200000 | ナノ


※現パロ


電車の中。息をするのも慎重になる乗車率250%。鮨詰めになった車両のドアに体を押し付けられながら、おれは今、


ケツを揉まれている。


…何でこうなったと、頭を抱えたい。おれが女ならばまだ理解出来るのだが、残念なことに生まれてこの方、女であったことも女になりたいと思ったこともない根っからの野郎である。しかも人より頭ひとつは飛び抜けたガタイの良い大男だ。こんな男のケツを揉む変態なんかおれの恋人くらいのもんだと思っていたが、どうやら案外変態はどこにでも生息しているようだった。知りたくもない現実だ。
最初は単なる痴女という可能性もあったのだが、指の形が解るくらいにぎゅうぎゅうとケツを揉みしだかれたら嫌でも判断がつく。ごつくて力が強い。これは、男の手だ。

何が困るって、明らかな痴漢行為でも手の打ちようがないということだ。おれが女なら、せめて華奢で愛らしい美少年なら、この痴漢野郎なに人のケツ揉んでいやがると手首捻り上げて公衆の面前に晒し、社会的に抹殺してやるというのも可能だというのに、残念ながらおれのように可愛げも女性らしさもない大男がそれをやったところで相手は『お前みたいな男に痴漢するわけないだろう』とシラを切るだろうし、周囲は哀れみよりも好奇の目でおれを見るだろう。それを我慢して警察につきだしたところで、取り調べにもかなり時間を取られるという話だ。元はと言えばおれがこんなラッシュ時にわざわざ電車へ乗ったのも、昨晩急に件の恋人からデートのお誘いを受けたからである。
たまには遠出して、ホテルのレストランで食事でもするか、なんて、普段おれに優しさの欠片もくれない男の口から出たとは思えない台詞だった。一も二もなく頷いたおれは内心槍でも降るんじゃないかと思っていたのだが、まさか痴漢被害に遭うなんて夢にも思うまい。槍が降るより低い確率だ。
しかし彼と待ち合わせをした時間に間に合わせるには、今更この電車を逃すわけにはいかず、おれはひたすら痴漢の魔の手に耐えているのだった。遅刻したら奴は絶対連絡もせず即帰る。そういう男だ。
こんなことならば時間に余裕を持って出ればよかったとつくづく思う。これも日頃のだらけた生活態度のせいだと思えば、自業自得というものか。

周囲から押さえ付けられていて身動きが出来ない車内では、痴漢の手を避けることもへし折ることも出来ない。目の前のドアが開けば一度降りるついでにどさくさに紛れて腹パンのひとつも入れてやるのだが、おれを嘲笑うように先程からずっと開くドアは反対側だ。痴漢がそれを前以て知っていたのだとしたら、常習犯である可能性が高い。なおのこと天罰のひとつでも与えてやりたいものの、悪戯な手さえ捕まえられない現状だ。これは我慢しかないのかと溜め息を吐いた途端、それはひきつった喘ぎに変わった。

(いやいやいや、マジかよおいおい、この変態野郎…っ!!)

今にも口をついて飛び出しそうな罵声を、唇を噛んで耐える。ぞわぞわと下半身から背筋を通り嫌悪感が這いずってきたが、それが嫌悪感だけではないのが一層クザンを嫌悪させた。
不埒な指先はいよいよ尻肉だけではなく、その奥にある穴を服の上からなぞると、会陰を辿り睾丸の裏を撫でた。
う。声にならない呻きが喉の奥で消える。誰とも知れない男に性器を触られる気持ち悪さと、認めたくはないが、微かな、    本当に微かな、快感。吐き気がするほど嫌悪した。殺意さえ芽生えた。
周囲の迷惑を考えて大人しくしてやったものの、これは多少お灸を据えてやった方がいいのかも知れない。むしろこれ以上は我慢がならないのが本音だ。
とりあえずは伸びてきた腕を痛め付けてやろうかと身を捩るが、不埒者はそこまで予測していたようだった。クザンが動き出すより一瞬早くクザンの体をさらにドアに押し付けられると、腕が体とドアの間に挟まれて抜けなくなってしまった。思うまま力も出せず、先程よりも身動きが取れない。油断した。なまじっか腕力には自信があっただけに、抵抗しようと思えば抵抗出来ると思っていたのが間違いだったのだ。この変態はどうやら、随分と人の体の押さえ付け方を熟知しているらしい。真っ当にやりあってもクザンと同等か、あるいは上か。実力を持つ相手に先手を取られてしまった時点で、クザンの負けは決まっていたのだ。

「…っ…、ぐ…!」

ドア際に固定されたクザンの体を、痴漢の手が這い回る。先程の探るような動きとは打って変わって、脚の付け根、尻の穴、睾丸から陰茎を辿って亀頭へと、衣服の上から強弱をつけて愛撫される。強い嫌悪感を遥かに上回る快楽がクザンの頭を支配して、甘い声を出さないように唇を噛むので精一杯だった。服の上からだというのがもどかしい。頭がおかしくなりそうなくらい悔しい。まるで恋人に愛撫されるかのように身体の感じる部分を熟知されていて、クザンはあっという間に追い上げられてしまう。

(あ、やば、いく、いくっ…いく…!!)

小刻みに震えて、荒い息を耐えるクザンを、隣にいる関係のないサラリーマンが心配そうに見ている。具合が悪いとでも思っているのだろうが、もはやその視線にすら恥辱を感じてしまう。ただ今更喚いて威嚇しようにも、クザンとて変態に思われかねない状況だ。股間はいきりたち、今にも弾けそうになっている。ぎりぎりと唇を噛んでひたすらに耐えていると、救いは唐突にやってきた。

『…次はー新宿ー新宿ー、お出口はー左ー…』

独特の口調で放送されるのは、つまり次の駅でクザンの目の前のドアが開くという事実だ。あと少し、ほんの少しでこの辱しめから開放される。クザンの降りる駅とは違うが、もはや背に腹はかえられない。恋人にはメールなり電話なりで待っててもらうよう謝ればいいのだ。

『新宿ー…新宿ー…お忘れもののないように…』

    着いた。体を押し付けられていたドアが左右に開き、飛び出すようにクザンが電車を出る。開けた視界。新鮮な空気。解放された安心感。
    しかし、それだけでは済まさない。
クザンは電車を出る直前まで自分の体に這い回っていた手を掴むと、骨が軋むくらいに握り締めて引っ張った。警察に突き出すまでもない。個人的な制裁を加えて然るべきだ。さて、どこまで連れていけば人目がなくなるか。

   おいあんた、こんなことしておいて、ただで済む、………と…」

思ってんのか、と凄む声は尻窄みに消えて、足音荒く報復に向かっていた歩みも止まった。周囲は人の流れの中で邪魔になるクザンを迷惑そうに睨んでいくが、クザンは今それどころではない。驚きで燻っていた体の熱も消えた。
クザンが手を掴んでいた痴漢の正体は、

「……………なまえ?」

クザンの恋人、なまえだったのである。


「………えっ?」
「…えっ、じゃねーよ、何してんだお前。降りる駅違うだろ」
「…いや、いや、…えっ?」
「なんだ間抜けな面して」
「………なまえ、お前…痴漢した?」
「ああ?するわけねーだろンなもん」
「今おれの身体べたべた触ってなかった?」
「触ったけど。だってお前、偶然同じ車両に乗ってっからよ」

しれっと肯定したなまえの顔は、悪いことをしたとはまるで思っていないようだった。恋人なんだから触ったって痴漢にはならないだろう、と言わんばかりの表情だ。呆気に取られているクザンを見て、なまえは笑った。意地の悪い顔だ。嫌な予感がする。

「なに、クザンお前、触ってんのがおれだってわかんなかったわけ?」
「あんな鮨詰め状態でわかるわけねェだろ!」
「ふーん、随分と感じてたから、わかってたと思ってたんだけどな」

言外に『痴漢に触られても感じるんだな』と指摘されて、クザンの頬に赤みが差す。怒りと羞恥、両方だ。「あんたなァ」。低く唸るように責める声を出したクザンに、なまえは掌を上げるだけで制すと携帯を片手で操りどこかへ連絡を入れている。相手はどうやら、予約を入れていたホテルのレストランのようだ。

「…ええ、はい、19時から予約していた…そうです、はい、すいませんが一時間ほど……そうですか助かります。ではまた後程」
「…何してんだ」
「遅れるって連絡入れた。そんなんじゃ落ち着かねェだろ」
「っ!」

然り気無く膝で股間をつつかれ、先程落ち着いたはずの熱がまた燻り出す。目を吊り上げるクザンとは対照的に、なまえはにやにやと笑って耳元で囁いた。「一回抜いたら飯食って、ホテルで、な?」。そういうことじゃない。クザンが言いたいのはそういうことではないのだ。なまえはわかっているはずなのに無視してクザンを駅のトイレに引っ張って行くものだから、やはり彼が優しくするとろくなことにはならない。クザンはまざまざ思い知らされるのだった。


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