▼12(鯉登サイド)
※女モブ注意
見るからに機嫌が悪い。
日に日に鋭くなっていく目付きに、何かあったのだろうと思ったが態々聞く気もない杉元の隣で、白石が何とも言えない顔をしていた。
「えぇ、何あれ、どうしたの?」
鯉登に聞こえない程度の小声で杉元に話しかける白石だったが、聞かれた当人もよく分からない。少なくとも先週は普段通りだったはずだと遠巻きに見ている2人に、鯉登が気付くことはなかった。
イライラする。
鯉登はしばらく前から自分のストレスをしっかり感じ取っていた。もちろん原因も分かっている。
最近、名前に会えていない。
繁忙期だと言っていた彼女に連絡を取るのも申し訳なく、向こうから話しかけられるのを待っている状態が続いていた。
待つのは性に合わない鯉登は、それでも働いてる名前に迷惑をかけたくないと我慢しているが、そろそろ限界が近い。
会いたい、声が聞きたい、笑顔が見たい。
気がついたらトントンと指先で机を叩いている自分がいて、口元を引き締める。
こんなに彼女の事を考えてるなんて知られたら、怖がられるだろうか。
「鯉登、行くぞ」
「どこにだ」
杉元がいつまで経っても動く気配の無い鯉登の肩を掴む。
「どこって、今日はゼミの飲み会だって言ってただろ?」
2人の間に数秒静寂が訪れる。
忘れてたなこいつ、と言う杉元の視線が痛いくらい鯉登に刺さっていた。
「…気分じゃない」
ふい、と顔を逸らす鯉登に杉元が拳を握りかけた所で、白石が近寄ってくる。
「鶴見教授も来るんだけどね」
そう聞くや否や立ち上がり、扉に向かう鯉登を見ながら白石と杉元が顔を見合わせる。
「元気じゃん」
「だな」
「何をしている。早く行くぞ」
呆れたようなため息を零したのはどちらだろう。鯉登が居るところからでは判断出来なかった。
宴もたけなわ、とお開きになった飲み会を後にしようとした鯉登が、ふいに袖口を掴まれる。
振り向いた先には、名前も覚えていない女が愛想よく笑っていた。
「鯉登くんも2次会行くの?」
周りを見て、次の店へと向かう集団の中に入ってしまったことに気がつく。どうやら杉元たちも行くらしい。
「私と一緒に行こ?」
更に近づいてきた女の匂いに顔を顰める。何だ、この嫌な匂いは。人工的な甘ったるい香りが鼻に突いて思わず眉間の皺が深くなってしまった。
臭い。
口に出すことはしなかったが、鯉登の表情で何かを察したのか、女が笑顔をしまって眉を下げた。
「どうしたの?」
尚も感じる不快な甘さに鼻を覆いそうになる。
何故、自分はこんな女と隣にいなければならないのだ。いつもならここには彼女が居るはずなのに。
無性に、名前に会いたくなった。
「帰る」
掴まれた袖口を軽く払い、集団から抜けようと踵を返す鯉登に、焦ったような女の声が響く。
「急にどうしたの?!」
女の声も気に留めず自分の帰路を辿る鯉登を、追いかける者は居ない。
歩きながら時計を見ると、もう少しで日付が変わる時刻を指している。流石に彼女も帰ってきているだろう、と思った瞬間に鯉登の指が通話ボタンを押していた。
電話が繋がる前に寝ているかもという発想に思い至るが、かけてしまったものは仕方がない。数コールあってから繋がった電話で、開口一番に謝罪する。
「すまない、寝ていただろうか」
そういえば電話で連絡を取ったことはなかったな、と鯉登が考えていると慌てたような声が耳に飛び込んできた。
『大丈夫、起きてたよ』
機械を通して聞こえる声が、耳に馴染んで溶けていく。
しばらく惚けていると、名前が心配そうな声で問いかけてくるのが聞こえた。
普段より近くに聞こえる彼女の声に、掛けたはいいが何を話すか考えていなかったとは言えない。
「しばらく会えてないから、声だけでも聞こうと思って電話した」
鯉登が思っていた事をそのまま伝えて、明日も早いだろうとそのまま電話を切る。
今はこれで充分だと、声を聞いて更に会いたくなった自分を押さえつけるように、携帯を強く握った。
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