モモンガはその日、朝から落ち着かない気分で過ごしていた。
なにせこれから部下に別れ話を持ちかけるのだ。いや、付き合っているつもりなどないのだから別れ話というのはおかしい。頭を冷やせと、その感情は一時の迷妄なのだとなのだと言い聞かせて区切りをつけるだけだ。すぐには切り替えられなくとも、やがてこの時を思い返してあの頃は若かったと、上官に対して馬鹿げたことを言ったと笑い話にしてしまえば終わることだ。まだこの時点で引き返してしまえば人生の汚点というほどの酷い経験にはなりえない。告白をして、二度ばかり食事を共にしただけだ。一線を超えたわけでもないのだから、まだ間に合うとモモンガは思っていた。逆に言えば、終わらせるなら今しかないのだと。
指定した待ち合わせ場所へ先に到着していたロットは、前回の食事のときよりカジュアルな格好をしていたものの、襟付きのシャツにジャケットという彼の普段の言動から見れば随分と大人びた格好だった。見慣れない男のようにも思えて歩み寄る足を遅くしたモモンガに、表情ばかりはいつもの締まりなく緩んだ顔のロットがいそいそと駆け足で近づいてきた。「中将!」と呼ぶ声は嬉しそうだ。犬の姿だったら千切れんばかりに尻尾を振っているだろうことは想像しなくともわかる。仕事場で嬉しそうにまとわりついてくるのを、モモンガは実際に何度も目にしてきたのだから。
その当たり前の光景も今日で終わるのだろうか。余所余所しい態度を、あるいはあからさまに元気のなくなった姿を見なければならないのだとしたら、あまりにも個人的な理由で後ろめたくはあるが異動させるのも手だろう。
叱ることも多かったが懐かれれば可愛く思い、兵士としても見込みがあったために目をかけてきた。だというのにこんなことで切り離すことになるだなんて、誰が予想するだろうか。将来ある若者が、ある程度の地位を得ているといっても中年の上官を性的な対象として見るなどと。
「…中将?どうしました?体調悪いですか?」
無垢なまでに透き通って輝くロットの瞳が、モモンガの顔を覗き込んで伺ってくる。なんの懸念もない表情。真摯にモモンガを心配する声。
悪意ならばいくら向けられても跳ね除けてきたというのに、まだ未熟な若造のまっすぐな好意が、こんなにも心を締め付けるとは。