小説 | ナノ



▼14

 何故彼がそんな事を言ったのか分からなかったが、どうやっても答えてくれなさそうな様子を見て名前は諦める。
 そして諦めた結果、事前にプレゼントを買っておこうと百貨店へ足を向けることにした。
 と言っても男性への贈り物など初めてで何を買っていいか分からない。名前がうろうろと店内を物色していると人の良さそうな顔で店員が近づいてくる。
 「何かお探しですか?」
 「はい。誕生日のプレゼントなんですが、何が良いかと思って」
 ニコニコと笑いかけてくる男性に頷いて答えると、少し考えるような素振りを見せた後に店内の一角に案内された。
 「予算にも寄りますが、比較的プレゼントとして選ばれるのはこちらですね」
 店員にお礼を言い、名前はずらりと並んでいる小物をゆっくり眺めていく。
 名刺入れはまだ使わないだろう。財布だと初めてのプレゼントとしては高いだろうか。
 思考が纏まらず立ち止まる名前の目が、1つのボールペンを捉えた。
 光の当たっている所が紫がかって見えるそれは、彼の髪の色によく似ている。
 「これだ」
 念のため値段を見ると、贈り物には丁度良い金額が記載されていた。
 店員を呼び、会計を済ませようと財布を取り出す。先程案内してくれた彼が商品を包んでくれるようだ。
 「どうぞ」
 丁寧に渡されたそれを慎重に受け取る名前の様子に、店員が緩やかに微笑む。
 「彼氏さん、喜んでくれるといいですね」
 名前の袋を持つ手に力が入った。
 「…そうですね!」
 ここで違うと言ってもややこしい。
 名前は笑顔を作って店員に頭を下げ、店を後にした。
 さて、これでいつ連絡が来ても対応できるとテーブルに上がっている紙袋を眺める。
 中々良い買い物が出来たと1人で自画自賛していると、先程の店員の言葉が脳内に反響してきた。
 思わず自分の顔を覆ってソファに仰け反る。
 「彼氏じゃ、ないんだけどな」
 口では言い訳をしていても熱くなる顔は正直だ。
 名前は顔から手を退けて上がった熱を冷ます様に手で扇いだが、あまり効果は無かった。
 こんなに鯉登の事を考えているなんて、彼が知ったら引いてしまうだろうか。
 ようやく落ち着いてきた頬の温度を確かめてから時計を見る。そろそろ寝なければ、明日の仕事に差し支えそうだ。
 紙袋をそっと棚に置いて、名前は静かにベッドへ向かった。


 『今週末空いてるか』
 職場で昼ご飯を食べていたら突然携帯が震えた。名前は箸を咥えながら携帯のロックを外して画面を確認する。行儀が悪いが、幸い休憩室には名前しかおらず、咎める人は居なかった。
 きた。
 差出人はもちろん鯉登である。前回の会話から大分経っており、いっそこのまま距離を置かれたのかと心配するほど連絡が来なくて焦ったのは秘密だ。
 『空いてるよ』
 簡素に返す言葉にすぐ既読がつく。向こうも携帯を見ながら食事しているんだろう。
 『19時に駅前で』
 絵文字も何もない文面が彼らしい。そういえば、鯉登に合わせて自分も文字だけの返事をしているなと履歴を遡る。見事に文字しかない。
 『わかった』
 返事を返した後、なんとなく可愛らしいスタンプを送った。すぐに気恥ずかしくなり、携帯をカバンに仕舞い足早にフロアに戻る。
 席に着いたら頭を仕事に切り替えなければ。名前は目の前の画面に集中するよう、深く椅子に座りなおした。

 数日なんてあっという間に過ぎていく。気がついたら約束の日になっていた。
 出勤する前に忘れずに手に取った紙袋を何度も確認する。
 約束の時間まであと少し。名前が腕時計を見ながら駅への道のりを歩いていると、すでに鯉登が立っているのが見えた。
 「鯉登くん!」
 こちらを見て軽く手を挙げる彼に駆け寄る。
 「久しぶりだな」
 「そうだね」
 おもむろに歩き出す鯉登に着いて行くと、ドーナツショップにたどり着いた。
 彼と初めに食事した場所だが、何故ここに来たのか。名前が鯉登を見上げると、視線に気づいたのか顔を見合わせて店内を指差す。
 「入るぞ」
 「ええ…」
 眉を顰める名前に憮然とした声が落ちてきた。
 「不満か?」
 「いや、鯉登くんの誕生日だよね?もっといいとこあるんじゃない?」
 どこに行ってもご馳走する気でお金を下ろしてきたのに、肩透かしを食らった気分である。
 「名前さんが出すつもりなんだろう」
 だったらここがいいと続ける彼に渋々従う事にした。
 数品選んで角の席に座る。周りは金曜日ということも相まって、お互い近かないと声が聞こえないくらいに大層賑やかだ。
 「お祝いにしては安くない?」
 「充分だ」
 そう言ってドーナツを食べる彼と、過去の自分が重なる。もくもくと美味しそうに食べる鯉登を見て、名前もドーナツに手を伸ばした。
 鯉登が先に食べ終わり、コーヒーを手にとって中身を見つめているのを確認した名前も最後の一口を飲み込む。
 口元を綺麗にしたところで、鯉登が話し始めた。少し乗り出して聞こえやすくしてくれる彼に耳を傾ける。
 「ここで名前さんと話した時から、きっと私は名前さんが好きだった。もう一度言うが、付き合ってくれ」
 心臓が五月蝿い。言われると覚悟してきた名前だが、いざ真剣な表情ではっきり言葉にされると、こんなに頭に響くものなのか。
 騒ぎ立てる心臓部分を右手で押さえつけて軽く深呼吸をする名前に、鯉登が不安そうに首を傾げる。
 「よ、ろしくお願いします」
 喋ると同時に頭を下げてしまって視界にはテーブルと空の器しか見えない。
 思った以上に消え入りそうな声になってしまったが、彼に届いただろうか。
 名前が頭を上げると、呆然とした顔の鯉登がいた。目の前で手を振る名前にも反応しない。
 これはどういう反応なんだ。
 「鯉登くん?」
 「本当か?!」
 恐る恐る声をかけると、やっと意識が戻った彼の爆音が鳴り響く。
 一気に周りの注目を集めてしまい、慌てて鯉登の口を名前の両手で押さえつけた。
 その体制で数秒止まると落ち着いたのか、鯉登が名前の手を外す。
 「良かった」
 安心したように笑う彼が余りにも幸せそうなので、自然とこちらも笑顔になる。
 「これからもよろしくお願いします」
 「ああ!」
 自分が鯉登に相応しいなんて思っていない。彼の周りには素敵な人が溢れているなんてこと何度も考えた。
 けれど、どうか彼の隣にいる時間が少しでも長くなりますようにと、願わずにはいられない。名前は結局、鯉登と離れることなんて出来ないのだ。

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