小説 | ナノ



▼あなたとワルツは踊れない□

 はたして最後に連絡を取ったのはいつだったか、怒涛の繁忙期が漸く一区切りついたときにふと携帯を開いた。
 「2ヶ月前?!」
 しかも最後の会話は「おやすみ」「ああ」のみである。
 付き合って3年は経つ。お互いの連絡不精も自覚しているし、仕事が忙しいのもわかる。
 しかしいくらなんでもこれは、所謂自然消滅では?
 「お、終わった」
 とりあえずトークアプリを閉じて頭を抱えた。
 悲しみが押し寄せる中に、少しの諦めが入っている。元々、鯉登くんのような優しくて仕事ができてかっこいい彼氏、私では釣り合わなかった。
 せめてもと化粧の勉強をし、服を新調したり色々したが、そもそも連絡の取れない女に流石に辟易したのだろう。
 だめだ、疲れた頭では悪いことしか浮かばない。今日は寝て明日ちゃんと考えよう。
 携帯を充電しようとしたときに、トークアプリから新着メッセージのお知らせが光った。
 タイミングが良いのか悪いのか、現在頭を悩ませる鯉登くんからである。
 もうメッセージを見るのが怖い。しかし反射でアプリを開いてしまったので、既に全面に写し出されてる文字を読まないわけにはいかない。
 いっそ見なかったことにしたいが、既読がついてしまった今、無視することもできない。
 携帯を持つ右手が少し震えている。左手も添えて勢いよく画面を見た。
 『そろそろ繁忙期が過ぎた頃だと思うが、話したいことがある。明日の夜食事に行かないか?』
 相変わらず顔文字もスタンプもないシンプルな文章だ。
 いや、話したいことってもうそれは、
 「別れ話、だよなあ」
 言葉にしてしまってからぼろぼろと涙が落ちてきた。
 さっき釣り合ってないなんて自分で思ってたくせに、いざ別れ話となるとやはり悲しくなる。
 『わかった。どこにいく?』
 物分かりの良い女の振りをして文字を打ち出す。
返事はすぐ来た。もしかして携帯をずっと見ていたのだろうか。
 『店はこちらで決めておく。18時に駅前で』
 ちゃんとした彼のことだ、自然消滅なんてことはせず会って区切りをつけたいという事だろう。
 『わかった』
 返事を返してすぐ布団にうずくまる。
 暗い部屋の中、自分の嗚咽を聞きながら眠るのはとても惨めだった。

 ふと目が覚め時計を見ると、10時を指している。
 多分瞼が腫れているだろうし、連日の仕事で肌状態も最悪だ。
 少しでもましにするため、洗面所に駆け込み髪留めを取り出した。
 そういえばこの髪留めは、鯉登くんが初めて私にくれたものだったことを思い出す。
 そう思うと我が家には至る所に鯉登くんから貰ったものがあるな、とまた少し涙が出そうになった。
 いけない、今日はちゃんと綺麗にしなくては。せっかく落ち着いた瞼がまだ腫れてしまう。
 別れ話だとしても、鯉登くんには綺麗な姿で会いたいなんて、自分もちゃんと女じゃないかと乾いた笑いがこぼれた。
 顔がなんとか出来たので次は服だ。
 こうなったらとことん綺麗にして、私を振る事を後悔させてやろう。
 なんだか段々おかしなテンションになってきた。
 あれでもないこれでもないと選んでいる内に時間が過ぎていく。
 結局頭の先から靴までばっちり決め込んでしまった私が鏡に映っていた。
 時刻は17時半。今から家を出れば余裕で駅前に着く。
 「よっしゃ、頑張れ私!」
 自分を奮い立たせて玄関を開ける。
 帰って来る頃には涙で化粧が落ちてるかもな、なんて鍵を閉めながら考えた。

 17時50分、休日のためか混み合う駅前にたどり着いた。
 普段の待ち合わせ場所を見ると、時計を見ながら周りを見渡す鯉登くんと目が会う。
 いた。いや、待ち合わせしてるからいないわけないけど、もう少し心の準備をさせてほしかった。
 思わず持ってきたバッグの紐を強く握ってしまう。
 「待たせてごめん」
 「いや、私も先ほど来たばかりだ」
 引っ張りだした笑顔で謝ると、鯉登くんもぎこちなく微笑んだ。

 付いていった先は、やたらオシャレで高そうなお店だった。
 外観から感じる敷居の高さに驚いて小さい悲鳴を上げてしまったが、鯉登くんには聞こえなかったようだ。
 頭の中で今日の持ち合わせを思い出している間に、店に通され半個室に案内されていた。
 飲み物と食事がテーブルの上に並べられ、店員さんが頭を下げて仕切りを閉めた。
 お互いぎこちなく乾杯し、鯉登くんが喋り出す。
 「仕事の方はひと段落したのか?」
 「ああ、そうだね。しばらくはのんびりできるよ」
 何故だろう、先ほどから鯉登くんと目が合わない。
 普段はこちらから反らしてしまうほど目を合わせて会話する人なのに。
 しかも視線が右往左往して定まらない。
 優しい人だし、別れを切り出すのに躊躇しているんだろうか。
 「その、今日は話があって、」
 来た。グラスを握る手に力が篭る。
 「うん」
 出来るだけ声が震えないように返事をした。
 「これ」
 す、と差し出されたのは数枚のコピー用紙だった。
 なにこれ、別れ話は?
 「どこがいい」
 「え?あ、うん?」
 コピー用紙には全て部屋の見取り図が載っている。どれも2LDKで、今の家とそう遠くはない位置にあるらしい。
 …なにこれ?
 「行って見らんな分からん?」
 「いや、あの、これ何?」
 「賃貸住宅の見取り図じゃ」
 それは見たらわかる。意味が分からなくて鯉登くんに目を向けると切れ長の瞳で見つめられた。
 「お互い仕事が忙しゅうて会えんで、一緒におったやよかて思うた」
 先ほどのうろついてた視線は何だったのか、と言いたい程真っ直ぐに見られて思わず姿勢を正す。
 地元の方言だと言っていた薩摩弁が出てしまっているけど、言いたいことは何となくわかった。
 別れ話じゃないの?
 「おいはここかここが良かて思う」
 「あのー」
 思わず小さく手を上げて発言を主張してしまう。
 「ん?」
 「今日って、別れ話しに来たんじゃないの?」
 なんて間抜けな質問なんだ。
 「は?」
 「え?」
 先ほど物件を指差していた手が私の手を掴む。
 「おいと別れよごたっとか?おいん事が好かんごつなったんか?それとも、」
 掴まれた手に力が込められる。
 まくし立てるように話された言葉はいまいち理解出来ないが、鯉登くんが怒っているのだけはわかった。
 「他に好きな男がおっとな?」
 ギリ、と掴まれた手から嫌な音が聞こえた気がした。
その手の強さと貫く様な瞳に、もしかして勘違いをしているのかと気づく。
 「えっと、あのね………」
 自分は思ってるより愛されているのかも知れない、なんて今更だった。

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