小説 | ナノ



▼本末転倒ブロマイド

 春うらら、という言葉がよく似合う昼下がり。
 「今日のはな!月島から貰ったものなのだが!」
 名前は見ず知らずの方のブロマイドを見せられている。

 目の前の彼、鯉登少尉と会ったのは数週間前だった。なんのことはない、ただすれ違っただけだ。
 隣の男性と話しながら歩いていたから気づかなかったのだろう。はらりと落ちたそれを拾い、少尉に渡した。
 それの何がいけなかったのか。
 「素敵なお写真ですね」
 などと渡すときに言ってしまったが為に、彼の心に火を着けてしまったらしい。
 「そうだろう!こちらに映っていらっしゃるのは鶴見中尉と言ってだな!!」
 語気が強い。喋り続ける彼に適度に相槌を打ち続けて暫く立った頃、ようやく隣の男性が声を掛けてきた。
 「鯉登少尉、そろそろ行かなくては」
 「!ああ、そうだな」
 もっと早く言って欲しかったよその言葉。今日一日で、名前の脳内に鶴見中尉の情報量が著しく増えた。
 「ではまた」
 満足した様子で写真を胸ポケットに入れて立ち去る彼に手を振り、背中が見えなくなる頃に気づく。
 「またって言ってなかったかあの人」
 そうして、ブロマイドが更新される度に名前のところに来ては、自慢と中尉の話に花を咲かせて帰るという習慣ができたようだ。
 未だお会いしたことのない鶴見中尉の情報だけが名前の中に積み重なっていく。
 「素敵な方ですね」
 「当然だ」
 ふふん、と誇らしそうに笑う彼を見てこちらも笑う。
 最初は勢いに押されて聞いていただけだったが、楽し気に話す彼を見てるとこちらも楽しくなってくる。最近は少尉が来ることを期待するようになってしまった。
 そんな彼が、来なくなってから暫く経つ。
 自分と話すのは飽きてしまったのかな、なんて少し悲しい気持ちになりながら名前がゆっくり道を歩いていた時だ。曲がり角を曲がった瞬間、人にぶつかった。
 「ごめんなさい!」
 「!すまん」
 下を向いていた自分が悪い。慌てて前を見ると、鯉登少尉がいる。
 お互いに驚いた顔をしているんだろう。暫く沈黙が続いたが、少尉が申し訳なさそうに話し出した。
 「会えて嬉しいが、新しい中尉殿のブロマイドがなくてな…」
 そんなに私に新作を見せたいのか。
 「月島に頼んでいるのだが中々渡してもらえん」
 多分今までの物も月島さんとやらが用意してるんだろう。お疲れ様です月島さん。
 「お前と話せる時間が無くて少し退屈だ」
 名前が月島に心の中で敬礼している間に、聞き捨てならない言葉が聞こえた。
 「私と話すの楽しいんですか?」
 「ああ」
 誰でもいいから中尉殿の話しをしたいのだと思っていたが、そうでもないらしい。
 「お写真がなくても、お話しに来てくださっていいんですよ」
 名前がそう言うと、少尉は理解した様に深く頷いた。
 「そんなに中尉殿の話が聞きたいと言うのだな」
 ちょっと違うが、今はそういうことにしておこう。
 「…そうですね」
 「わかった」
 ではまた、と言って歩き出す少尉に向かって頭を下げた。
 あなたとお話ししたいだけなんですよ、と言える日は来るだろうか。すでに小さくなっている背中を見つめてから、名前も歩き出した。

▼back | text| top | ▲next