小説 | ナノ



▼約束□

 今日も疲れた。上司には嫌味を言われるし、履いてたパンプスは帰り道で踵が壊れた。
 「転職、ねえ」
 すでに日課になってしまった転職サイト巡りも、目が滑って頭に入らない。
 明日は久々の休みだし、ゆっくりしよう。
 携帯を枕元に置きなおし、電気を消すとすぐに意識が沈んでいった。

 気がつくと大きな家の中にいた。
 古い日本家屋のようで、庭先の池で鯉が泳いでいる。
 あ、これ夢だ。
 夢の中で夢だとわかるのも珍しい。そもそも最近気絶したように寝てしまうので、夢を見たかも覚えてない事が多い。
 「あ、こけおった!」
 ぼんやり周りを見ていると、いつのまにか目の前に小さな男の子がいた。
 小学生で言うと低学年くらいに見える男の子に既視感を覚える。
 「探したじゃ」
 やたら質の良い服装、育ちの良さそうな立ち振る舞い、意思の強そうな切れ長の目。
 昔近所に住んでた男の子、鯉登音之進くんだ。
 父の仕事の関係で3年しかいれなかったけど、音之進くん可愛いし、驚かせた時のリアクションが面白くて5歳離れてるしにてはよく遊んだ記憶がある。
 過去を懐かしんでる間にも夢は進んでいく。
 音之進くんに手を引かれて着いたのは、綺麗な夕日が見える丘だった。
 ここもよく来て遊んでたなあ。
 相変わらず夕焼けになり始める空のコントラストが美しい。
 「あねじょ遠うに行っんやろ」
 そうだそうだ、音之進くんは私のことお姉ちゃんって呼んでくれてた。
 兄弟のいない私はそれがなんだか嬉しくて、余計に構ってしまっていたかもしれない。
 そしてどうやらこの夢は私が引っ越しをする時の記憶らしい。全く覚えていない。
 「これあぐっ」
 差し出された手にはおもちゃの指輪が乗っていた。
 「絶対迎えに行っで、待っちょって」
 指輪が掌に乗せられ、両手で包まれる。
 「迎えに行っで、そん時はおいとといえしたもんせ」
 夕陽で染まる音之進くんの顔と両手の感覚が、夢なのにやけにリアルだった。

 ぴぴぴ、と目覚ましの音で意識が浮上する。
 「といえって何?」
 寝ぼけた頭で考えれたのはそれ1つだった。

 調べた結果、薩摩弁で『結婚』という意味らしいと言うことを知った私は、改めて音之進くんの可愛さを思い出していた。
 私が中学生になる頃に引っ越したから、今から何年前の話だろうか…考えるのやめよう。
 まあ幼少期あれだけ可愛い子だったし、今頃イケメンに成長して可愛い彼女を連れているんだろう。
 時計を見るとまだ10時前。このままだらだら過ごすのもいいけど、せっかくだからどこか出かけよう。
 そういえば観たい映画があったんだ。
 映画館のホームページを確認すると、ちょうど良い時間帯のものがあったため、のんびり準備して駅に向かう。
 それにしても休日の駅前って混むよなあ、と人を避けつつ時計を見る。
 時間にも余裕あるし、着いたらチケット買ってどこかで休憩しよう。
 「おい、待てって!」
 それにしても賑やかだなここ。
 「どこ行くんだよ!」
 揉め事だろうか、関わらないように足を気持ち早める。
 「おいって!鯉登!」
 聞き覚えのある単語を耳にした瞬間、腕を掴まれた。
 驚いて振り返ると、至近距離に大層整った顔がある。
 「探したじゃ」
 「す、すみません、人違いでは」
 私にこんなイケメンの知り合いいないぞ。
 いや、待て。なんか見覚えがあるような気がしてきた。
 やたら質の良い服装、育ちの良さそうな立ち振る舞い、意思の強そうな切れ長の目。そしてさっき呼ばれてた名前。
 「お…音之進くんです、か?」
 思わず敬語で話しかければ、嬉しそうに目を細められた。

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