小説 | ナノ



▼5

 最後は豪華にお寿司にしようか、と帰り道で声をかけたのは名前だった。不思議そうに首を傾げる鯉登に両手を軽く振りながら話し続ける。
 「お寿司って言っても回転寿司の方ね!」
 「回転…?」
 まるで初めて口にする言葉であるかのように名前の言葉を繰り返す彼の姿に、同じように首を傾げてしまう。
 「回転寿司…知らない?」
 「寿司が回るのか?」
 彼と話していると驚きが尽きない。まさか回転寿司を知らない人か世の中にいるとは思ってもみなかった。
 ちょうど改札にたどり着いた名前は、ICカードを取り出しながら鯉登に笑いかける。
 「行ってからのお楽しみってことにしよう」


 そしてとうとう、最後の日が来てしまった。
最早週一の癒しと言っても過言では無いくらい、鯉登との食事は楽しかった。全て安価が売りのチェーン店ばかりであったが、それが逆に気負わなくて良かったのかもしれない。
 少しでも彼の上京生活が円滑になっていれば嬉しいと思うのは、きっと親心だろうと一人で頷く。隣の席にいた月島が不審者を見る目つきでこちらを見てきたが、気づいていない振りをした。
 「お疲れ様です」
 名前はフロアに残っている人に声をかけて玄関へ向かう。携帯には、珍しくまだ連絡は来ていなかった。時間も余裕がある事を確認し、心持ちゆったりと歩き出す。
 8月も終わりに差し掛かったが、陽が落ちても纏わり付くような気温に若干疲弊する。暑いのは得意ではない。
 「ビール飲みたい」
 一応鯉登くんと言う未成年の手前、何となく飲酒は控えていたが今日くらいはいいだろうか。
 名前が思考を巡らせている間に、集合場所に着いてしまった。行き交う人を見ても目的の人物は見当たらない。自分のカバンから携帯を出してみるも、特に連絡は来ていなかった。
 本当に珍しいなと、名前から連絡をするとすぐに返事が返ってくる。
 『少し遅れる。すまない』
 簡潔な文字に彼らしさが滲み出ている気がして自然と口角が上がる。
 『わかりました』
 こちらも簡単に返し、ベンチに腰掛けた。

 携帯を見たり、周りの風景を眺めたりしていると遠くから走って来る人が見える。
 走ってる人って結構目立つな、などとどうでもいい事を考えてしまった。
 「待たせてすまん」
 「大丈夫、行こうか!」
 全く息を切らしてしない鯉登くんに、これが若さかと今までの自分の醜態を思い出してしまう。せめてもっと体力をつけようと、名前は小さく決意した。
 「ここです」
 ビシッと効果音が付くような勢いで名前が手を前方に伸ばす。
 「じゃあ、入ろうか」
 「ああ」
 水曜日ということもあってか、すんなり席に案内された。座ってからもキョロキョロと周りを見渡す鯉登に、名前が小さく手を挙げる。
 「まず、注意事項です」
 「はい」
 大人しく向き直る彼に、真剣な顔をしながら蛇口を指差した。
 「ここはお湯が出ます。熱いから気をつけてね」
 名前は説明しながら湯飲みを2つとり、お湯を注ぐ。そのまま1つを鯉登の方へずらす。
 「なるほど」
 「後は食べたいものをここのタッチパネルで注文するか、流れてくるやつを取るかします」
 寿司が流れてくるレーンを眺める鯉登が真面目な顔をして頷いた。
 「わかった」
 「私は基本注文で済ますけど、あとは好みかな」
 喋りながらパネルを操作すると、面白そうに彼が覗き込んで来る。
 「私もやっていいか?」
 キラキラした目で見てくる彼を止める人はいるんだろうか、名前はすぐさま彼にタッチパネルを明け渡した。

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