小説 | ナノ



▼酒は飲んでも呑まれるな□

 奥深くまで沈んでいた意識が、急激な頭痛によって浮上していく。痛みに目を顰めながら名前が目を開けると、全く見覚えの無い天井が広がっていた。
 「…は?」
 どこだここ。
 周りを見渡すとどう見ても男性の寝室である。
焦る心を落ち着けるように、名前は目を閉じて深呼吸した。そしてもう一度目を開く。
 自分の真横に、昨日まで着てた筈の服が脱ぎ捨てられていた。
 「おわっ…」
 まさか、まさかまさか!
 名前が勢いよく自分の上に掛けてある布団を跳ね飛ばすと、明らかに男性物のスエットを身につけている姿が目に映る。
 とりあえず服は着ていた。良かった。
 安心するのもつかの間、名前はまず昨日の記憶を掘り起こそうとしてみる。
 昨日は職場の飲み会で、二次会まで行った記憶はある。あの時近くにいたのは誰だったか。
 名前が未だ痛む頭を押さえて唸っていると扉が開いた。
 「起きたか」
 目の前に現れたのは、職場でちょっといいなと思っていた同僚だった。
 「こ、鯉登くん」
 終わった。まだ淡い恋心だった筈の何かが一瞬にして霧散した気がする。
 「気分はどうだ」
 そんな名前の様子を気にしていないように鯉登が言葉を続けた。
 「まだ頭は痛むか?」
 気遣うような視線に居たたまれなくなる。頭が一際痛んだような気がした。
 「あの、私、昨日の記憶がなくて」
 何かしでかしましたか。名前が縋るような目で鯉登を見つめると、そっと目線を逸らされた。
 そんな不安になるような素振りを見せないで欲しい。名前は着てた服を握りしめる。いい大人が記憶をなくす程飲むなんて言語道断である。泣きたい。
 「おいは何もしちょらんぞ!」
 泣きそうな名前を見て焦ったように鯉登が叫んだ。どこの言葉だろうか、早くて聞き取れなかった。
きょとんとした表情に気がついた彼は、1つ咳払いをしていつもの口調に戻る。
 「昨日のことは全く覚えてないのか?」
 名前は静かに頷く。二次会からの記憶が全くない。
 「酔っているようだったから家まで送ろうとしたんだが、苗字が寝てしまって家がわからなくてな」
 私の家に運んだ、と説明する彼をまともに見れず布団に蹲る。
 「本当に、申し訳ございません…」
 土下座の様な体勢で力なく謝る名前に気にしてないと声をかける彼の何と心の広いことか。
 「じゃあこの服は」
 名前は伏せた顔を上げて、紛らわしくも脱ぎ捨てられている服を指差した。
 「暑いと言って自分で脱ぎ始めたんだ」
 いっそ殺せ。これ以上ないくらい恥を晒している気がする。
 「急いで私の寝間着を被せたんだが、その…」
 急に歯切れが悪くなる彼の言葉を頭で反芻してみると、1つ思い当たった。
 「下着」
 名前が呟くと途端に身体ごと背ける鯉登に、逆に申し訳ない気分になる。
 せめて上下が揃ってるやつで良かった、なんてどうでもいいことを思った。
 「すまなかった」
 「や、なんか本当にすみません…」
 彼は微塵も悪くないのに謝られると自分の駄目さが際立つ。
 「しばらくお酒は控えます」
 「そうだな」
 少なくとも職場の飲み会ではノンアルコールだな。名前は心の中で決意した。
 「それにしても、鯉登くんって優しいね」
 同僚と言えど、泥酔した厄介な女を介抱してベッドに寝かせてくれるなんて、神か仏の類かと尊敬の念を抱く。
 「苗字にはな」
 着替えたら送ると言って部屋から出て行く鯉登の背を、名前ただ見つめる事しか出来なかった。
 私にはって何だ。
 感じるこの頭痛は、お酒の所為なのか別のものなのか、今の名前には判断がつかなかった。

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