小説 | ナノ



▼12

 「名前さん!今来たのってホストの一二三ですよね!知り合いですか?!」
 注文を通すために厨房へ向かった名前を出迎えたのは、瞳を煌めかせた店員達だった。
 「神宮寺先生も居ましたね!」
 「…ああ!どうりで見たことあると思った」
 どうりで見た事のあるお顔だ。昔、友人が推している人だと写真を見せてきた記憶が蘇った。月にかなりの額を注ぎ込んでいる友人に疑問を抱いていたが、成る程、あの丁寧な物腰と愛嬌ある笑顔で多くの女性を虜にしているんだろう。
 まさかシンジュクNo. 1ホストにお会いできるとは思わなかった。しかも名医と名高い先生も一緒とは驚きだ。
 「知り合いじゃないよ」
 否定するように手を軽く振るとでも、と一人の店員が食い下がる。
 「凄く仲良さそうでしたけど…」
 「気のせいですー」
 名前が出てきた二人とは本当に知り合いではないが、詳しく説明すると面倒くさいことになりそうだ。
 名前は簡潔に答え、奥の店員からドリンクを受け取った。これで話は終わりと言葉にする代わりに、厨房から出て行く。
 「お待たせ致しました」
 それぞれの頼んだ物を置いて行く名前に向かって、独歩が小さく頭を下げる。そのいつもの朝と変わらないやり取りに、自然と自分の口元が緩むのが分かった。
 「注文、いいですか?」
 「はい!」
 遠慮がちに口を開く観音坂へ努めて愛想良く返事をしながら、名前は再びボールペンを握る。
 ぽつぽつと言われる品物達を書き留め、注文の声が止まったところで三人の顔を見渡した。
 「以上でよろしいですか?」
 「はい」
 観音坂の返事と頷く他の二人を見てメモ帳とボールペンを仕舞おうとすると、こちらを見ている青い目と視線がかち合った。
 すぐさま斜め下を向くその瞳に、名前は首を傾げながら疑問を口にする。
 「何かありましたか?…あ、やっぱり追加注文いたしますか?」
 「え、あ…ちが、何でもないです」
 緩く首を振る観音坂に心の中では首を傾げたまま、名前は笑顔で頷いた。
 「それでは少々お待ちください」
 厨房に向かう途中、ちらちらと他の店員が話しかけたそうにこちらの様子を伺っているのが見えたが、何と言っても今日は金曜日だ。お互い会話などする暇もなく動き続けなくてはいけない。
 呼び出しベルが鳴る度に声を上げてテーブルへ向かう名前に、店員たちは諦めたように業務に戻って行った。


 「すみませーん!」
 「はい!」
 酒気を含んだ間延びした呼びかけに名前がほぼ無意識に口角を上げながら振り向くと、目があった男性は楽しそうにニヤついて、同じテーブルに座っている友人達を指差しながら名前に話しかけてくる。
 「おねーさん、俺らの中だと誰が一番イケメンだと思います?」
 「…はい?」
 先ほどの同じ言葉を発しているはずだが、後者は明らかに訝しげな声色が表に出てしまった。
 顔だけ笑顔を取り繕っている名前へ、男性達がなおも口を開く。
 「俺ですよね?」
 「いや、俺だろ!」
 次々と自己主張してくる男に、名前は内心辟易としながら当たり障りのない解答を脳内ではじき出した。
 「いやあ、皆さんかっこいいので決められないです」
 酔っ払いは褒めておけば何とかなるだろう。
 その言葉に男性達は満足したのか、また内輪で騒ぎ始めたので名前はひっそりと席を離れた。
 金曜日の夜は程よく酔った客にまあ絡まれる。今まで遅くとも夕方までしか勤めていなかった名前にとって、一番驚いた点はそこだった。人間って、酔うと心が大きくなるんだなと再確認させられた次第である。
 厨房に戻るとちょうど料理が出来上がったとこらしく、皿が所狭しと並べられていた。
 「これ九番テーブルね」
 「はい」
 キッチン担当から言われるままに皿を持ち上げ、また騒がしいホールへと足を踏み入れた。
 九番、九番と心の中で唱えながら歩いていると、先ほど絡まれた男性達がまたもやこちらを見ている。
 しかし名前が料理を運んでいるところを確認したのか、話しかけてくることは無かった。
 こちらがドリンクを運んでいようが別テーブルの注文を取りに行っている最中だろうが絡んでくるタイプもいるが、彼らは違うらしい。
 名前は安心してそのまま横を通り過ぎ、九番テーブルへ料理を運ぶと少しだけ目元を赤くした観音坂がいた。
 「お待たせいたしました」
 「ありがとう」
 丁寧にお礼の言葉を述べるのは、背の高い男性だ。寂雷先生、と二人から呼ばれる彼はシンジュクで名の知らぬ者はいない。
 実際に会うのは初めてだが、名前も名前くらいは知っていた。
 その先生のグラスが空になっていることに気づき、名前はボールペンにそっと手をかけながら口を開く。
 「お飲み物ご注文あれば承ります」
 「ああ、そうだね…じゃあ烏龍茶で」
 先程から頑なに烏龍茶を頼んでいるが、もしかして下戸なのだろうか。
 人の体質にどうこう言うつもりはないので、頷きながらメモを取る。
 ふと視線を感じて横を見ると、観音坂がまたこちらを見ていた。
 「観音坂さんも何か頼みます?」
 ボールペンを持った手を緩く挙げると、彼の視線がそちらに動く。おや、と思った名前が逆方向に手を動かすと同じように視線をずらす観音坂にやっとその意図が読めた。
 「このボールペン、使いやすいんですよね」
 そう言ってしっかり握るボールペンは、先日観音坂と食事に行った際に買ったキャラクターの物だった。綺麗に塗られた青色の上に、可愛らしいキャラクターが散りばめられているそれは、他の店員にも好評である。
 「そう、ですか…」
 少しだけ目元を緩めたような表情をする彼を見つめ、名前は元気よく頷いた。
 「ええ!この職場での相棒ですね!」
 答えた瞬間、店内に呼び出しベルが鳴り響く。
 今日は何だかいつも以上に客入りが多い気がする。
 名前が周囲に目を走らせたのに気がついたのか、観音坂が小さな声を発した。
 「俺は注文しないので…大丈夫です」
 「あ、はい。かしこまりました!」
 では、と一礼をして下がりまた厨房へ急ぐ。
 せっかく会えたのに、業務的な対応しか出来ずもどかしい。
 そんな名前の感情を他所に、なんと退勤時間まで客足が遠のくことは無かった。


 ガチャリと音を立てて自転車の鍵が外れる。
 名前は大きなため息をつきながら、自転車に跨った。
 結局、殆ど話すことが出来ぬまま彼らは帰ってしまった。
 気づいたら居なくなっているなんて客の出入りが激しいこの店では当たり前の筈なのに、彼らが帰るところを見れなかった自分に腹が立つ。
 深夜に近い時間帯、流石に人通りの少なくなった道をのんびりとした速度でペダルを漕げば、自転車に似つかわしくない歪な音が聞こえてきた。やはり屋外の駐輪場に止め続けていると錆びるのが早い。
 名前がそろそろ整備しなければと思いながら漕ぎ続けていると、煌々とした明かりの中を歩く二つの影が見えた。
 「あれ?」
 逆光で分かりづらいが、多分、おそらく、観音坂だ。と言うことは、隣に輝く金髪の持ち主一二三だろう。駅に進もうとしている二人だったが、名前の声が聞こえたのか一二三だけが振り返った。
 こちらを認識した途端、煌びやかな笑顔を向けて手を振ってくる彼に名前も自転車を止め、控えめに右手を振り返す。そんな二人に気がついたのか、観音坂もこちらに振り向き片足を下ろしてその場に立ち止まっている名前の元へ歩いてきた。
 「今からお帰りですか?」
 「え、ええ、そうです」
 一二三の問いかけに名前が答えると、観音坂が不安そうに口を開く。
 「こんな遅くに…危なくないですか?」
 「大丈夫ですよ。夜道は慣れてますし」
 それに、と自分が乗っている自転車に顔を向けた後二人に向き直る。
 「自転車ですぐなので」
 そう言いつつ名前がペダルを回した瞬間、自転車から一際大きい音がした。
 「ん?」
 「え?」
 「あれ?」
 三者三様の反応をしつつ、全員が音の発信源へ目を向ける。暗くて見えづらいが、あるべき所にチェーンが収まっておらず、頼りなく下に垂れている。
 「嘘だ…」
 思わず呟いた名前の声は二人にも聞こえたようで、観音坂の困惑したような声が微かに響いた。
 「あの、今…」
 「あ、大丈夫です!歩いてもそんなに遠くないので!」
 壊れた訳ではないようだが、この暗さではチェーンをつけ直すことも出来ない。明日にでも何とかしよう。
 名前が自転車から降りながら観音坂の顔を見ると、こちらを心配そうに見ている瞳と目が合った。
 「夜の一人歩きは危険ですよ。可愛らしい女性なら尚更」
 観音坂の後ろから声が聞こえたと思ったら、一二三も同じような顔をしている。
 「え、は…はあ…」
 可愛らしい。
 普段言われ慣れていない言葉に曖昧な返事を返してしまった。
 「ひ、一二三お前、お前…!」
 「独歩くんもそう思うだろう?」
 掴みかかるように手を伸ばした観音坂は、くるりと振り返った一二三の寸前で止まる。
 ここまで元気に声を出す観音坂を見るのは初めてだな、と呑気に考えている名前を他所に二人は会話を続けていく。
 「た、確かに…苗字さん一人で夜道は危ないと、思うけど…」
 会話に入ることも出来ず曖昧に笑っている名前の耳に、突然軽快な電子音が飛び込んできた。
 「失礼」
 一二三の携帯から鳴っているらしく、名前達から少し離れた位置で通話を始める彼を観音坂と二人で見つめていたが、会話はすぐ終わったらしく申し訳なさそうな顔でこちらに戻ってくる。
 「独歩くん、すまないが僕は急用が入ってしまった。こちらの子猫ちゃんをちゃんと送り届けてくれるね?」
 「は?!」
 「…?!こ、こねこちゃん…」
 ホスト凄い。さらりと言われた言葉に動揺が隠せない名前に、にこやかな笑顔を向ける一二三が首を傾げた。
 「この呼び方はお嫌ですか?」
 「あ、えっと…普通に名前でいいです…」
 子猫ちゃんなんて、気恥ずかしくて呼ばれても答えられる自信がない。
 ふと横を見ると、観音坂が驚いたように目を見開き口を小さく動かしたが残念ながら聞き取ることは出来なかった。
 「それでは名前さん、またお会いしましょう」
 くるりと身を翻し立ち去る一二三を呆然と見送る。まるで一陣の風が突如通り過ぎたような印象の人だった。
 「…えっと、あの、送ります…」
 「あ、そんなお気遣いなく!観音坂さんもお疲れでしょう?」
 おずおずと声を発した観音坂に遠慮するように両手を振る名前を、何故か置き去りにされた犬のような悲しげな瞳で見つめてくる。
 「俺なんかに送られるのは嫌でしょうが、あの、本当に夜道は危なくて…心配なので、申し訳無いですが、送らせてください」
 「…あ、はい。よろしくお願いいたします」
 正直なところ、観音坂と一緒にいる時間が伸びて嬉しい。彼の親切心を利用するようで気後れするが、ここは甘えてしまおう。
 名前が笑顔を向けながら頭を下げると、観音坂の安心したようなため息が聞こえた。

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