小説 | ナノ



▼美味しいお粥□

 目が覚めた瞬間、喉の痛みと全身の倦怠感を覚えて布団に逆戻りする。
 今日は出かける約束をしていたのに、これでは会えそうに無い。
 枕元にある携帯を手探りで探し当てて目的の人物へとメッセージを送った。
 『風邪引いちゃったかも。お出かけはまた今度でお願いします』
 文字を打ち出した後、両手を合わせる猫のスタンプも添えて送ると、途端に眠気が襲ってくる。
 繁忙期が終わった途端に体調を崩すなんて、我ながら社畜らしい。
 「熱、測って…水飲む」
 掠れた声で出した言葉は実行されぬまま、私の意識は深く沈んでいった。


 どれくらい眠っていただろう。
 自然と浮上する思考に目を開くと、今日会うはずだった彼が目の前にいた。
 「!?」
 驚いて声も出せない私と彼、鯉登音之進くんの視線が絡むこと数秒、安心したようなため息が聞こえる。
 「…熱は」
 「え、あ…まだ測ってない」
 なんでここに?と言う疑問をぶつける前に、音之進くんが口を開いた。私の答えを聞いてから、徐ろに立ち上がり戸棚を漁る彼の後ろ姿をぼんやり眺めていると、体温計が差し出される。
 「測れ」
 「あ、うん」
 大人しく従い体温計を脇に差し込む。すぐに軽い電子音が鳴り響き画面を見れば、微熱どころではない数値が示されていた。
 心なしか喉の痛みも増し、鼻の通りが悪くなっているような気がする。
 「ほんと、ごめんね」
 「出かけるのはいつでも出来る」
 淡々と返される言葉に少し安心した。
 「腹は減っているか?」
 「少し」
 「分かった」
 そう言うや否や部屋から出て行く音之進くんを見送る。途端に静かになった寝室が何故か心細く、そっと扉を開けてリビングへ向かった。
 なんと、音之進くんがキッチンに立っている。
 「ま、待って!」
 思わず大きな声を出してしまった私を、驚いたような顔で見てくる彼に素早く近寄った。
 「あの、火元は危ないから近寄らない方が…」
 「おいん事何じゃて思うちょっど」
 子どもじゃなか、と続ける音之進くんの不満そうな声音に思わず謝ろうと口が開くが、急いで閉じる。
 付き合って数ヶ月、彼の家事能力については結構分かっているつもりだ。
 「わ、私やるから」
 「大丈夫だ。寝ていろ」
 その自信はどこからくるのか、不安しかない私の心情を物ともせず、音之進くんは私をキッチンから追い出す。
 せめてもと、リビングのソファーに腰掛けて彼の様子を伺うことにした。
 身体の不調が彼への心配で上書きされて行く。ある意味お見舞いとしては成功なのでは、などどうでもいい事を考えている間に器を持った音之進がキッチンから出てきた。
 早い。早すぎる。一体何を作ったというのか。
 テーブルの上に置かれた器を覗き込むと、美味しそうなたまご粥が湯気を立てている。
 「い、意外と普通…」
 ちゃんと食べ物の形をしている事に衝撃を受けつつ彼を見ると、見るからに誇らしげな表情を浮かべていた。
 「おいだってやれば出来っど!」
 「うん!凄い!」
 軽く拍手をして早速口に運ぼうと蓮華を構える私の隣に、音之進くんが腰掛ける。
 「いただきます」
 何度か息を吹きかけて冷まし、口に含む。隣からの視線が痛いが、気にせず咀嚼して飲み込んだ。
 「…おいしい」
 「そうか!」
 嬉しそうに笑う彼を見てこちらも口角が上がる。デートをドタキャンしたのに、わざわざお見舞いに来てくれて、その上看病までしてくれるなんて。
 「音之進くんは優しいなあ」
 空になった器を下げに行った音之進くんの背中に向かってしみじみと呟く。
 「当たり前だろう」
 私の小さな声を拾った彼が振り向いた。
 「おいん大事な恋人じゃっでな」
 テレビすら付いていない静かな部屋に、音之進くんの言葉が響き渡る。
 言葉の意味を理解するまで数秒、瞬く間に自分の顔に熱が集まって行くのを感じた。
 「熱上がりそう…」
 「!?もう寝ろ!」
 慌てたように駆け寄ってくる彼に、愛されてるな、なんて実感してしまう。


 「そういえば、お粥できるの随分早かったね」
 「…電子レンジは便利だな」
 ああ、なるほど。
 卵は自分で割った、と珍しく小さな声で伝えてくる彼に、元気になったら一緒に料理をしようと笑いかけた。

▼back | text| top | ▲next