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▼例えばこんな出会い方□

※ファンタジー注意 鯉登が犬
 ざあざあと降りしきる雨を窓越しから見つめる。朝から降り続くこの雨は、今日の夜中には止むらしい。
 私の心のようだな、なんて傘を握りしめて呟いた。
 付き合ってた彼氏が浮気した。彼が言うには私が浮気相手だったらしい。
 本命の彼女にプロポーズしたから私はお払い箱だと彼に告げられて、遊ばれていたことにようやく気付いた。
 どうりで友人に紹介されないと思った。
 そんなこんなで仕事にも集中できず、周りの人から体調を心配される始末である。社会人として情けない。
 幸い明日は休みだし、どれだけ落ち込んでも迷惑をかける人はいない。
 ぼんやり歩いていると道端に黒い塊が見えた。
 こんなところにゴミを置くなんて非常識な人もいるもんだと、歩調を緩めず歩き黒い塊に近づいていく。
よく見るとそれはゴミではなく、ふわふわとした黒い何かだった。
 「ん?」
 もぞり、と動いたそれは隠れていた顔をひょっこりと出した。
 「犬じゃん」
 捨てられたのか首輪も付いておらず、毛並みは乱れあちこちに泥が跳ねている。
 「君もひとりなんだね」
 寂しそうに見える瞳に今の私の状況が重なる。
 元来猫より犬派の私に、この子を見捨てていくなんて出来るはずがない。
 「私もひとりになっちゃったし、一緒に行こうか」
 寒さに震える体が可哀想で、雨で濡れるのも構わず抱き上げた。

 まだ子犬だろうその子を連れてマンションに入る。いつか飼うかもと、ペット可の物件にして良かった。
とりあえず洗ってあげよう。
 浴室の扉を開ける私に大人しく抱かれる子犬を撫でて、シャワー台の前に置く。
 「ちょっと待っててね。私も入っちゃうから」
 服を脱ぎ始めたとたん、子犬が騒ぎ始めた。
 「え、なに?!」
 騒ぐ子犬をなだめようと急いで服を脱ぎ捨てる。
 「どうしたの?」
 私が浴室に入ると、子犬は壁の方を向き震えていた。やはり寒かったのだろう。急いでお湯を出す。
 「大丈夫だよ」
 出来るだけ優しく洗い、自分は手早く済ます。結局、子犬がこちらを向くことはなかった。
 部屋着に着替えて子犬を乾かす。
 始め見たときには雨に濡れて貧相に見えた子犬だが、綺麗にしてあげると中々精悍な顔つきの犬だった。
 毛艶もいいし、栄養がしっかり取れている感じがする。
 「君、本当に捨て犬だった?」
 もしや脱走とかだろうか。だとしたら飼い主探しをするべきか。
 「まあ、明日起きてからでいいよね」
 乾いてふわふわになった毛並みを撫でながら話しかける。
 恥ずかしそうに頭を降る様子が人間くさくて笑ってしまった。
 寝ようと寝室に抱えて行ったらこれまた騒ぎ始めた。
 「そんなに嫌わなくても」
 犬にすら嫌われて、私を好きになってくれる人なんて現れるんだろうか。先ほどの二股野郎を思い出し悲しくなる。
 夜は思考が暗くなっていけない。あんな奴のことは早々に忘れるに限る。
 疲れたのか少し大人しくなった子犬を隣に寝かせ、電気を消した。
 「明日君の飼い主探してみるね。…見つからなかったら一緒に住んでくれる?」
 わん、と鳴いた小さな声はまるで返事をしてくれているようだった。


 遠くで雀の声が聞こえる。
 あのまま寝たようだが、誤って子犬を抱き枕にしてないか心配だ。
 身体を動かそうとするが、なにか重いものに遮られて動けない。
 子犬が乗ってるのか、と思ったがあからさまに質量が違う。というかふわふわしていない。
 どちらかと言うと人間の腕に近いようなものが乗っている気がする。
 恐る恐る目を開くと、お腹あたりに逞しい腕が乗っていた。
 「は?」
 腕がなんでここに。もちろん腕単体などと言う猟奇的な感じではなく、胴体に繋がっている。
 寝起きで混乱する自分を落ち着かせるように深呼吸をして、腕の大元に目を向けた。
 「…誰」
 そこには昨日連れてきた子犬ではなく、やたらと顔の整った見知らぬ男が寝ていた。

 悲鳴を上げなかった自分を褒めて欲しい。
 鯉登音之進と名乗った顔の良い男性は、自らを昨日助けた犬だと言う。
 服を着ていないため、タオルケットをぐるぐるに巻きつけてベッドの上に座ってもらっている。
 「鶴の恩返しじゃないんだから」
 強いて言うなら昨日の子犬の毛並みと髪の毛の跳ね具合が似ているが、何がどうなって犬が人間になるんだ。
 真っ向から否定するとしょぼくれた犬みたいに肩を丸める。
 「おいにもようわからん」
 悲しそうに目を伏せる鯉登さんを見てぐ、と言葉が詰まる。どうもこの人、庇護欲をそそるのた。
 まさか、昨日の子犬だと信じ始めているんだろうか、だんだん犬っぽく見えてきた。
 そこで気づく。もし、仮に彼が昨日の子犬だとしたら一緒にお風呂に入ったときにずっと振り向かなかったのは。
 「私の裸見ないようにしてくれたの?」
 ぼそりと呟いた声が聞こえたのか、彼は顔を真っ赤にして叫んだ。
 「嫁入り前んおなごん裸を見っなんてせん!」
 どこの方言かわからないが、この反応を見るに本当に昨日の子犬よようだ。
 世界にはまだ私の知らないことが沢山あるんだなあ、と遠くを見つめる。
 犬が人間になるなんて、私が知らなかっただけで他にもあるかもしれない。無理やり自分を納得させた。
 「とりあえず分かりました。いや、よくわからないけど分かったことにします。念のため聞きますが、迷子ですか?元いた場所とか覚えてます?」
 「思い出せん」
 あっさり告げられる言葉に頭を抱えた。
 「どうしよう」
 まさか拾った子犬でこんなに悩むことになるなんて、思いもしなかった。
 「?飼い主が居らんかったや一緒に住んちゅっちょったじゃろう」
 なんて純粋な目で見てくる人なんだ。すでに移りかけている情に更に訴えかけてくる。
 今この人をそこら辺に放り投げたとして、その後どうやって生きていくんだろう。
 「一時的に!」
 こうなれば乗りかかった船だ。
 「鯉登さんが色々思い出すまで、一時的にですがここに住んでください」
 拾った生き物はちゃんと面倒をみるのが人としての常識である。
 安心したように笑う鯉登さんに右手を差し出した。
 「しばらくの間、よろしくお願いします」
 「よろしゅう頼ん」
 がっちり交わされたお互いの手を見つめ、まず彼の服を調達する算段を立て始めた。

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