小説 | ナノ



▼牡丹□

 カラコロと下駄を鳴らしてアスファルトの上を歩く。
 1週間前に花火を見に行かないかと鯉登に言われ、2つ返事で了承した名前は急いで浴衣の準備をした。
 付き合ってから初めての夏、せっかくだから出来るだけ綺麗にして会いたい。友人にも手伝ってもらってなんとか着付けした浴衣は、紺地に牡丹があしらわれた落ち着いたデザインの物を選んだ。
 友人に笑顔で送り出されて名前は待ち合わせ場所へ急ぐ。
 約束の10分前に着くように行ったが、すでに鯉登は待ち合わせ場所に立っていて、何人かの女性に囲まれていた。
 様子を伺うように、名前の歩みが遅くなる。
 女性達の高い声が何か言っているようだが、詳しく聞き取れない。もう少し近付いてみようとそのまま足を進めていると、
 「悪いが恋人と待ち合わせをしている」
 はっきりと言い切る彼の声が聞こえた。
 恋人、そうか恋人か。湧き上がるこの感情を何と表現したら良いのだろう。
 先ほどとは打って変わって、名前は軽快な足取りで鯉登の方へ一直線に向かう。
 鯉登は下駄の音に気づいたのか、振り向き名前と目を合わせる。
 「すまない」
 女性達に一声かけてからこちらに向かってきた。
 「ごめん、お待たせしました」
 「私も先ほど来たところだ」
 まさか漫画でよく見るフレーズを自分が言う日が来るとは思わなかった。
 行こう、と手を引かれ彼に着いて行く。どうらやここから少し歩いたところで花火を見るようだ。
 「打ち上げ場所からは離れるが、人が少なくて見やすいらしい」
 そう言いながら、鯉登は名前の隣を歩く。下駄の所為でいつもより小さくなる歩幅に、何も言わず合わせてくれる彼は優しい。
 「浴衣」
 ぽつりと言われた言葉に急に不安になった。
 鯉登くんは普通の私服だし、もしかして私1人気合を入れすぎただろうか。
 「ほら、浴衣って普段着ないから!夏だしいいかなって!」
 何故か言い訳をしているように喋ってしまう。
 「似合うちょっじゃ」
 焦る名前を気にしていないのか、鯉登は笑顔で手を握り直す。
 「…どうも」
 しっかり握られた手が暖かい。褒めてもらえた嬉しさと気恥ずかしさで、名前はしばらく顔を上げることが出来なかった。

 気がつくと目的地に着いていた。確かに離れてはいるが、花火を見るには申し分ない位置だ。
 時計を見ようとしたとき、花火が1つ打ち上がる。
 「ちょうど良かったね」
 「ああ」
 次々と上がる花火に目が離せない。少し離れているからこそ全体が見える。
 「綺麗」
 川の上から打ち上げているらしい花火達が、水面に反射してキラキラ輝いている。
 「そうだな」
 ちらりと隣を見ると目が合った。
 「綺麗だな」
 じっとこちらを見たまま鯉登が言う。
 まるで、花火じゃなくて自分に向けて言われているようだ。
 名前は赤くなる顔を隠すように、空に花開く光たちを見上げた。

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