小説 | ナノ



▼11

 嬉しそうな顔をする鯉登が眩しい。一方こちらはこれから仕事という事も相まって、憂鬱なオーラを出しているに違いない。
 「これからお出かけ?」
 ひとまず笑顔で話しかける名前に、鯉登が元気よく答える。
 「そうだ!名前さんもか?」
 「…だったら良かったよね」
 せっかくの笑顔が、死んだ目によって台無しになったようだ。鯉登の背から横にずれた彼も含めて、2人分の視線が痛い。
 「…仕事です」
 「そのようだな」
 これから遊びに行く彼らに申し訳ないが、疲れた雰囲気を出すことを許してほしい。
 ふと、顔に傷のある男性が自分のカバンを開け、何かを取り出した。
 「これ、どうぞ」
 名前が手を差し出すと、数個の小さなチョコが落ちてくる。
 「ありがとう!」
 なんと優しい人だろう。名前がチョコをカバンに入れて彼らに向き直ると、鯉登が男性を睨んでいた。
 「杉元、貴様…」
 名前が今まで見たことが無い様な鋭い視線に、思わず固まってしまう。
 「疲れた時には甘いものだろうが」
 そして杉元と呼ばれた男性も何故か鯉登を睨む。これから一緒に遊びに行くとは思えない空気が流れているが、名前が時計を見るとそれどころでは無いことに気づく。
 「ごめん!もう行かないと」
 このままにしておいて大丈夫か不安だったが、駆け出すように職場に向かう名前に手を振る彼らを見て、あれは良くあることなんだなと勝手に納得した。


 2人に別れを告げて名前が職場に着いたときには、既に月島が仕事を始めていた。
 「月島さん!遅れてすみません!」
 慌てて謝る名前に気づいた月島が顔を上げる。
 「いや、俺も来たばかりだ。今日は悪いな」
 「大丈夫です。早く片付けちゃいましょう」
 素早くパソコンを起動し席に着き、腕まくりをする名前を見て月島が笑った。
 「そうだな」
 手を動かし始めた2人の間に、暫く沈黙が訪れる。フロアには数名名前達と同じ作業で出勤しているが、キーボードの音しかしない。早く終わらせて帰りたい、全員の心が1つになっているようだった。
 ひと段落した名前が手を止め窓の外を見ると、鮮やかな夕焼けが目に突き刺さる。
 隣にいたはずの月島は、いつのまにか姿を消していた。
 「え、先帰った?」
 まさかそんな、月島に限って有り得ない。ちらりとパソコンの電源を確認すると、まだ起動している。
 「どうした?」
 「うわっ」
 突然後ろから声を掛けられて名前の口から情けない声が上がってしまった。振り返ると、探していた人物が何かの袋をぶら下げて立っている。
 「まだかかるだろ。食べ物買ってきた」
 ドサドサと置かれる食品類に呼応するように、名前のお腹から音がなった。
 「…いただきます」
「ああ」
 おにぎりを手に取る名前を確認した後、月島は他の職員にも声を掛けに行く。多いと思ったら全員分買ったらしい。
 「さすが月島さん」
 思わず彼に向かって拝むと、また不審者を見る目つきで返された。

 結局深夜付近まで全員残ることになってしまう。何とか終わり名前が立ち上がると、月島が見上げてきた。
 「気をつけて帰れよ」
 彼は最終確認をしなければならず、まだ帰れない様子だ。心苦しいが、とにかく帰って寝たい。
 「はい。すみませんが、お先に失礼します」
 頭を下げて挨拶し、扉を開けた。
 流石に陽が落ちると肌寒い。名前は羽織っているカーディガンの前を閉じてから歩き出す。
 携帯を取り出すと、鯉登からメッセージが来ていた。
 『大変だろうが頑張れ』
 併せて乗せられている画像を見ると、何故か顔面にボールが当たっている杉元が写っている。
 「なぜ」
 昼頃送られたらしいそれを見て、じわじわ笑いがこみ上げてきた。
 今更だが返事をしようと名前が文字を打ち込む。先ほどまでの疲労感なんて、どこかに飛んで行ってしまった。

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