小説 | ナノ



▼君子危うきに

 「スイカ、怪我ない?」
 「スイカは大丈夫なんだよ!でも名前が…!」
 「大丈夫大丈夫。ちょっと捻っただけだし」
 切り立った斜面の上と下でお互い声を張って会話するのは中々に体力を使う。
 急に飛び出してきたウリ坊からスイカを庇うように身を乗り出したせいで足を滑らせ、気がついたら崖の下という、なんとも笑えない事態になってしまった。
 よく考えたら、あれくらいスイカは簡単に避けられたのかもしれない。
 「スイカが助けを呼んでくるんだよ!」
 そう叫びながら、声を返す間も無く勢いよく転がっているスイカを見送り1人ぽつんと地面に腰を下ろした。
 捻った左足首は少しだけ腫れてきており、じわじと痛みが侵食してくる。
 「折れてはないけど、捻挫くらいはしちゃったかな」
 誰もいない森の中でぽつりと落とした声は、ざわめく木の葉にかき消された。
 飛び出してきたウリ坊もどこかへ行ってしまったし、じっとしてるだけではなんだか落ち着かない。私はぐるりと周りを見渡して、せめて自力でなんとか出来るところを探そうとしてみた。
 まずは崖の上へと登る方法だが、自分が居る地点から上までざっくり5メートルはありそうだ。草木は比較的自生しているも、蔓のような長いものは周囲に見当たらない。
 斜面は硬い土で突起は無く、素手でのクライミングも不可能だろう。第一私にそんな運動能力あったら、そもそも足を捻るなんて事しないし。
 次、このまま移動する、のは道なき道を進むリスクが高すぎるので客観だ。
 どうやら待つしか私に残された選択肢は無いらしい。
 「せめて足の固定くらいはやっておこう」
 服を縛っていた布を解き、くるくると足に巻いていく。ちゃんとしたやり方は忘れてしまったが、ひとまず固定さえ出来ていれば良いだろう。
 固定を終えたところで、遠くからでもわかる大きな声が聞こえた。
 「名前ー!!!!」
 絶対大樹だわこれ。どんどんはっきり聞こえてくる声と足音に、肩の力が緩む。
 「どこだー!」
 「隣で叫ぶなデカブツ!」
 上を見上げると、うるせえ、と文句を言う千空の逆立った髪の毛が草木の影から見えた。
 「千空!大樹!」
 私が声を上げた瞬間、がさりと顔を覗かせる千空が呆れ返ったように口を開くが、大樹の方が早かった。
 「名前ー!無事で良かったぞー!今助けるからな!」
 「だからうるせえって言ってんだろ」
 大樹から避難するように千空が後ろに下がったのか姿を消し、同時にがさがさと何か作業する音が聞こえた。
 その後はまさに一瞬と言っていい。
ロープが落ちてきたと思ったら大樹が降りてきて、私を背負ったままロープを登った。
 幸い登る前に長い布でお互いを固定してくれたから落ちはしなかったが、大分恐怖体験だった。もう2度と崖から落ちないようにしたい。
 「足見せてみろ」
 すぐさま確認しに来る千空に足を差し出すと、眉間に深い皺が刻まれる。
 「なんつー固定の仕方してんだ。雑すぎんだろ」
 そう言いながら、私の結んだ物をするすると解き綺麗に留め直してくれる。
 「ありがと」
 「ま、大した怪我じゃなくて良かったな」
 「そうだな!心配したぞ!」
 大樹に身体を預けたまま3人で進む道のりは、何だか昔を思い出してしまう。

 「名前!大丈夫だったんだよ!?」
 大樹から降りて少し歩いていると、半泣きのスイカが駆け寄ってきた。
 「うん。千空たち呼んできてくれてありがとね」
 笑いながらスイカの被り物を撫でると、照れたように口元を緩めるからとても可愛い。
 「あんなに焦った千空初めて見たからびっくりしたんだよ」
 「え?」
 会った時は全く1ミリ足りとも心配の気配は無かったが、どういうことだろう。
 ちらりと彼の方を向くと、なんて事なさそうに耳に指を入れている。
 「あー、心配した心配した。心臓止まるかと思ったわ」
 「いや説得力」
 そんな平坦な声で言われても微塵も信じられない。
 「名前が出歩いてまた怪我でもしたら大変だからな。明日からテメーはラボで仕事だ」
 にやり、と悪どい顔をしながらの宣告に、それはただ人手がほしいだけでしょ、と力なく反論した。



 目の前で困ったように眉を下げながら笑う名前を見て、千空はやっと胸を撫で下ろす。
 こいつは自分の事をまるで分かっていない。
 スイカから話を聞いた時に周りの人間がどれほど心配したかなんて、想像すらしていないんだろう。
 この医学の医の字も無いような世界では少しの怪我すら命取りになる場合だってある。いくら科学知識を駆使したって自分が処置できる範囲に限界がある事を、千空は理解しているつもりだ。
 だから、本音を言えば名前には出歩いて欲しくない。
 危害を加えられない場所で危険の無い作業をずっとしていてくれ、なんて自分が考えてると知ったら名前はどんな反応をするだろうか。
 予想するまでもなく、今以上に困惑した表情が千空の頭に浮かぶ。
 だからせめて、自分の目が届く範囲にその身を置いてもらおう。
 守らせてくれなんて柄じゃないから口には出さないけれど。

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