小説 | ナノ



▼さよなら向日葵□

 照りつける太陽に肌を焼かれる感覚が懐かしい。名前は麦わら帽子を深く被り直し、キャリーバッグを持ち直した。
 「元気かなあ」
 毎年、夏になると祖父母の家に遊びに行くことになっている。今年は両親の都合がどうしても合わず、それならばと名前1人で飛行機に乗ってやってきてしまった。
 もちろん祖父母に会いたいという気持ちもあるが、名前の目的はもう一つ。
 「来たか!」
 太陽を背に笑う彼、鯉登音之進に会いに来た。
 「久しぶりだね」
 荷物を祖父母の家に置き、鯉登と2人で海岸線をのんびり歩く。
 昔は海でも山でも一緒にで走り回っていたが、お互い落ち着いたものだ。
 「ちょうど一年ぶりだな」
 飛行機での距離を、学生の名前たちはそう簡単に越えることができない。
 「そうだね」
 この距離のせいで、自分の気持ちを伝えることを躊躇ってしまう。
 名前が隣を見上げると鯉登の視線とぶつかった。そして去年までしていなかった見上げる、という行為をしていることに気づく。
 「音之進くん、背伸びた?」
 「わかるか」
 5センチ伸びた、と得意げな表情を浮かべて名前の頭に軽く手を置く。
 「去年と逆だな」
 確かに去年は名前の方が背が高かった。と言ってもほとんど変わらないくらいだったはずだが、鯉登が膨れっ面をして拗ねていたことを思い出す。
 こうして自分の知らないうちに彼は成長していくんだな。少し物悲しい気持ちが、名前の心の中に落ちてきた。
 「そうだね」
 そんな自分の気持ちを覆い隠すように、無理やり鯉登に笑顔を向ける。

 時の流れは残酷だ。特に楽しい時間というものは光の速さで過ぎ去っていく。
 元々お互い受験生という身のため名前は3日しか滞在できず、彼には夏期講習が入っていた。
 鯉登が時間を作ってくれなければ、会うことすら無かったかもしれない。
 私は、今日の夕方の便で帰る。
 最後にと、鯉登が名前を連れてきてくれたのはひまわり畑の迷路だった。
 「懐かしかじゃろ」
 「ほんとに懐かしいね…」
 2人して迷って泣いたのはいつだっただろう。
 「入るか!」
 「うん!」
 今でも先が見えないくらい高い花たちを前に、2人で駆け出した。
 右、左、右と適当に歩いていくと案の定行き止まりにたどり着き、どちらともなく笑い出す。
 今度はちゃんとしようとゆっくり歩くと、出口が見えてきた。
 「今日の夕方か、飛行機」
 「そうだよ」
 また来年、なんて本当は言いたくない。
 急に鯉登が立ち止まる。釣られて名前も立ち止まった。
 「帰るな」
 言葉と共に強い力で引き寄せられる。
 「ずっと、此処にいればいいだろう」
 抱きしめられていることを理解するのと同時に、胸が締め付けられるような声が落ちてくる。
 私だって、一緒にいたい。だけど、そんなこと出来るはず無い。
 離れたくないという気持ちに必死で蓋をして、震える手で鯉登を押し返す。
 「ごめんね」
 顔を見たら泣いてしまう。名前は下を向いたまま出口へ駆け出した。
 気がついたら飛行機に乗っていて、眩しい日差しに涙が溢れていた。

 その後は受験勉強もあり、連絡を取ることがないまま名前は大学の合格発表を見に来ていた。
 あの日の出来事を忘れるように勉強に集中したお陰で、筆記試験に心配はない。
 心臓が飛び出るかと思うくらい緊張しながら掲示板を見つめる。
 「あ!」
 あった。飛び上がりたい衝動を抑え、足早に去っていく名前を気にする人は誰もいない。
 駅に向かって歩く道すがら、親に連絡をとる。電話口の向こうから、2人の嬉しい悲鳴が聞こえた。
 今日はお祝いにご馳走だと母の言葉に喜んでいると、名前の視界に見覚えのある褐色の肌が見えた。
 まさか、こんなところに居るはずがない。
 そう思いながら顔を上げると、あの夏の日に会った頃と変わらない彼が笑っている。
 名前は耳に寄せていた携帯を下ろし、彼に向かって走り出す。
 両手を緩やかに広げているところに飛び込んだ。
 「来たぞ!」
 得意げな表情の鯉登に、名前は今日一番の笑顔で出迎えた。

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