小説 | ナノ


▼ 30:ゆゆ島よぞらも名護くんも見ない月相*

 
 始まりがあれば、終わりもある。

 新作関連で先日までウハウハしていた俺は、先ほどの老舗ブランド活動終了のニュースでし折れた向日葵みたいな姿になっていた。
 
「ゆゆ島さん、おはようご……」
「……至冬くん……おはお」
「――っす」
「わーん至冬くーん……」
「……わっ」
 
 そしてやって来た後輩くんにそのまま挨拶をし、長身に倒れ掛かる様に抱き着いた。

 あったけえ……。
 人肌で悲しみを癒す俺に至冬は面食らった様に固まってしまったので、それを見かねた店長が至冬に訳を話すと、彼はその話題を耳にしていたのか「あぁ」と小さく溢した。
 
「始まりがあれば、終わりもある……んだけどぉ」

 鳥獣戯画のモチーフが目に染みる。
 
「はぁ……」
 
 ああ。また、溜息。

「……っす」
 
 ごめんね、色々端折ってごめんね。

「これぞ黒白(こくびゃく)の差ってやつか……」

 SFサイバーパンクアクションのシリーズに加え、電波ソングの金字塔になったカラフルシリーズ、お馴染みのタッグで展開されるシリーズなどなど……磨かれた作品と彩る主題歌が、色んな意味で時代を作ったブランドが――終息する。
 
「……、なるほど」
 
 最初は困惑していた至冬も、俺のくだらない与太話で次第に肌で理解したのか、コクリと頭が微かに動いた。
 
 あれもこれもどれもそれも、どこやかしこでお世話になった。また黄昏そうになった俺に、それぞれが反応を示す。

「また名曲揃いなんですよ……」
「リリース数が多い分、耳に残る曲も多いからな」
「はい……特に主題歌には思い出しかない」
「公園通り発なんですよね」
「はい……はい……俺も幸せのチケットが……欲しい」
「あーこりゃダメだなゆゆ島」
「やーん見捨てないでてんちょー」

 ただの迷惑な懐古厨に店長が呆れようにやれやれと苦笑した。

「――甘いだけじゃ前に進めないからね……はー。至冬くんありがと」

 いい加減離れよう。大人しくされるがままになってくれていた至冬に礼を言いながら体を起こすと、離れがたいと言わんばかりに彼の手がその跡を追うのが見えた。

 が、彼の手は届く前に大きい手が俺の肩を抱いて届かず終わった。
 
「…………」
「店長? ……っえ、わ、ひっぱんないでくださ、」
「――ゆゆ島、甘いだけで進めないのは、そもそもブランド違いだろうが。ほらサボッてないで仕事しろ仕事。……お前もだ至冬」
「…………っす」

 何かを取り落としたように、1つ間が空いた後、言葉少なに返事をした至冬は、くるりとレジ内のノートパソコンへと向きなおり、通販業務を始めた。

 店長は至冬の方へ意識を向けているのか、肩を抱いた手は動かない。

「てんちょ?」
 
 俺が呼びかけることでやっと反応したのか、手でぽんぽんと返事の代わりに頭を撫でる。エロゲの師と仰ぐ店長も何だかんだで悲しいみたいだ。

「店長もなんだかんだで寂しいんですね」
「――……、そうだな」

 元々アングラな世界。当時、参入しやすさから普及したのもあってか黎明期含めて曰くがついているものも多いのも知られている。六畳一間の開発現場。資金難の夜逃げ、未完成のマスターアップ。作品1つにしてもひたすらポリシーを貫くも良し、金儲けに走るも良し。大味な時代だったからこその良さがこのジャンルにはあった。

 何が良くて、何が本物かなんて決められないのだから。やはり黒白をつけることなんてできないのだ。

 それに、これからもゲームを求める人は生まれる。ざわめきは消える時に消えるし、悲しい気持ちだって時間で消えるがそれまで存在していることもまた、事実なのだ。
 
 騒いだところで時代の流れと逆行していく責任を自分が取れる訳がない。

「はあ……」
 
 含み笑いをした店長は、肩を竦めて、
 
「いいか、ゆゆ島。悲しいことも嬉しいことも全部ひっくるめてエロゲなんだ」

 なんかかっこいいことを言った。

「なあんか、人生って感じですね」
「それはどうかと思うぞ」
「――え。さっき店長も似たようなこと言ってたじゃないですか」

 追随したら即否定されてしまった。俺はショックを受け「え」だの「お」だの微妙な母音が零れ、恥ずかしさに襲われてただの残念なエロゲユーザーに成り果て――、

「……いらっしゃいませ」

 そうして、客の来店を知らせる自動ドアが開き、自然と俺達の雑談は終了した。
 

   ◇  ◇ 

 
「いやー半額が大漁大漁」

 閉店間際のスーパーの半額シールだーいすき。大型スーパーのセールは一人暮らしの味方だ。豊富な惣菜、弁当、パンにお刺身野菜まで。

 荷物になるのを予想して自転車できた甲斐があったってもんよと、俺はレシートの割引額を見て悦に浸りながら、直前の出来事を振り返った。

 バイトが終わる頃には落ち込みも忘れ、というか全部忘れて真っすぐ帰宅した俺。んで、腹が減ったと冷蔵庫を覗くと見事にすっからかんで。
 めんどい〜と寝てしまっても良かったんだけど――月の引力とか、あっちゃったりするんだろうか。わざわざ上着を羽織り、靴を履いてこうしていつもより遠出しようとチャリに乗ってきた。

 ファストフードも、24時間のスーパーも便利だが、こういうのも良いものだ。必要なものを買い込んでパンパンになった買い物袋を自転車のカゴへ乗せ、スタンドを後ろ足で蹴った。ガコンと金属音がして、人の少ない駐輪場を抜けた。

「まあこんだけ買っといてあれだけど、究極のうまさは、炊き立ての白米、納豆、卵に即席味噌汁だからね……」

 あのシンプルな美味さに適うものはない。

 えっちらおっちらペダルを漕ぐと、通り抜ける夜の風で鼻先だけ少しかじかむ。まだ白くならない息を吐き、運動不足気味の体に内心鍛えないとな……とやりもしないことを考えながら進む。
 
 信号をいくつか渡ると、俺の上から丸い月が追いかけてきていたのがわかった。ほぼ満月でまんまるだ。

 つい子供みたいな感想になってしまったが、それは橋の上り坂に差し掛かったからってことにしておいて欲しい。あーきっついぞコレ。

 気合を入れて腰を上げ立ち漕ぎをした。

「――あれ?」

 橋を降りてしばらく漕いでいたら少し先の方が騒がしいのに気づく。そこは、チラホラ居酒屋が立ち並ぶ一画で、漂う異様な雰囲気に喧嘩か何かだろうか、と俺は走るスピードを落とした。何処かねじの外れた賑やかさと男女の群れ。うわあ、酔いどれの騒ぎじゃん。
 俺は自己犠牲なんぞクソ喰らえの事勿れ主義、火の粉が降りかかる場所には近寄んないのが心情なんです。別の道から帰ろっかな、と一旦ペダルから足を下ろし、前輪を傾けた所で――聞き慣れた声が聞こえた。

「あーうん、――あぁ〜……」
 
 俺は首をひねり、思案と諦めを交互に天秤に乗せ――結果、斜め上を見上げる。声にもならない声を上げながら自転車を適当な所へ止め「はい、ごめんなさいねー」とガヤガヤと言い合う中を割って入った。


 ――ガッ!
 
「ンだとっ……!」
 
 相手は突如殴りかかろうと振りかぶる。そのままもう一方の顔へ到達しそうになった腕を――俺はバシン、と掴んだ。息を止めた分気合が入ってたのが幸いして、たたらを踏まずにいけた。
 
「――っ! …………っ、あの、さ……ぼーりょくは良くないと思いますよ」

 俺は喧嘩なんかしない平和主義者で。踏ん張れたものの当然力の逃し方など分からず、びいんと痺れた腕に顔を歪めながら仲裁に入った。

「ッアア!?――ッ!?」

 殴りかかろうとした男が怒声を上げるが、俺を見て一気に驚愕の表情へ変わる。喧嘩相手と――多分原因と思われる女の子もこちらを見てポカンとしていた。それどころか、遠巻きで見ていた周りも同じように呆然としていて。

 ……ん?
 
 俺は少し違和感のある光景に目が丸くなる。しどろもどろ――というか、なんだろう空気を読まずにギャグをかましたみたいな、気まずい状況になった。

「……ええと」
 
 しばらくその空気にのまれていたが、なんとも言えず。俺は痺れた腕で頬を掻きながら会話のひっかかりを探していると、幸い誰もしゃべらずずっと俺のターンの状態だったので、さっさとシリアスな状況を崩すため話を切り出した。

「この人、俺の連れなんですけど――何かありました?」

 出来るだけシュンと眉をハの字にし、申し訳なさそうな低姿勢で見上げると、男はハッとしたように意識を取り戻し、怒りで歯切れが悪い物言いから困惑へと表情を変えた。
 
 後ずさる男を横目に今度は女の子の方に大丈夫? と笑顔を向ける。あ、おっぱいでかいなと、よこしまな感想が頭をよぎるが、彼女は気づかず赤らめた顔で小さく頷いたので任務完了、と再び男の方へ向き直った。
 
 まあ聞かなくても痴情のもつれと見てとれる。とりあえず暴力をやめさせ、警察をちらつかせてみると案の定男女と周りの野次馬は慌てて去っていった。

 ――で。

「名護くんは大丈夫なわけ?」

 知らない人ならいざ知らず。店に腫れた顔で来られても腹の座りが悪いので非力ながら仲裁に入った俺だったが――痺れた腕を振りながら彼の方へ視線を向けると、珍しく、へたった顔の陽キャパリピはこちらを見て力なく笑っていた。

「ありがとー」
「……ほんとにね。もうマジやだパリピの行動なんでも暴力で解決しようとする」
「なー。いやいや若干飲み過ぎちゃったなー」
「――ゆゆ島よぞらは思っていました。この酔っぱらい、いつかやりおる――と。笑ってんじゃねえよこの酔っ払い……おっといけない。――名護くんケガはないかい」
「本音駄々洩れじゃんウケるー! 実はさー、ゆゆ島来る前に一発殴られてた」
「おぉいっ!」
 
 さっきまでの熱が引き二人きりの道端に月影が浮かぶ。

 俺は首元だけが熱さが残り、痺れのおさまった腕を上げ上着を仰いだ。
 そして、なにやってんのと言わんばかりの視線を送ると、名護月は「殴り返すと面倒だから殴られてた」と実にあっけらかんと語った。
 
「そんなもんなの?」
「俺がやると殴り殺しちゃうからさー」
「――え、ヤダなにそれ怖すぎる……名護くん何属性なの」
「あははは」

 ドン引きする答えが返ってきた上に爆笑する名護月に俺はさらに恐怖する。
 
「ひえ……そーいう強キャラ設定は……って、――まぁいいや。なに名護くん、彼女でも寝とったの?」

 よく言うNTRってやつですかい? と訊くと首を横に振られた。
 
「いんや、別にー俺はただ楽しく飲んでただーけ。強いて言うならハニトラみたいな? まあ仲間内のアレよアレ」
「よく分かんないけど大変だねどんまい」

 酒の力で何時もよりヒートアップしたのか名護月は簡単にそう締めくくる。なんか大変そうねと俺は心無い労わりとご愁傷様を重ねてやったら、ひどく可笑しそうに口元を歪めた。

「――でもゆゆ島見て目の色変えてたからあいつら今ごろ喧嘩してそう」

 両腕で腹を抱え、ウケると名護月は1人笑い出す。うわー、物騒なことを笑顔でいう人って超怖い。俺は名護くんに恐怖しながら後ずさり、仰いでずり落ちた上着を引っ掛け直した。
 
「んなまさか……」
「どーだかねー」

 名護月は首をすくめた。

 笑ったと思えば皮肉った表情になったり。妙に忙しい名護くんは、今度は俺をみて何か思い出したかのように「あ」声を上げた。
 
「どしたの名護くん」

 そろそろ自転車を回収しにいかねばと動きそうになった体が止まり直立する。
 
「ゆゆ島はこんなとこで何してーんの。夜出歩いちゃあ危ないでしょうが」
「…………あんねえ名護くん。――俺、大人。分かる? アンダースタン? 俺はスーパーで半額の惣菜漁ってたの」
「荷物ないじゃん」
「……荷物はチャリ。んでもってあそこ。そもそも、帰り道騒ぎになってるから別の道にしよーとしてるとこに名護くんが見えちゃったから、俺わざわざこっちに来たんだよ?」
「…………へぇ」
「まあ余計なお世話だったかもだけどね」
「――はは、そんなことないって。ありがとね、ゆゆ島」
「いーえー。――もう飲むなよ酔っぱらい」
「飲まない飲まない」
 
 ――飲むんだろうなぁ。酔っぱらいの飲んでないと飲まないは100%信用できないんだ。
 俺は口がへの字にひん曲がりながら道端に止めていた自転車へ向かう。少し心配していたが、カゴには無事買い物袋が残っていた。――うん中身もある。良かった。

「はは、いっぱい買ってら……っ、いてー」

 頬が熱を帯びてきたのか、引き攣った笑いで痛み左側を押さえる。
 
「あーあー全くもう……しょうがにゃいなあ。名護くんうち寄ってく? 湿布くらいならあるよ」
「マジ? じゃあコンビニ寄って――」
「酒飲むなら家には入れません」
「ちぇー」

 人工的な明かりに負けないくらい月が追いかけてくるのを背で感じる。拗ねた声が消えると2人並んで歩く足音が大きくなった。
 
「名護くんは皆既月食あるの知ってる?」
「しってんよー」

 やっぱり皆知ってるのか。俺の問いに名護月は高揚に頷き、逆に俺へ訊いてきた。

「ゆゆ島は惑星食が今年同時に見られるのは知ってた?」
「……知らない」
「だと思った。――さてここで1ミリも天体に興味のないゆゆ島くんにクエスチョン。この同時に見られるイベント。実に何年ぶりのことでしょうーか」
「え、」

 何それムッズ。ヒント貰っても分からない奴だ。
 
「…………えと、――111? とか?」
「ブー。日本人はゾロ目が好きですね、不正解です。正解は数百年以上ぶり! ――でした」
「……擦りもしやしない……」

 しかも名護くんの答えもざっくりしている。なんとも言えない謎かけのオチに名護月の楽しそうな声が響く。項垂れる俺は、周囲の暗さとこの男の明るさの対比が少しだけ眩しく感じて目の奥が熱くなったのをぎゅっと閉じた。浮かんだ色を見てから、俺が知ってるざっくりした知識を話す。

「赤くなるんだっけ」

 皆既月食中に月が赤くなる。
 
「そんな感じーてか、そうなんだ」
「おいおい、名護くん超適当」

 人の事さんざん言っておいて、そっちだってあまり興味がないじゃないか。
 腑抜けた返事と互いの雑な知識に力が抜けた。
 
 長めの横髪が夜風に切り取られ、耳が見えたのだけがこの場の新しい発見だった。
 
「名護くんは明日休みでしょ? 皆既月食みるの?」
「いんや、わっかんね。気が向いたらみるかもね」

 実に名護くんらしい。
 
「あ、こらっ――」

 信号の赤に引っかかったのに、止まらず行こうとした名護月を引っ掴む。小さい悪を積み重ねていく当たりが陽キャパリピだ……とか思ってないし、断じて僻みや偏見じゃないよ。

「あはは、ごめんごめん」
 
 謝りながら名護月が後ろ向きで一歩戻ってきた。

「……ま、気持ちはわからいでも無い」

 短い信号待ちに、俺は自転車へ寄っかかる。――ブン、と車が通り過ぎた。
 
「ゆゆ島は?」
「――ん?」
「皆既月食、見んの?」
「……あんねえ、明日は君が休みだから俺はシフト入ってるんです。……あれって時間決まってるんでしょ? 上がる頃には月食終わってるんじゃないかなあ」
「そっかー」

 割とどうでもいい同士、風情もクソもない。嫌味な口調の俺を名護月は一笑いするだけだった。

「じゃあさ」
「ん?」

 彼の問いかけに少しだけ首を傾げると、すっと目線が合う。名護月はやけに柔らかい空気を纏わせ目を細めると――、
 
「仕事終わってから見よっか」

 軽く誘ってきた。
 
「……月食終わってるよ?」
「まあその日中ならセーフっしょ」
「そゆもん?」
「そーいうもん」

 ――ゆゆ島と月見したくなっちゃった。

 名護月はおどけたように笑う。彼の代名詞みたいな軽薄さとは真逆の、真摯な顔。

 ふと見たその表情に気をとられていたら。

「……っ、わ――」
 
 彼が近づいてくる。

 ガコンッ。

 俺は気づくのが遅れて――驚き慌て、ペダルに足が絡み、脛を強く打ってしまった。

「〜〜〜〜っ!」

 悶絶して声も出ない。俺はハンドルを持ったまま前かがみで動けず情けない恰好を晒してしまう。
 可笑しそうに笑いころげ、ひいひい引き笑いする名護月を、俺は無言で殴り、脇腹へヒットさせてようやく笑いが止まった。

「っ…………ほんとこれだから酔っ払い嫌い」
「あれ、ゆゆ島……縮んだ?」
「誰のせいだと――」
「おーおー愛いのう」

 パッと信号が青に変わる。これ幸いと緑に染まった道を走り出す名護月。フェイントだズルイだとわめきながら追いかける、俺。

 足を引きずりながら酔っ払いを捕まえる光景は中々どうにも馬鹿っぽいが、見てる人はいないからセーフ……だと思いたい。こうして俺たちはボロアパートへと帰った。
 
   ◇  ◇

「あれ、誰か居んの?」

 何の動作も無くすぐドアを開ける俺に名護月は不思議そうに声をかけてきた。そういや何度も来ていた割にはこうして一緒に中へ入るのは初めてかもしれない。
 大概引きこもっている俺は、名護月の訪問を迎え入れるばかりだったなと、つけっぱなしの玄関の灯りに目を細めた。

「居ないよ、鍵してないだけ」
「……あっぶな。襲われたらどーすんのよ」
「そこは泥棒の心配じゃないんだ」
「だってこのオンボロ……ねえ?」
「名護くんもじーちゃんに謝んなさい」
 
 アパートに着くと名護月もオンボロディスし始めたもんだから定型の返しをしておく。

「あ、錆の浮いたとこに触んないの、そこボロボロ落ちるから」

 鍵なんて本当に遠くに行くときだけしとけばいーの。いやそういう問題じゃあないんだけどなあと苦笑いする名護月を放っておいて、俺はさっさと靴を脱いで荷物を台所に置いた。

 ガサ、と荷物が崩れて白いスーパーの袋が音を立てる。
 
 蛍光灯の微かにジーという音を聞きながら、俺は小さな一人暮らし用の冷蔵庫の前にしゃがんで、空っぽの空間に腐りそうなものから詰め始めた。

「電気ついてても暗っ」
 
 名護月も手伝うつもりなのか、半分にカットされたキャベツを手渡してくれた。受け取ると重さが手に伝わる。ポリ袋がシャリシャリと音を立てる。

「なんもないねえ冷蔵庫……ってか野菜とか買ってるけど料理すんだゆゆ島」
「やりたいときにやってる。キャベツはせーくんが……あー……」

 共通の知人も居ないのに他人の名前を出しても分からないかと言い淀むと、名護月は知ってると手をひらひらさせた。
 
「ゆゆ島の友達くんでしょ?」
「あ、うん」

 そうか、せーくんはバイト先にもやってくるから名護月も知っているのか。あの王子様みたいなと続ける彼に俺は軽い頷きを返した。そうそう、キラキラのね。

「……ゆゆ島は周りにいっぱいいるなー」
「……、っと?」
「――いんや。それよりゆゆ島、足は? さっきエグい音してたから、傷とか出来てんじゃねえの?」

 ああいう地味な傷は痛いのを知っているのか、名護月は俺を心配気に覗き込んでくる。程度としては掠り傷みたいなものなので大丈夫だと言い、立ち上がろうかと扉に手を掛けると、冷蔵庫の奥にある物を発見して手を伸ばした。
 暑がりの俺が常備してるソレを名護くんの目の前にかざす。
 
「――湿布。名護くんこそ、ほっぺちょい腫れて来てるよ。貼ったげる」
「なんも入ってないのに湿布だけある冷蔵庫怖っ」
「暑い時に冷えピタ代わりにしてんの――、って」

 貼ってあげると近づくと、何故か避けられた。

「名護くん……?」
「俺のは男の勲章って奴だからいーの……それよか、ほら、足」
「え? って、っ……わっ!」

 狭い台所で男2人がぎゅうぎゅうと。俺の手が避けられると、ぐっと片足を掴まれる。持ち上げられそうになったので縋るようにシンクに手をつくと、掴んだ金属の冷たさと掌の熱さが混ざっていくのが伝わった。

「もー、名護くん。危ないって……」

 べたりと、倒れないように体を支えた手は逆手のまま。しょうがないので名護月の手から抜けようと足を動かすが、びくともしなかった。

「っ痛いよ名護くん」

 軽く持ち上げられ、患部をまじまじと見られる。
 
「やっぱ引っ掛けて血ィ滲んでんじゃん」
「……誰のせいだと」
「俺のせい?」
「…………」

 ぐぬぬ。
 何も言えねえ俺に、跪いて見上げた名護くんは、なんともキザな仕草で俺にウインクをする始末だ。
 これだからコミュ力の高いイケメンは……。軽い冗談じみた行動に、俺もため息でウインクを吹き飛ばした。
 
「ほら、もういいでしょ。名護くん離して」

 気が済んで離してくれると思い足を退けようとするが。引き留めるように掴まれ――ぬる、と舌が足首を這い傷口を舐められてしまった。
 
「っ――!」

 熱い吐息と唾液が、刷り込まれるよう丁寧に行き来するのにびくりと縮こまるが、足は掴まれたままで。逃れるられない感触を耐える様に、俺は湿布ごと指を握り込んだ。
 
 今の俺からは名護月の頭と時折見える鼻頭しか見えない。足下ということもあり、なぞられているだけで何というか、擬似フェラみたいに思えてきて、急に空気がエロくなってしまった風に感じてしまった。

「……ちょ、と、……名護、くん――っ」
「ん――?」

 痛くてもどかしくて、ぬめぬめする。後ずさることも出来ず呼ぶと、傷口に口を付けたまま名護月は顔を上げた。動く時に当たる柔らかい唇の感触が生々しい。

「……も、いいでしょ……」
「……んー」

 目が細く眇められる。

「――随分大切にされてんなって」
「……?」

 名護月の言わんとするところが分からない。彼はまた傷口へと視線を落とした。
 
「ゆゆ島の友達くんってさ、付き合い長いの?」
「せーくん……?」
「そ、せーくんって人」
 
 晴朗がどうかしたのか。
 
「名護くん、せーくんと喋ったことあったっけ」
「ん? ちょびーっとね」
「ちょ、っ――」
 
 詳細は教えてくれないのか、はぐらかした彼は俺のジョガーパンツを捲り上げふくらはぎを撫でた。記憶をなぞるような動きに似ていて、無意識に背筋がゾクリとする。

「めちゃくちゃキラキラしてて2次元かと思った。マジやっばいね彼」
「――それは、しょうがないわ。せーくんだし。……っ、何、……名護くん気になる?」
「ちょびーっと」

 ニイ、と歯を見せて笑い、また同じように繰り返す彼。もう名護くんそればっかり、と辟易するが正直ぼかされる会話に深入りはしたくないとも思った。

「あっそ……ほら、名護くん。いい加減ほっぺ、出して」

 名護くんのペロペロにもそろそろ御免をしたい。
 握り込んでぬるくなった湿布の存在を思い出した俺は、わざと名護くんの腫れてる方を人差し指でツンツン攻撃をして早くと急かした。
 
「あと、足。離してほしいんだけど」
「………………」
「名護くん?」
「……そういうとこよー、ゆゆ島は」
 
 名護月は項垂れ、むず痒いと自分の頭をぐしゃぐしゃーっとした後両手を広げ、あー、と呻きながら俺の足が解放された。
 
「なあにいってんの名護くんってば」
 
 癇癪じみた動きに思わず苦笑する。
 脛が唾液で濡れて少々冷たいがしょうがない。やっと離してくれたと、屈みこみ名護月と同じ目線になる。すると、彼はたまらずといった風に抱き着いてきた。

「きゅーんって感じよう……」
「はいはい」

 名護くんの両頬を掴んで圧迫感から逃れると、湿布のフィルムを剥がす。裏の透明のプラスチックのぴらぴらが俺の溜息で揺れるのを見ながら、自分には分からない思考回路を持つ彼の頬へ貼りつけると、吸い付くように頬が白く覆われていった。

「つめてー」

 鼻がスーッとする湿布特有の匂いを纏う名護月は痛みにも構わず頬を揺らす。

「なあんでわざわざ厄介事に首をつっこむのか」
「広く浅くがたのしーのよ、これが」
「ふうん?」

 ある意味刹那的な生き方を彼は殊更楽しそうに語る。
 
「名護くんは軽くて飛んでっちゃいそうだ」
「ゆゆ島は重そうなのに軽いよー」
「――前に言ってたそういう雰囲気ってやつ?」
「まあそれに近いかな。フワフワしてるシャボン玉みたい」
「ふは、随分と可愛い例え」
 
 いい年した男にシャボン玉とか。酔っ払いの可愛い戯言に、そうかいと適当に相槌を打つと、分かってないなーと不満気に顔を歪ませた。
 
「ゆゆ島はなんかそういう雰囲気出してるから。オニーサンは心配なんです」

 名護月は俺の手を取り、すっと手の甲を撫でる。

「ゆゆ島の手、あったかいね」

 ――子供体温。平熱の高い俺は指先まで温かい。名護くんの指先は部屋の温度と同じで少し冷たい。

「俺、結構貧乏くじ引くタイプでさ。でもそれが嫌じゃないくらいには人が好きで。つい、首突っ込みたくなっちゃうワケよ」

 名護くんの軽い口調だと、嘘っぽく聞こえるから損してるけど。でも実際に彼との時間を共有すると、その言葉の意味をすんなり納得できる。

 だから結果として、彼の周りには人の輪が出来てるんだろう。

「――……」
 
 ある種妹ゲーが好きな名護くんらしくもあるが人好きとはなんと面妖な。言わずとも顔に出ていたのか、彼は俺を見て「うん」と歯を見せて笑った。

「いつもはさ、突っ込んで摘まむだけで満足なんだけど――ね」
 
 そう言って首を傾げた名護月は、俺の手をそっと冷蔵庫へ押し付け、腕と背で覆うように閉じ込めた。

「……。名護くん」

 ぶうん、と冷蔵庫からコンプレッサーの音が響く。
 
 ひんやりとした扉を背に、名護月の顔がゆっくり近づく。ジリ、と熱を持った瞳がこちらを向いているのが分かり瞼の裏が焼けたように熱い。そして、メンソールで鼻が通りが良くなった分、アルコールの甘い呼気が嫌という程伝わってきた。

「――ゆゆ島のお友達くんさ。前から存在は知ってたけど、最近店まで来るようになったから――ちょっと、ね。……それ以外も、」

 名護くんの匂いとこぼれ落ちる言葉。
 
「…………なんでだろうな」
「――うん」
 
 多分名護くんは彼自身でしか分からない答えを知っている。
 確認するだけの意味をなさない呟きに、俺は覆われた影を追うように伏目がちに俯き、うなじを揺らした。

「…………ゆゆ島、」
 
 つ、と持ち上げられるように掬われた顎。

 名護くんの黒い瞳。目が合うと――三日月みたいに細くなった。

「俺の瞳に映る月は君だよ――って言ったらときめく?」

 彼の言葉に俺は、甘ったるさのカケラもないゆるんだ悪態をつく。
 
「酔っ払いの緩急についてけなくて笑っちゃうよ」

 薄暗い台所で男2人が何やってんだか。勝手に喋って納得してる名護月に呆れて笑うと――彼の唇が弧を描いて。
 酒臭いとざっくり思っていた息に一際甘い、ラム酒のような薫りが混ざっているのが分かるくらいの距離になって。

 ――唇が乗っかった。
 
「一瞬だけでいいから俺を見て」
「……、……、――ン」
 
 ガラスに押し付けるみたいに、ちゅ、ちゅ、と触れていた唇が甘噛みされ、そして段々湿り水音が混じる。逃げようとすると彼の重みが加わり、背中にくっついた冷蔵庫の扉が俺の体温を吸っていく。
 
「……んゥ……な、……、ッ――」
 
 リップ音を鳴らせながらこめかみにキスをし、耳の穴に舌が侵入してきた。突然の異物感に顔を背けるとその勢いに任せて床へ押すようになだれ込み、名護月が覆いかぶさって腰を一撫でした。

「……ふは、ぁ、な、ごく……んっ……」

 俺の声と重なるようにずぶずぶと舌が耳を犯す音がする。ぐちゅぐちゅと、脳に直接響く卑猥な振動に鳥肌が立つ。首元で名護くんの頭が動いて……。

「ゆゆ島の耳は小さいね、俺の舌が入んないよ」
「っ――」

 ぐじゅ、とねじ込まれ無理やりされる。耳の違和感にびくつきながら、あれ、俺なんでキスされてるんだっけ……。

「ぁっ、ぁ、ま、待って……、名護くん……ってか、――ァ、」

 名護くんの髪を引っ張って顔を上げさせようとすると、彼の鼻が首で擦れて、きゅぅ、と締まった様な声が出た。

「かーわいい」
「……変なトコ、こするから……」

 ……俺がその仕草に弱いって知ってるのかな、この酔っ払いは。そうやって人の懐に入り込むのが上手いんだから名護くんって奴は。

「なーんでちゅーになっちゃうの……」
「そりゃあ、ゆゆ島、かわいいからね」
「……名護くんは、守備範囲が広すぎる……」

 しぼんでく俺の言葉に「意外とそうでもないかもよ」と名護くんは笑う。

「んー――、気持ち良いからもっと」

 その声に触れていた名護月の後頭部を撫で、頭と首の繋がったところを擽る。
 
「名護くん意外に体冷たいね、寒い?」

 触れた首元や俺の腰元を撫でる指は存外冷たい。
 
「温かくて、なんか楽しいことイメージするだけで手の温度って上がるんだって。名護くんもやってみ?」

 ――うん、やっぱ冷やっこい。夜だし、大して暖かい家でもないので俺は何処かでみた入れ知恵を教えてあげ、彼の冷えた指先を集めて俺の掌で包んで擦り合わせた。
 
「――――あー……」

 しばらく擦っていると、名護くんから困ったようなどうとも言えない変な声が聞こえてきた。何事かと彼の方を向くと、彼は気まずげな顔で視線を落とした。
 
「……間違えて勃っちゃった……」

 想像の方向性を間違えてめっちゃ気持ちい良いズッコンバッコンを思い浮かべてしまったらしい。

「…………」 
「あはは」

 話を振るんじゃなかった……って今後悔しても遅いけど。
 
「おっ……――バッカ」

 手を離して、俺は、馬鹿の部分にありったけの力を込めて言ってやった。

 このおふざけが過ぎる酔っぱらい、どうしてくれようか。
 
「なあなあ、ゆゆ島」
「……なんだい名護くん。……いやまってなんだかヤ〜な予感がする――」

 呼びかけに反応してしまったが、絶対にこの流れ……良くない。
 
「ムラムラってなったら、普通えっちするじゃん?」
「…………エロゲのセオリーではそうかもね」
「でもさー俺お酒入ってるじゃん?」
「……?」

 ごそごそと怪しく動き出す。
 
「勃ってても出るか分かんないから――」

 俺の腰に手を這わせると、ズボン越しに顔を寄せ。
 
「ゆゆ島の舐めていい?」

 はむ、と器用に俺の性器をズボンごと咥えた。

「っん! ちょ、なごくんっ――、ッ!」
「んー、ははっ」
「そこで……笑うなっ、て――何やってんの、もー……」
「いいからいいから、はーいご対面ー」
 
 ガバ、と下着ごとずり下ろされ、俺のふにゃふにゃチンコとご対面した名護くん。
 根元を指で支えヒタヒタ揺らしたかと思うと、竿の部分からカリ首まで舌を這わせ始めた。生暖かいヌメリを感じただけで少し硬くなった性器に笑みが浮かんだのか名護月の吐息がかかる。

「――くっ、――んゥ、……」
「ふっ……、」
 
 ジュ、と一度吸い、亀頭部分を軽くバキュームすると自分でもびっくりするくらい腰が跳ねる。

「……ッ! ……ッ、ァ」

 あまりに強い刺激に逃げかけるが、そのまま腰を押さえつけ彼の涎を垂らされる。股間へ顔を埋め、彼は唾液で滑らせるように喉元まで性器を咥えた。

「っ、っ、! ……ッ……!」

 徐々に動かされ、音を立てて唾液が絡まる感触に口元を手で押さえる。
 
 ダメ、ダメだ……これダメな奴じゃん。頭が警鐘を鳴らす。これ達きかけてギリ耐えるヤバい奴だ。
 予想できる快感に頭がもたげて、息を殺しながら前かがみになり自分の服の裾をグッと掴む――掴むんだけど、手が震えて上手く力が入らない。
 
「……な、っ、っ、なご、くんっ……名護く、んっ、ゃ」
 
 キツく食い込む指は離れず、上下に動き続けるからたまんない。疼きが止まらない腰を抑えられずビクビクしていると、それに合わせて名護月は頭を動かす。じゅぷじゅぷと名護月の唾液に混じって俺のカウパーも出始めてくると、彼の口角が上がった。
 
「ン、――ゆゆ島、腰が浮いてる」
「ふ、……ッう、うう、――」
 
 舌で舐め回されたと思ったら、陰嚢ごと咥内へ。にゅるり、と口の中の熱さで前後にへこへこと動きそうになったのを見て、完勃ちした性器へ手が添えられ、口が離された。
 
「……おいし」

 赤い舌で口周りを舐めとった名護月は、またいただきますと、指でも、舌でもない唇でやわやわと食む。尻の方まで垂れた体液を指に纏わせ、ニチャと竿部分を扱きながら、太ももの内側にきつい吸い跡をつける。

「ァッ、ぁ、ぁ! っ〜〜〜〜〜っ!」
 
 生理的な涙が出て息をひたすら荒げる俺をよそに、濡れた部分を舐めては面白がって歯を立てる。特に敏感な秘部に近い部分が舐め回され、唾液でテカる性器からは痙攣する度に透明な我慢汁がだらだらと滴り落ちる。
 彼の頭が動く度にもどかしい。――と、気を抜いた瞬間俺の勃ち上がった性器に添えられた指が皮と亀頭の段差を擦られ、シコシコと優しく扱きあげられる。
 
 強い快感が襲う。

「ぁや、だ、やだって、あ、……なご、くっ――、〜〜〜! ゥン、……ッ!」
 
 尻を抱えて顔を埋める名護月を離そうと手を持っていくが、腰がぐじゅぐじゅに溶けてしまって全然力が入らない。
 
 根元をきつく押さえ口を窄めてわざとイけないようにストロークで扱かれる。喉の奥に当たった時に亀頭が粘膜に擦れて藻掻くと余計それを繰り返されてしまった。
 
「ゥ〜〜〜ッ、――――ッ」
「っ――、フ、耳、くすぐって」
 
 懇願するように耳を引っ張って、顔が離れてやっと息が出来る。涙で滲んだまま目を瞑っていたので分からなかったが、名護月も自身の物を扱きながらフェラをしていたようだ。
 
「ゆゆ島の匂い嗅いでたら――ん、でそー」
「……っ、おれ、もっ、っ」
「ふふ、ゆゆ島は、まだ。だめ」
「――! や、ちょ――ッッ!」
 
 あんだけやっといて射精を我慢させられ、声にならない声が出そうになる。……そうだった……名護くんの触りっこは扱くだけじゃ終わらないから長いの忘れてた。

 「ちょっと見抜きさせて」

 嬌声を上げてバタつく脚を咎める様にギュウと性器を握られてッ……、と息が詰まる。

 足元でグチュグチュと音が聞こえ始め、俺の性器もびしょびしょに濡れたまま名護月の口で吸われ続ける。カリ首の部分を吸われ続け、イけない刺激に腹がビクビク跳ねる。

「う゛ー、う゛ー……っ」

 汁まみれで1分。気が遠くなるような射精感が留まった時間は長くて言葉が出ないし唸るばかりで。

「あ゛ー…………きっもちいい」
 
 そんな俺を余所に、彼もそろそろ出そうなのか上擦った声が聞こえる。摺り上げる音が段々と早まって体が振動で揺れる。

「あっ、ぁ、あ、……」

 全身が痙攣したようにずっと快感に跳ねて、名護月が、んぁ、と口を開けて舌を窄めたと思ったら、またチンコが口の中に収まって。

 グ、ポ……と粘膜が覆う。

 腰骨を掴まれ、喉を激しく動かされる。ごぼ、と淫靡な音が聞こえた後、

「――ぁ、ッ! ――んンッ! 〜〜〜〜〜っ!!!」

 射精を煽るように鈴口を穿られ、腹を押された俺は吐き気みたいな込み上げてくるものを吐き出した。
 
 ビュル、ビュルッ――精液が彼の口の中に出すのを止められずに呆然と狂った動悸の音を聞くだけだった。

「ハァ……ッハァ……」
「っ――!ん……っ」

 名護月は俺の出した白濁を含んだまま、自身の性器を強く扱き射精した。流石に全部飲み込むのは無理なのか、近くのティッシュに精液を吐き出した名護月は、べっとりとした額の汗を拭う。

「っ、はぁ……なごく、ん」
「……ん。――ッハア、はは」

 俺の汗も彼の指で拭われ、眉が優しく垂れ、嬉しそうに微笑み唇が一瞬だけ触れた。

「う、まっず…………」
「ごめん、どーしてもキスしたくて」

 自分の精液の青臭さに、口を歪め、なんとも言えない顔になる。疲れ果てて動けない俺は、だるい腕を上げ名護月にデコピンをお返しした。
 
 
    ◇  ◇  

 
「ゆゆ島、これ同じ服しか無いんだけど、え、マジ言ってんの? だっさ。今度服買ったげるわ」

 風呂から出た名護月が「さみーさみー」とダッシュで部屋へ入ってくるので、数少ない俺の服を貸してやったら――これだ。

「俺は気に入ったのを着るのが好きなんですーもう名護くんはパンイチでいろ」
「あははっごめんごめん〜」

 脱がそうとズボンを擦り下げても効いて無いのか、ゲラゲラと適当に謝るだけだ。ベランダに風呂があるのが新鮮で好きなのかいつも興奮した様子で語るので、俺もすぐに怒った気持ちはどっかいってしまうから悔しい。

「一種のアトラクションって感じだよなあ味わったわ」
「ぬはは、俺んちの風呂! おあがりよっ」
「おかわりしたいわ〜でもずっとは住めないよねこんなトコ。マジゆゆ島頭おかしいね」
「……もう名護くんは歩いて帰りなさい。ほれゴーホーム」
「やだプー。終電ねーし、ゆゆ島とここで雑魚寝する」

 思春期みたいな言葉の羅列。なんとも脱力しそうなやり取りに、俺はお弁当片手に名護月を睨みつけた。

 シコッたら、めちゃくちゃ腹が減った。いや、だってさ夜食べてなかったんだもん。そりゃ空くでしょう……。
 こうして、名護月が風呂に入っている間に、冷蔵庫に入れた弁当やら総菜やらを片っ端からチンして台所で立ったまま食べていたって訳だ。

 布団の上で座り込んだ名護月へ彼が居ない間に適当につまんでいたおかずを差し出す。

「名護くんも食べる?」
「ゆゆ島の家は酒飲めないからつまんない」

 そして酒が無いからつまみにならないと、気乗りしないからイイヤと彼は断った。
 
「飲み過ぎだよ名護くんはー」
「ゆゆ島はなんでそんなに嫌ってんの」

 甘酢の唐揚げをほっぺにしまった俺は片頬を膨らませたまま、彼の問いにたっぷり間を取った後、眉を跳ね上げる。
 
「…………むぐ。単純に話が噛み合わないのが嫌。素面で、酔っぱらいの、相手するのが嫌! ですね、はい。……酔わない人なら酒臭いの我慢するけど」
「じゃあ俺だったらいいじゃん、」
「――っは、どの口がいうう? おもっくそ絡み酒だろうが名護くんは」
 
 怒りのあまり半額の弁当が手から零れ落ちそうになってしまった。俺基準だと名護くんはスリーアウトチェンジだよお馬鹿っ。

 プリプリ怒る俺に飲み物〜と催促してきたので茶でも飲んでなさい! とペットボトルを名護月へ放り投げると、綺麗にキャッチした。

「あー、やっぱ見てたら食べたくなったな〜」
「……もー全くもー」

 呆然としている俺に向かって、彼はごめーんとこちらへやって来る。もーもー言ってはいるが、俺も人の見てたらそれが食べたくなるから気持ちはすごい分かるのでこれに関してはあまり文句は出なかった。

「ゆゆ島は割と何でも食べる方? ってかこの時間でもモリモリ食うね」
「美味しいって思える内に食べるのが良いのよ」
「そうなのよ?」
「そうなのよ〜」
 
 名護月のテンポの軽いやり取りに、プッと笑い声がどちらともなく吹き出る。

 丁寧な食事なんて出来っこないけど、ご飯がおいしいと感じる内に食べる、くらいは出来た方がマシだ。

 おいしくなくなったら、またおいしくなるまで時間がかかってしまうし出来なくなるまでの道筋は誰にも分からないからね、と俺は話した。

「デブっても責任は取れないから推奨はしないけど」
「お腹出た俺はいや?」
「ビール腹の名護くんは正直……どうでもいいですね」
「やだゆゆ島敬語で距離置かないで」
「ハイハイ」
 
 ウソ泣きする名護くんを一蹴して、彼が持っていたお茶を拝借した。



 

 
「名護くん寝る? ――ってもう寝っ転がってる」
「ゆゆ島もおいでー」
「はいはい」

 二人とも夜型だが賢者タイムはとうに過ぎ、シコった後だと特にエロゲをする空気にもならず。薄い布団にごろんと横になる。

 狭い布団なので名護くんに引き寄せられても二人とも布団からはみ出したまんまだ。その感覚に俺は懐かしさが込み上げた。

「こういうのさー、寮でよくやったな〜」
「あれゆゆ島、寮だったの?」
「うん」
 
 橋渡ったところの――、と説明すると名護月は合点が言ったようで「あるな、そういや」と頷く。
 
「俺女の子いないガッコ論外だったからなー、あそこ男子校だろ?」
「悲しきかな。――まあ、男同士さ、人肌恋しいもんだから一緒のベッドで押しくらまんじゅうみたいに引っ付いて寝てたのよこれが」

 平常時では考えられないだろうけど、寮生活だと嘘みたいなことも普通に起こる。性欲とか無くてもなんとなく引っ付いたり。あの時はまだ背もそんなに伸びてなかったからはみ出すことも少なかったけど、今の状況に既視感を感じて肩を揺らして俺は思い出し笑いをしてしまった。

「へー俺は女の子としかしたことねえや」
「…………そうやって、すーぐに陽キャは陰キャをいじめる」
「あっはは! ゆゆ島別に根暗じゃないでしょ」

 ケラケラと笑いながら名護くんが抱きしめてくる。長いしっかりした腕が、ふわっと巻きついて、貸してるスウェットが擦れて気持ちいいから俺も引っ付いて脚を絡めた。
 
 濡れた名護月の冷たい髪の毛が首に触れてこしょばい。

「――――ぁ、名護くん、ふは、……は、……ン……」
 
 あったかい。

「ん? ふふ、ゆゆ島……もーちょい……」
 
 暗がりで見えないけど名護くんのキスは柔らかいのだけは良く、分かる。

「ん、んッ、ぅ……」

 ただただ撫でる優しい愛撫に体の力が抜けて、――ちゅぷと咥内から舌が抜けた。いつの間にか名護月のサイドの髪がカーテンみたいに幕を作り、俺は名護くんの中に居た。
 
 溶けたみたいになって、手も布団に埋まったのを名護月は丁寧に掘り出して、手首をそっと握り込む。
 
「こっちからだとちょい月が見える」

 息をひそめた彼の声に布団に縫い付けられたまま見上げると、ベランダから少しだけ月が覗いていた。
 
「ほんとだ」

 それはまるで、進みかけたムーンフェイズみたいで。

「ねえ、ゆゆ島」 
「ん――?」
「明日、月を見よっか」

 忘れるまで在るだけだった。

 
 
    ◇  ◇ 


 
 ――翌日バイトが終わり、ビルの外に出ると。
 
「名護くん」
「うーっすゆゆ島、おつかれ」

 名護くんが片手をひらひらさせる。昨日の今日で変わりない彼はまたお酒を飲んでいたのか、顔が赤い。俺はジト目でトコトコと近づいて、酔っぱらいにチョップをお見舞いして――耳タコだったあの話を訊ねる。

「で、見たの? 皆既月食」
「あ、忘れてた」

 トースターのコンセントが抜けてたのには気付いたのに、とバッドエンドを絡めてくる返答が実に名護くんらしかった。

 
 
 道端に並んだ自販機の前。
 俺が嬉しげに硬貨を投入していると、名護月のあれ? と眉が上がった顔が照らされた。

「その自販機うごかねーよ?」
「ちょおおおい! 名護くんん早く言ってよ!」

 俺は壊れてるにもかかわらず放置されている自販機の前で雄叫びを上げた。
 
 とっくに皆既月食は終わってるのに、わざわざというか暇人というか。一緒に月を見ようってそこだけは覚えてて健気に待ってた名護くんに、しょうがないから酒の代わりにあったか〜い飲み物を奢ってあげることにしたのに。

 本当はコンビニでも良かったんだけど。でもあの人絶対違うものを買うから、てか酒しか買わないって見なくても分かる。
 そう判断してわざわざ近くの自販機に寄って硬貨を食わせたのに――これだ。
 
 名護月は爆笑しながら隣の自販機にお金を入れていく。あと10円のところですかさず俺は茶色い硬貨をねじ込んだ。
 
「名護くんのアホ、ボケ、陽キャ。もーうこんだけしか出してやんねえ」

 ひたすら悪口を吐きながら、いつだかに拾った10円玉をくれてやった。
 今度は赤いランプがちゃんと光って、どうよと自慢げな顔を名護月へ向けると。

「かーわいいの」
「…………名護くんは時々目のピントあってな…………――ねえ、」

 鼻先に唇が当たった。

 あーもーやだやだ場馴れしたこの空気。手練れた男のやり口に、俺は出来る限りの力で眉間に皺を寄せて、缶コーヒーのボタンを押した。
 

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