小説 | ナノ



▼朝告鳥は鳴いてない(司)

 いつも通り出勤して、いつも通り患者さんの対応をして、いつも通り院内を歩いていたはずなのに。
 「やあ、おはよう。名前先生」
 「おは、よう?」
 いや何ここどこ?

 急に身体が動かなくなって、次の瞬間意識が飛んだ。とうとう疲労が祟って倒れたかと思いながら目を覚ました途端、視界には司くんと広がる原生風景。
本気で自分の精神を疑った。
 確かに激務だったけれど、こんな幻覚を見るほど疲れていたのだろうか。なんて悩んだ矢先に聞かされたのはもっと衝撃な発言だった。
 なんと、私が眠って3700年が経っているらしい。
 そんな寝坊あってたまるか。と言いたいのは山々だったけれど、司くんがそんな嘘を私に吐く理由が無いし、なによりこの周りの風景が全てを物語っていた。
 どうやら、医学を齧った人物を探していたらしく、私を覚えていた司くんに蘇らせてもらったのだそう。何度聞いても現実感の無い話だ。
 しかし、彼がこんな規模で私を騙す意味など無いし、無理矢理脳に理解させることにする。
 「でも、薬も何もないこの世界で私役に立てるかな…」
 「名前先生の出来ることをやってもらえればいいんだ。頼めるかな」
 そんな風に頼られてしまってはやらない訳にはいかない。大きく頷いて任せてよ、なんて言って笑った。

 「え!?千空くんってサルファ剤作れるの!?」
 「あんなん作り方知ってりゃ誰でも出来んぞ」
 司帝国が科学王国に敗れてしばらく、致命傷を負った司くんの奇跡的な復活も成し遂げ、今は次の航海への準備中だ。
 私は医者という名目で船に同乗させてもらっていたが、あまりに目まぐるしく過ぎた出来事に一息つく間もない。
 そんな中、ふと小耳に挟んだ情報を元にかの人へ詰め寄ればあっさりと言葉を返された。
 「知ってればって…材料集めも作業もこの世界で一からやるのは誰でも出来る事じゃないよ!」
 素晴らしい、この感動をどう伝えようかと千空くんの両手を掴んで訴えかければ、驚いたような視線と、次の瞬間身体ごと後ろに引き倒されそうな衝撃に見舞われた。
 地面に倒れることは無かったけど、何かめちゃくちゃ硬い物体に背中がぶつかり呻き声が上がってしまう。
 「うぐっ」
 「………あ゙ー、俺は関係ねえからな」
 めんどくせえ、と呟きながらさっさと居なくなる千空くんに何か言う暇もなく、仕方ないので背中の何かを確かめるために首を捻った。
 「あれ、司くん」
 「うん…すまない」
 本人も驚いたような顔をしている。
 「いや、大丈夫だよ。未来ちゃんに何かあった?」
 司くんが声もかけず私を引き寄せるなんて、きっと未来ちゃんか誰かに何かあったに違いない。
 急いで確認するも、珍しく歯切れが悪そうに視線を斜めに落としながら、形の良い口を開いた。
 「いや、未来は…大丈夫だよ」
 「そっか、じゃあ誰かな?スイカちゃん?杠ちゃん?コハクちゃん、は大丈夫そうだよね。えっと、あ!羽京くんとか」
 次々と人の名前を言っても、司くんの顔は浮かないままだ。あれ、もしかして。
 「具合悪いの司くん!?早く言ってよ!」
 人に弱いところを見せたがらない彼は、自分の体調不良も隠そうとしたのだろう。
 私はぐいぐいと司くんの手を引き、用意してもらった手当て部屋へ急いだ。
 私のたかが知れてる力なんか彼は軽く振り解けるはずなのに、成すがままになっているところを見ると、事態は深刻かもしれない。
 まずは座ってもらって問診を、なんて考えながら部屋に通すと、やっと司くんの腕に少し力が入った。
 「名前先生が今も昔も患者に全力で向き合っているところ、尊敬しているんだ」
 「え、ありがとう?」
 「でも、なんだか、うん…さっきのは、少し」
 突然褒められて思考が全部止まってしまう。
 司くんの話を止めないようにじっと見つめてみるも、彼は口を動かさなくなってしまった。
 やっぱり体調が悪いのかもしれない。
 他に何処か異変はないかと、司くんの端々まで視線を滑らせるが、特に変わったところは見受けられない。
 「疲れてるのかな。ちょっと休んだ方がいいかも」
 もう1度視線を合わせて声をかけると、急に瞳に光が灯ったように見えた。
 「ああ、なるほど。わかった」
 「そうだよね、休息は大事だから」
 ぽつりと独り言のように呟かれた言葉に同意すると、彼は形の整った眉を少しだけ下げる。
 「俺は、また1つ弱くなったみたいだ」
 困ったね、なんて全然困ってなさそうに言うものだから、私は首を傾げるしかなかった。

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