小説 | ナノ



▼当日

 もうすぐ誕生日である友人のプレゼントを選ぼうとデパートに足を向けたはずの名前は今、スーツ売り場に鬼気迫る表情で入っている。
 何故か、それは十五分前まで遡る。

 可愛い物好きの友人の為に今年は何を買おうかと、名前は上機嫌で駅を降りた。
 去年はパッケージのデザインが良かった化粧品を買ったし、その前は職場でも使えそうなキャラ文具を送った。
 今年は部屋着なんかも良いかもしれない。
 名前が脳内で会議を行っていると、見知った人が前から歩いてきた。
 シンジュクに住む人なら知らない人はいないだろう、名医の神宮寺寂雷先生である。
 名前も独歩経由で交流しており、会えば世間話をする程度には仲が良いと思っている。
 「名前さん。こんにちは」
 「こんにちは先生」
 独歩も一二三も先生と呼ぶ為、名前にも移ってしまった呼び名を口にしてから頭を下げた。
 「お昼に駅で会うなんで珍しいね。お買い物かな?」
 相変わらず穏やかな雰囲気を醸し出しながら柔らかい口調で聞かれ、名前は大きく頷く。
 「誕生日プレゼントを買いに行くんです」
 友達の、と続けようとした名前の口は、先生の言葉によってそれ以上発することが出来なくなった。
 「ああ、独歩くんの…」
 何だって?
 何故ここでお付き合いさせていただいている彼の名前が出てくるのか。
 首を傾げた名前に釣られて先生も首を傾ける。
 「え?独歩さん?」
 「おや?独歩くんのプレゼントじゃないのかい?」
 漫画であったなら、お互い頭の上に疑問符が乗っていることだろう。いち早く意味を理解したのは名前であり、同時に恐ろしいことに気がついてしまった。
 「………もしかして、独歩さんの誕生日って、もうすぐなんですか?」
 「そうだね………明日だよ」
 予想より深刻だった。名前の吸った息が小さな悲鳴になる程度には想定外の事態である。
 まだ付き合って日が浅い上に、独歩の仕事が忙しくてまともに会える日が少ない。一番長く話せるのが名前のいる喫茶店という日々を繰り返していた所為か、お互いの誕生日を知らないことにまさか今気がつくとは。
 顔の色を無くした名前へと心配そうに目線を合わせる先生の優しさを感じる余裕も無い。
 明日?明日と言ったのか。当たり前だが何も用意をしていない。
 いや、むしろ今聞いて助かったのでは。これからデパートに行くのだからプレゼントの用意は出来る。
ただし、最近いつも以上に忙しい独歩に会えるかどうかは別として。
 「先生、ありがとうございます。いってきます」
 「いってらっしゃい」
 こうして謎の挨拶をして先生と別れた後、デパートへ向かった訳である。

 友人へのプレゼントは、まだ日もあることだし別の機会にまた見に来よう。
 名前はデパート内を散策し、独歩へのプレゼントを探し回っていた。
 そもそも彼に何をあげれば喜んでくれるのだろうか。
 独歩が何かを欲しがっているところを見たことが無いな、と名前が過去を思い返す。
 今日の明日で完璧な物を用意できるとは思えないが、できれば相手に喜んでもらいたい。
 普段使うもの、あったら便利だけど自分で買わなそうなもの、なとど頭の中に候補を挙げながら歩いていたときに、名前の目に入ったのはブランド物のスーツ売り場だった。
 「流石にスーツ一式は無理だけどネクタイくらいなら…」
 恐る恐る値札を見てみると、プレゼントとして安すぎずかつ相手に気を遣わせない程度の値段が表示されている。
 「これだ」
 きっとネクタイなら何本あっても困らないだろうし、シンプルなデザインにすれば好みから外れることも無さそうだ。
 名前は早速何本か手に取って、想像で独歩に当てがってみる。
 あれもいい、いやこれもと名前が漁っているうちに数時間が過ぎ、店に入ったときには上にあった太陽も限りなく地面に近づいてきていた。
 その甲斐あってか、自分の中では独歩に一番似合いそうな一本を買うことができて満足ではある。
 あとは、そう、明日会えるかどうかだ。
 家に帰った名前は、まずスマホを開いてトークアプリを起動した。
 今日の朝挨拶をしただけで途切れている画面に、文字を打ち込む。
 『今日もお疲れ様です。明日、お仕事終わりに少し会えませんか?』
 きっと今日も残業だろうから見るのは夜遅くだろうとおもって送ったメッセージは、次の瞬間すぐ既読になる。
 「え、はや」
 もしかして向こうも何か文字を打っていたんだろうか。あまりのタイミングの良さに驚いてしまう。
 『お疲れ様です。明日大丈夫です』
 そして返事も早かった。
 会えることが分かって名前はそっと胸をなでおろす。
 本当ならちゃんとしたお店でお祝いしたいが、そこには目を瞑ってもらおう。


 そして当日、夜中を覚悟していた名前はまさかの定時上がりの独歩に更に驚いた。
 どうやらこの間までの繁忙期はひと段落したらしい。
 名前は独歩と並んでのんびり目的地まで歩き、ぽつぽつと会話を続ける。
 「なんか、こうして一緒に歩くのは久しぶりですね」
 「そうですね…俺のせいで全然、会えなくて…すみません」
 「いやいや!独歩さん忙しいの知ってますし、毎日じゃないけどお店で会えますし、今は連絡手段も発達してるから大丈夫です!」
 俺のせい、と沈みそうになった独歩を引き上げるように勢いよく声を張り上げる。
 そんな名前を見てか、顔を上げた独歩がふにゃりと眉を下げた。笑うのに失敗したような表情だ。
 「いつも、迷惑かけてすみません」
 「迷惑なんて思った事ないですよ」
 名前が独歩の言葉をはっきりと否定したところで、目的の店に着いた。
 まだ二人で来たことがない名前のお気に入りの店である。散々考えた結果、普段よりは少し良い店を何とか予約できた。
 さて、ここで問題なのがいつプレゼントを渡すか、である。
 生憎男性との交際履歴はほぼ白紙で、誕生日を祝ったことなど全くない。これが友人であるならば、出会った瞬間に祝いの言葉と共に品物を渡しているところだ。
 更に、言ってもいない誕生日を知っおり急祝うという、側から考えたらストーカーか?と言うような行動をしている気がしてきた。
 いや、恋人だからそこ辺りは気にしなくて良いのかもしれない。分からなくなってきた。
 名前がそわそわと居心地悪そうにしているのに気がついたのか、独歩が不安そうに瞳を揺らした。
 「あの…?」
 「あ!大丈夫です!何食べましょうか?」
 名前がメニューを広げ、お互い覗き込むように前に乗り出すと必然的に近くなる距離に少し気恥ずかしくなる。
 店員と常連客でしかなかった時には、こんな間近で見ることが無かった。相変わらず目の下のクマが凄い。
 「じゃあ、これにします」
 「私は…これで」
 美味しそうなメニュー表に目移りしそうになるが、大きくオススメと書かれた品を指差す。
 店員に頼んだ後訪れた静かな時間に、名前の手が鞄に伸びるのは当然だった。
 今しかない。お祝いの言葉と一緒に渡してしまおう。
 名前はそっと鞄から袋を取り出し、独歩の目の前に差し出す。
 当の独歩はきょとん、とした顔で袋と名前の顔を見返すだけだった。
 「えっと…これは」
 「独歩さん、お誕生日おめでとうございます」
 そう言いながら更に袋を独歩の方へ押し付けるように寄せると、混乱したように目を白黒させながらも彼の手が遠慮がちにこちらへ伸びてきた。
 「嫌いな色じゃなければいいんですけど、えっと、プレゼントです」
 「え…あ…や、待って…待ってくれ…どうして今日、その…俺なにも言ってない」
 受け取った袋を緩く握りしめながら、独歩はまだこの状況を理解していないようだ。
 「あ、はい。たまたま昨日神宮寺先生にあって、話の流れで聞きまして…こんな雑なお祝いしか出来なくてすみません」
 そう言いながら名前は軽く頭を下げる。
 でも、どうしても当日に祝いたかった。そして、知らずに今日を過ごしていたら絶対に後悔していただろう。
 「どんな形でも、独歩さんの生まれた日はお祝いしたかったんです」
 おめでとうと合わせて、生まれてきてくれて、そして自分と出会ってくれてありがとうと伝えたかった。
 その気持ちを口に出そうと独歩と目を合わせるために名前が顔を上げると、今までに見たことがないくらい、目を左右に揺らしてる彼がいる。
 「あの、独歩さん?」
 それはもうびっくりするくらい視線が合わない。袋を握る手には徐々に力が込められているのか、皺が寄っていた。
 中の箱が曲がってしまう。咄嗟に独歩の手を名前がそっと掴むと、漸く二人の視線が交際する。
 じわじわと滲むように目元が赤く染まる彼を見て、こちらの頬もほんのりと熱くなってきた。
 「あ、の…あ、ありがとうございます…そんな、俺…祝って貰えると思わなくて、今日も、その、俺が勝手に…誕生日に名前さんに会えるって、喜んでると…」
 「私も、独歩さんの誕生日に会えて嬉しいです」
 独歩の青い瞳が揺らぎ、泣きそうに眉を歪めながらも口角を上げて囁くように、ありがとう、と呟いた。

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