば既婚者も混じっているではないか。
しかしあの、一番最初になまえに告白した男。あれだけはどうやら、本気であるようだった。キスでもしそうなほど顔が近い。いや、キスをするつもりなのだ。折り重なるように再びなまえへしがみつく男に、スモーカーは何を思うよりも早く立ち上がった。足を踏み出す一歩手前、耳に響いたのは甲高い絶叫だ。

「それなら私もっ!なまえさんお嫁に欲しいですーーっ!!!」

たしぎだった。


「……てめェも馬鹿言ってんじゃねェ!!」
「いたっ!!」

ジュースのような酒をちびちび舐めていただけかと思ったら、どうやらいつの間にかだいぶ酔っ払っていたらしいたしぎの頭をスモーカーは思い切り殴る。そしてそのまま喧騒の中にずかずか足を進めると、煙になって人だかりをすり抜け、埋もれているなまえを力任せに引っ張りだした。「ぐえっ」と潰れたような声を出したのは、腕の中からなまえを拐われ、脇腹に一発食らわされた男の悲鳴だ。「…暴力はいけないよ」。飲みの席なんだから、となまえは言う。スモーカーはそれにも腹が熱くなった。

「床に押し倒すのは暴力じゃねェのか」
「はは、女の子じゃあるまいし」
「…それならありゃあ何だ」

中心地から主役を引き抜いて尚も気付かず『なまえを嫁にもらうのはおれだ』『いやおれだ』と騒ぐ馬鹿を示して眉をしかめると、なまえは苦く笑った。「おふざけでしょう」。それはそうだ。わかっている。しかしスモーカーは、気に食わない。なまえを押し倒した男も、ふざけてそれに乗っかる周囲も、一番始めに乗ったくせに今は騒ぎを傍観しているクザンも、頭を殴ったらそのまま寝てしまったたしぎも、みんなみんな気に食わないのだ。

「…おれは、お嫁に行くなら、スモーカーくんのところがいいなァ」

スモーカーにしか聞こえない程度の小さな声で呟かれた言葉に、スモーカーは腹の熱さも一瞬で忘れて「フン」と鼻で笑った。

いちいち言葉に出さなくても、当たり前だ。そんなこと。


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