小説 | ナノ



▼7

 あっと言う間に2日が過ぎ、約束の日になってしまった。
 名前は床に散らばる大量の衣類から目を逸らし、ハンガーに掛けてある一式を手に取る。普段は平日に会うため仕事用の服しか着ていなかったが、今日は土曜日だ。
 とりあえず身なりは綺麗にしなければと、今までに無い程真剣に服を選んでしまった所為で散らかしっぱなしにしてしまった服たちに、後で片付けるからと内心言い訳をしながら支度を終えた。
 いってきます、と名前はいつもの癖で誰もいない部屋に投げかける。玄関を出る前に鏡で自分の全体を再確認してみたところ、特に変なところは無い。扉を開けて、静かに鍵を締めた。

 早すぎただろうか、腕時計を見ると約束の時間の30分前を指している。近くのコーヒーショップで時間潰しでもしようと顔を上げた名前の視界に、見慣れた人物が飛び込んできた。
 先ほどの名前と同じように、腕時計に目を移したり周りを見渡したりしている鯉登がいる。
 私が言うのも何だが、早いな。
 近づこうと足を踏み出したところで、2人の女性が鯉登に話しかけているのが見えた。
 何を話しているかここの位置からでは分からないが、彼の表情を見るに友人では無さそうだ。しかし喋っている手前邪魔をするのも、と名前が固まっていると鯉登と目が合ってしまった。
 「名前さん!」
 大声で名前を呼ばれてしまっては行くしかない。手前にいる女性2人の突き刺さるような目線が痛いが、無理矢理笑顔を作って彼の方へ向かう。
 「お待たせしました」
 名前の控えめに挙げた手と何となく出た敬語を気にした様子もなく、鯉登が笑った。
 「私も来たばかりだ!」
 彼の眩い笑顔に思わず両手で目を覆う。
 「どうかしたか?」
 「…何でもない」
 一拍置いて手を降ろすと、鯉登が女性達の方へ振り返った。
 「では失礼する」
 彼女らの返事を聞く前に身を翻し歩き出す彼に慌てて付いて行くと、名前をちらりと見た後歩調を緩めてくれる。
 「ありがと」
 歩幅が大幅に異なるため、彼に合わせて足が縺れそうになっていたところだ。隣に並び話しかけると、鯉登が少し目を見開いた。
 「何かいつもと違うな?」
 歩きながらまじまじと見つめられる視線に、居た堪れなくなって肩を竦める。
 自分では普通にしてきたつもりだが、もしかして何処か変だろうか。よく考えると最近の服飾事情など知らないし、学生と社会人では好みも違うだろう。
 「変かな?!」
 名前は無意味に服を軽く叩く。服のセンスが壊滅的だとか、ヘアアレンジが下手だとかだったらどうしよう。
 「いや、変ではない」
 軽く手を振って答える彼に胸をなで下ろした。
 「良かった」
 普段見ない服装だから物珍しかったのだろうという名前の言葉に、鯉登が納得したように頷く。
 「いつもよりむぜて思うたんじゃ」
 うんうん、と頷く彼の言葉が分からないが褒められている気がしたので、名前は曖昧な笑顔を返した。
 「ちょっと早いけど行こうか?」
 名前が指差す先には目的地行きのバスが停まっている。予定より数本早いバスだが、特に問題ないだろう。
 「そうだな」
 名前がICカードを翳して車内に入ると、鯉登が真顔で機械を見ていることに気が付き察した。
 「カード持ってなかったらここの券を引いて、後で現金で払うんだよ」
 「…!助かる」
 やはりバスの乗り方を知らなかったのか。いつも名前と帰るときに駅まで来ているからICカードは持っているものと思っていたが、どうやら違うらしい。
 二人で座席に掛け、バスの発車を待つ。
 「水族館なんて久しぶりだな。楽しみ」
 「私もだ」
 すぐに扉が閉まり、バスが動き出した。

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