小説 | ナノ



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 観音坂が頼むカフェラテでも練習させて貰ってから早1ヶ月、歪ながらも漸く形になってきたハート型に名前は笑みを浮かべた。
 「これ、もうちょっとで完全体になるんじゃない?」
 少しだけよれたハートが浮かぶカップを後輩に見せながら声をかけると、中を覗き込んだ彼女が頷く。
 「そうですね。あと一歩じゃないですか?」
 言われた言葉に嬉しくなりながら中身を飲み干した。美味しい。
 約束通り、偶に来店する観音坂がカフェラテを注文してくれるようになった。最初はなんの模様を描きたかったのか、と問われそうなほどの出来栄えだったが、徐々に形になっていくそれに興味深そうな顔をした彼が忘れられない。
 「次に観音坂さんが来る時までに仕上げたいね」
 名前が飲み干したカップを洗いながら呟くと、後輩が布巾を持って隣に立つ。
 「そうですね」
 きっと今日は来ないだろう。時計の針が指し示す時間を見て、少しだけ残念な気分になる。


 更に練習を数日重ねたある日、とうとう観音坂が来店した。
 未だ若干の歪みは否めないが、ほぼ完成と言っていいラテアートを昨日作ったばかりだ。いける、と名前は確信していた。
 「カフェラテお願いします」
 「かしこまりました!」
 いつものテーブル席に観音坂を案内すると、名前を見てぽつりと声を出す。自信ありげな表情で思わず拳を握る名前に、彼の瞳が緩く細まった。
 「もしかして…出来るようになったんですか?」
 「まあ見ててください」
 静かに問いかける観音坂に向かって胸を張って答え、カウンターへ向かう。
 他の客が来るまでおそらくあと少し、名前はカップを手に取ってゆっくりと中を満たしていった。
 ゆらゆら揺れる液体を慎重に動かして形を作っていく。店内にかかる音楽も、後輩の視線も気にならない。
 最後にカップを揺らさないようにミルクピッチャーを離し、中を確認する。
 「で、できた…」
 今までで一番綺麗な形を作れたそれを、急いで観音坂の元へ運んだ。
 「どうぞ!!」
 名前は高揚した気分のまま、彼のテーブルへコーヒーカップを置きにいく。出す声もいつもの2割り増し程度に大きくなってしまった。
 「おお…凄い」
 カップを見つめる観音坂から小さな声が漏れる。
 「観音坂さんが付き合ってくれたお陰です。ありがとうこざいます!」
 心からの笑顔を向けると、観音坂の瞳が驚いた様に見開かれた。すぐに視線を逸らされたためほんの一瞬しか見れなかったが、出来栄えに喜んで貰えたのは確かだ。
 「そんな、俺なんてただ注文しただけなので…苗字さんが頑張ったからですよ」
 「観音坂さんのお陰で沢山練習出来たんです。だから、ありがとうございます」
 視線を下に向けながら囁く様に話す彼に、再度お礼を言いカウンターへ戻る。
 使ったピッチャーを洗いながら観音坂の方へ目を向けると、彼はカップを持ってまじまじと中身を見つめていた。
 しばらく見た後に慎重にカップを口に運ぶのを見て、名前の口元に自然と笑みが浮かぶ。
 大事に飲んでくれているようで、なんだか嬉しい。
 他の来店者の接客をしていると、観音坂が席を立ったのが見えた。名前もレジへと急ぐ。
 会計を表示させると、彼は視線を左右に揺らして口を小さく開いた。
 「…あの、これで練習は終わりですか?」
 こちらを見る観音坂が、少し残念そうな顔をしている様に見えるのは気のせいだろうか。
 「えっと、大変厚かましいお願いで恐縮なんですが…他の模様も練習したいな、なんて」
 囁くように紡がれた言葉に無遠慮に返した自覚はある。名前だって、これで終わり!ありがとう!と言って観音坂の好きな飲み物を注文頂きたい気持ちはある。
 しかし、それはそれ。折角1つ出来たのだから、他にもやってみたいではないか。
 完全につけ上がったお願いだと思う。全くもって断っていただいて構わないという意味を込めて、名前は軽く彼を見た。
 「…はい。俺でよければ」
 そう言った彼の、緩められる目元と薄く上がる口角を目にした途端、時が止まったような錯覚に陥る。
 元から整った顔立ちだと思っていたが、笑うと何というか、えらい美人である。
 相変わらず激しく主張しているクマはあるが数度顔を会わせる内に慣れてきた。
 そして何より、またもやこちらのお願いを聞いてくれるようだ。優しさが尋常じゃない。
 「ありがとうございます!またお越しください」
 元気良く返す名前に観音坂は1つ頷いた後、店の扉を潜った。

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