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▼異文化コミュニケーション

軍曹視点※ネームレス

 最近、鯉登少尉の様子がおかしい。
 普段から鶴見中尉を前にしたときの挙動を見ているから気付くのが遅れたが、記憶を遡ると2週間ほど前から異変があったように思う。
 今日も朝早くから街に向かったようだ。
 自分としては職務に影響が出ない部分までを知る必要はないため、そのまま放っておくことにした。

 早朝に出て行く少尉を放置してからしばらく経ったある日、昼飯に誘われた。
 どうやら行きつけの飲食店が出来たらしいが、店名を聞くと聞き覚えのない名前だった。
 大通りを1つ外れた道にあると言うので、所謂穴場らしい。
 鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌の良い少尉と共に店へ向かった。
 賑わう大通りを1つ外れるだけで喧騒が遠のくように感じる。
 「ここだ」
 カラカラと音を立てて扉を開くと、ふわりと出汁の香りがした。
 「いらっしゃいませ!」
 溌剌とした声が聞こえたと思うと、1人の女性が小走りにやってくる。
 「鯉登さんがお昼にいらっしゃるの珍しいですね」
 にこにこと愛想の良い店員に席に案内され、品書きを渡された。
 「お決まりになりましたらお呼びください」
 そう言って背を向ける店員を目で追う少尉の姿を見て察する。
 なるほど、彼女に会うために朝こちらで食事をしているのか。
 図らずも上司の恋心を知ってしまったが、何事も無かったように品書きに目を落とす。
 「月島は決まったか?」
 ちらちらと彼女の様子を見ている少尉に急かされ、短くまだですと答えた。
 それにしてもこの人、分かりやすすぎではないか。
 初めて見る自分が気づくのだから、本人にも知られているのではないか。現に、常連であろう客たちが生暖かい目線でこちらを見ている。
 思考を飛ばしかけたが空腹が食事を促す。とりあえず目についた物を頼もう。
 「私は日替わり定食を。少尉はお決まりですか」
 「私もそれにしよう」
 よく通る声で店員を呼ぶと彼女がやってくる。
 「お伺いしたします」
 「日替わり定食を2つ」
 「かしこまりました。少々お待ちください」
 丁寧にお辞儀をしてから厨房へ向かう彼女を見て、なるほど気立ての良さそうな女性であるとつい観察してしまった。

 食事を終え会計に向かうと先ほどの女性が受け付けてくれた。そもそも店員は彼女しかいないので当たり前である。
 「今日もうまかった」
 「ありがとうございます。大将に伝えておきますね」
 相変わらず愛想のいい彼女から釣り銭を受け取る少尉の顔に赤みが差す。
 正直自分の上司の恋愛事情を直視するのは居た堪れない。
 「そいにしてん、今日はよか天気じゃな。外に出かくっにはよかね」
 誘い方下手か。
 「お天気ですか?今日は1日晴れるらしいですよ」
 微妙に会話がずれてる。
 「明日も天気が良かごたるが、おいとどこかに出かけんか」
 この人誘うのに必死で部下の存在忘れてるな。ふと周りを見ると常連客たちが先ほど同様に優しい目で見ている。
 もしかして、似たようなやり取りを来るたびにやっているんだろうか。
 「明日も晴れるんですね。お店も1日開いてるので良かったら来てください」
 また会話が微妙にずれている。そしてここで1つの可能性にたどり着いた。
 彼女は少尉の言葉を理解していないんじゃないか。
 よく見ると少尉の話を聞いてる時に、一言一句聴き逃すまいと必死に耳を傾けているようだ。おそらく聞き取れた単語から会話の内容を必死に推理しているのだろう。涙ぐましい努力である。
 「仕事なんか、ではまた明日来っ」
 そして少尉は話すのに集中しすぎて、会話の微妙な齟齬に気づいていない。
 今何を見せられているんだ。思わず遠い目になった。

 店から出て帰る道すがらに少尉がぼそりと呟く。
 「店が忙しいと大変だな」
 店が忙しいのもあるでしょうけど意思疎通がうまく出来てないのが一番の原因ですよと、年下の上司に言う気力は残っていなかった。

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