小説 | ナノ



▼12

 街が色とりどりのライトで鮮やかに彩られている。一際輝く大きなツリーの周りには、仲睦じい恋人達で溢れかえっている。
 そんな中を颯爽と通り過ぎる名前の頭には、空腹のふた文字しかなかった。
 師走の慌ただしさは何年経験しても慣れない。例年通りの残業続きで、名前の思考能力は低下していく。今はただ、ご飯が食べたい。
 煌びやかな街中を抜けても、人が減らないのは今日が金曜日だからだろう。飲み会帰りであろうサラリーマンや大学生らしきグループが次々と駅に向かっていた。どこもかしこも楽しそうな雰囲気を他所に、名前は先を急ぐ。
 そんな名前の前を歩く賑やかな集団の中に見知った後ろ姿を見つけて、自然と歩く速度が遅くなった。
 只でさえ忙しくて久しく会えていない状態だと言うのに、この疲れ果てた顔では彼に会いたくない。
 気づかれないようにその集団を避けようとした所で、鯉登に話しかける女性が目に入った。彼の表情は見えないが、女性は楽しそうに笑いかけている。
 同性の名前から見ても可愛らしいと思える女性と鯉登が並んでいるその光景を見た衝撃を、何と表現すればいいだろう。

 名前が気が付いた時には、すでに自宅のベッドに横たわっていた。手にレジ袋を持っているところを見ると知らないうちに食料は購入したらしい。食欲には抗えず、緩慢な手付きで弁当を取り出す。
 「お似合いだったよなぁ…」
 名前以外誰も居ない空間に、独り言が溶けて消えた。
 未成年だ、友人だ、なんて言い訳に過ぎないことは名前でも分かっている。いつか鯉登が、同年代の女性が良いと思い直す時が来るかも知れない。それが怖かった。
 今日見た女性はおそらく彼の事が好きなんだろう。遠目に見ただけでも好意が透けて見える程、彼女の行動は鯉登に向けられていた。
 案外しっかり観察していた自分が恐ろしい。
 例えば同じ歳だったらあの女性と同じ行動を取れるかと言うと、名前には無理だ。
 あんなに近づいて笑いかけるなど、自分に自信がある人にしか出来ない芸当である。そして大抵の男性はそんな女性と恋に落ちるのだろう。
 彼も、そうだろうか。
 様々な憶測が名前の頭の中をぐるぐると巡るが、結論は出なさそうだ。
 確か、鯉登はもうすぐ帰省すると言っていたはず。会うのはしばらく先になるだろう。
 気持ちに整理をつける為の時間があると、名前は一度深呼吸をしてから食事を始めた。
 普段の半分以下の速さで箸を口に運び携帯に目を向けた瞬間、見計らった様に着信が鳴り響く。名前が慌てて口の中の物を飲み込み通話ボタンを押すと、今まで考えていた彼の声が耳に飛び込んで来た。
 『すまない。寝ていただろうか』
 お互いの連絡手段として、電話を使われたのは初めてだった。思いのほか近い声に、名前の携帯を握る手に力が入る。
 「大丈夫、起きてたよ」
 名前が返すと電話口からほっとしようなため息が聞こえた。
 何かあったのだろうか、鯉登が喋り出すのを待つが一向に話す気配がない。
 「どうしたの?」
 暫し無言が続いたため名前から切り出すと、なんて事ないような声で彼が話し出す。
 『しばらく会えてないから、声だけでも聞こうと思って電話した』
 じゃあ、と言われてすぐ切られた電話を、名前は呆然を見ることしか出来なかった。
 「ずるい」
 思わず口を突いた不満も、切れた電話の前では意味が無い。
 先ほどまで名前の頭を巡回していた暗い思考が霧散していく。
 彼の行動も充分好意が伝わるところが凄いところだと、いつもの速さで食事を再開すると、味気の無かった弁当がとても美味しく感じられる。
 現金な奴だ、名前は1人で小さく笑った。

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