小説 | ナノ



▼9

 どれくらい見つめ合っていたか分からないが、会場が俄かに騒がしくなり始めているのに気がつく。次のショーが始まるんだろう。
 「場所変えよっか」
 鯉登の手を引きながら、名前の頭に浮かぶのは水族館の地図だ。確かすぐ右に飲食スペースがあったはず。
 隅の方に空いているテーブルを見つけ、向かい合わせで座ると名前から口を開いた。
 「鯉登くんって今いくつだっけ?」
 きょとん、と効果音が聞こえてくるような顔で鯉登が目を瞬く。
 「19だが」
 思わず額に掌を当てて俯く名前からポツリと言葉が零れ出る。
 「わっか…」
 そう。彼はまだ未成年の男の子なのである。先ほどはその場の雰囲気に流されそうになったが、冷静に考えて犯罪だ。
 「だから何だ」
 名前の呟きを聞いて不満そうに顔を歪める鯉登に向き直る。
 「気持ちは嬉しいんだけど、ほら、大学にもっと若くて可愛い女の子いるでしょ」
 アラサーの女に構っている場合ではない、と言外に伝えるも彼は更に眉を顰めるだけだった。
 「私が名前さんを好きだと言っているんだ。大学は関係ないだろう」
 「お、おお…」
 会った時から思っているが彼は本当に意思がはっきりしている。
 「私のことが嫌いならそう言ってくれ」
 辛そうな声でそんな事言うなんてズルくないか。名前の庇護欲が刺激されていく。
 「嫌いじゃないよ」
 「じゃあ好きか」
 「…まあ、はい」
 好きか嫌いかで言われたら、好きと答えるしか名前に選択肢はない。そもそも嫌いだったらお店巡りなど提案しなかっただろう。
 「それなら」
 「そんな単純な話じゃないの」
 彼の言葉を遮り、まくし立てるように話しだした。
 「きっと、上京して初めて優しくしたのが私だったからそう思うの。鯉登くんはまだ若いんだし、これから色んな出会いがあるよ」
 最後は優しく諭すように語りかける名前だが、鯉登の表情は和らがない。
 「この先どれだけ出会いがあろうと、名前さんでなければ意味が無い」
 ぐらり、と心が揺さぶられる。こんなに真っ直ぐ好意を伝えられたのなんて初めてだ。
 しかし、名前の大人としての部分がしっかりしろと警告する。
 「未成年は、無理です…!」
 絞り出すような声で吐き出した。名前の言葉を聞いて、俯く鯉登が見える。
 しばらく無言が続き、傷つけてしまったかと名前が焦り始めた時にようやく鯉登が顔を上げた。
 「わかった」
 顔を上げた彼の表情に、陰は見えない。良かったと肩をなで下した。走る胸の痛みには、気のせいだと言い聞かせる。
 「成人したら、もう一度言う」
 「んん?!」
 思ってた返事と違う。名前は自分の耳を疑った。
 「確かに未成年と社会人だと悪く言われるのは名前さんだな。配慮が足りなかった」
 すまない、と言う鯉登に名前の思考が追いつかない。
 「いや、ちが…」
 「年齢以外に断る理由があるなら言ってくれ」
 そう言われて言葉に詰まる。年齢以外にあったらとっくに言ってる事くらい、彼もわかっているだろう。
 「それまでは今まで通りの友人で頼む」
 名前が口を挟む余裕も無い。彼の中ではすでに決定事項なのだ。
 「はい…」
 よく分からないことになってしまったが、ひとまず彼との友人関係は続くらしい。

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