小説 | ナノ



▼4.5

 「あれ鯉登ちゃんじゃない?」
 白石が指差す先を見ると、確かに同級生の鯉登がいた。こちらには全く気づく様子もなく、駅の方へ向かって行く。
 その横には、何処かで見たことのある女性が歩いていた。
 「誰だろ?」
 「さあ」
 構内で見た記憶はない。どこで会ったんだったかと杉元が頭を捻らせていると、白石が強めに肩を叩いてくる。
 「痛えよ」
 「見てあれ!鯉登ちゃんの顔!」
 白石に言われ杉元が視線を動かすと、女性に笑いかけている鯉登が見えた。
 「あいつ、あんな顔できんのか」
 これ以上見てはいけない気がする。驚いた顔をしている白石を引っ張って、寮への帰り道を歩いて行く。

 翌日、いつものように講義室に入ると白石が鯉登に絡んでいた。
 「昨日鯉登ちゃん彼女と一緒だったでしょ」
 「彼女…?」
 明らかに不審そうな顔で白石を見る鯉登に、杉元も近づいて行く。
 「昨日女の人といるとこ見たんだよ」
 杉元の言葉に何かを思い出した様子の鯉登だったが、予想に反して首を振られた。
 「名前さんのことか?私の友人だ」
 「ええ〜?」
 納得がいかない声で返事をする白石だったが、鯉登は真顔で続ける。
 「私にここ周辺の店を教えてくれているんだ」
 優しいだろう、と言う彼の顔に嘘は見えない。
 あまり詮索するのも野暮だろうと、杉元が話を変える前に白石が口を開いた。
 「いいなあ、俺も案内してほしいぜ」
 3人とも地方組だから、まだここ辺りの土地は詳しくない。もちろん鯉登ほど世間知らずでは無いからある程度は分かるが、教えてもらえたらありがたいのは本当だ。
 「…嫌だ」
 「え、何?」
 普段あんなにハキハキと喋る鯉登から、蚊の鳴くような声が聞こえてきた。白石も聞き取れなかったようで耳に手を当てて聞き返す。
 「名前さんは私の案内で手一杯だ。他を当たってくれ」
 そう言って唇を真一文字に結ぶ鯉登に、思わず2人して顔を見合わせる。
 これだけ独占欲を出しておいて、友人だなんてよく言えたもんだ。
 「じゃあ今度鯉登ちゃんが案内してよ」
 「いいだろう」
 白石がへらりと笑いながら鯉登の肩を軽く叩いた。

 あれからしばらく経ち、日に日に元気が無くなっていく鯉登に気づく。あからさまにため息の回数が増え、ぼんやりしている事も多くなっていた。
 勉強を疎かにすることはないので支障が無いのが幸いだが、こうも様子がおかしいと気になってしまう。この間など食事の途中で停止し始めたので、寝たのかと思ったほどだ。
 「なあ、杉元」
 そろそろ相談くらいには乗ってやるかと杉元が思った矢先、鯉登から話しかけられた。
 「なんだよ」
 「女性を食事以外の場所に連れていくにはどういたらいい」
 至極真剣な瞳で訴えかけてくる鯉登の言葉を理解しようと脳内で噛み砕く。思い当たる人は1人しかいなかった。
 「名前さんか?」
 「もうすぐここらの店を大体回ってしまうらしい。…会えなくなってしまうだろう」
 頷く鯉登を思わず見つめてしまう。ようやく自覚したのかと、喉まで出かかった言葉を飲み込んでいる杉元の後ろから声がした。
 「そんな鯉登ちゃんにこれをあげよう」
 振り返ると、何かのチケットを差し出してくる白石がいる。
 素直に受け取る鯉登がチケットの文字を読み上げる。
 「水族館」
 「貰ったんだけど俺は行く人いないからさ、行ってきな」
 ピュウ、と謎の口笛を吹く白石と輝いた目で見る鯉登を交互に見た。
 「いいのか?!」
 嬉しそうに大きな声を上げる鯉登へ、同級生が声をかける。教授が呼んでいるらしい。
 「この礼は必ずする」
 白石に向けて話しかけた後、急いで講義室を後にする鯉登の後ろ姿を見送った。

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