小説 | ナノ



▼我が身を焦す

 「ありがとうございました!」
 店を出るお客さんを見送り、席を片付けようと空いたお皿を重ねる。
 重ねた物をお盆に置いたところで、不意に視線を感じて動きが止まった。
 …いる。
 最近、何故か1人の軍人さんに激しく睨まれている。まだお若く見える彼は、確か鯉登少尉と呼ばれていた。

 ここの甘味屋は場所柄軍関係の方がよくいらっしゃるが、こんなに自分のことを見てくる人は初めてだ。
 少尉殿に何か粗相をしてしまったのだろうか。彼の視線を感じ名前の一挙一動に力が入る。
 お待たせしてはいけないと、手早く片付けを済ませ急いで注文を取りに行った。いつも1人で食べきれなさそうな量を頼むので、きっとお使いなんだろう。
 相変わらず視線はこちらにに固定されている気がする。怖くてお顔が見れず、名前は彼の首元に向かって話しかけた。
 「本日はどうされますか?」
 「いつものように頼む」
 言われた瞬間、丁寧かつ迅速に包みに入れる。
 「いつもありがとうございます」
 細心の注意を払い少尉殿に差し出すと、しばらく沈黙が訪れた。
 何か言われるだろうか。特に変なことはしてないはず、と恐る恐る包みをもう少し彼の方へ寄せてみる。早く受け取ってほしい。
 「ああ」
 今気づいたような声を上げて包みを受け取り、お金を台に置く。いつも丁度の金額を用意してくださるので有難い。
 「また来る」
 「はい!ありがとうございます!」
 すぐに身を翻して帰ろうとする少尉殿の後ろ姿に、名前は大きく声をかけた。
 「相変わらず熱いねぇ」
 彼が帰った後、常連さんが呟く。
 熱いとは何のことだろう。名前は軽く首を傾げた。
 私からするとむしろ寒い、肝が冷えると言う意味で。
 「いつも睨まれてるみたいなんですよ。私何かしちゃったのかもしれないです」
 そう言うと常連さんがニヤニヤと意地の悪い笑い方をする。
 「今度ちゃんと目を見た方がいいね」

 確かに、彼の目をしっかり見たことはない。というか顔をちゃんと見たことがない。
 閉店した店内を片付けていた名前の手が止まった。
 もしや私、かなり失礼なのでは。
 お客様の顔も見ないで接客してるから睨まれているのかも、いや睨まれているから顔が見れない訳であって、つまり、なんだ。
 とりあえず、今度はちゃんと目を合わせて会話をしよう。固い決意を胸に、名前は店先の掃き掃除に向かった。
 のんびり閉店後の掃き掃除をしていると、見慣れた服装の方が歩いて来る。鯉登少尉だ。
 自然と箒を握る手に力が入ってしまう。決意しておいて何だが、もうちょっと心の準備が欲しかった。まさか日に2回お会いするとは。
 「もう閉まっているか」
 「そうなんです。すみません」
 何か買い忘れたのだろうか。反射で深々と頭を下げてしまったため名前からは顔が見えない。そして下げた頭に視線が刺さってる気がする。
 名前は意を決して顔を上げ、思いっきり鯉登少尉と目を合わせるように背筋を伸ばした。
 首から口元、鼻まで視線を上げて、大層整った顔をしていることに初めて気付く。
 そして、ようやく目が合った。
 「いや、急ぎの物ではない。明日にする」
 「あ、はい…お待ちしてます」
 去っていく彼が見えなくなってから、店に戻り扉を閉めた。そのままずるずると床にしゃがみ込んでしまう。
 「確かに、睨まれてなかった」
 むしろ何で睨まれていると思い込んでいたのか。
 先ほど見据えた鯉登少尉の顔を思い出す。あんなに熱を持ったような瞳を見たことがない。
 そんなの、まるで私に好意があるみたいじゃないか。
 名前はどんどん熱くなる顔を冷やすように、両手でパタパタと自分を扇ぐ。
 「明日来るって言ってたな」
 どうしよう。前とは違った意味で、彼の顔が見れなさそうだ。

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