あの人の心臓を握ってるのはどいつだ?(hzbn/アラスター)


最悪だ。
今までの人生の中で、今日が1番最悪の日だと言っても過言では無い。
後にも先にも、今日のような日は訪れないと言っても良い。
ハズビンホテルに、あの嫌な笑みを浮かべた赤い悪魔が現れるとは思ってもいなかった。


この男に私は良い感情を抱いていない。
数十年前、地獄に堕ちてきたこいつは支配者として君臨していた上級悪魔達を次々と虐殺し、その様子を自身のラジオ番組で放送したのだ。
とても褒められたものではない趣味を持っている。
いや、この地獄の住人に褒められるような趣味を持つ悪魔が居るとは思えないけれど。
死に行く悪魔達の悲惨な断末魔が地獄に響き渡り、皆が彼を恐れ慄いた。
いつ流れるか分からない悪趣味な放送に、反吐が出そうな毎日を送っていたのを覚えている。
彼の悪趣味さに、辟易していたのだ。
可能であれば、というよりも対峙しないように生きてきたつもりだったのだけれど、この男は何を企んでかハズビンホテルへやってきた。
悪趣味極まりない男がこの廃れたホテルにやってくるなど、どうせ碌でも無い考えを持っているに決まっている。
旧友のルシファーから娘の様子を見ていて欲しいと頼まれ渋々ホテルへ滞在していたのだけれど、今日程頼みを飲んでしまった過去の自分に後悔したことは無い。
それでも頼まれた身だ、一先ず報告はしといてやろう。
ついでに今日付けで娘のお世話係を降りると告げたいところだけれど、彼のチャーリーに対する溺愛さからしてイエスの3文字を貰える確率は到底低い。
そうなると娘に危害が及ばないように、気を配らなければならない。

「こんばんは、不機嫌そうなお嬢さん」

これから先の生活に頭を悩ませながら廊下を歩いていると、背後からマイクを通したような独特な声が聞こえた。
嫌々ながらも振り返るとそこには予想した通り、三日月のように口角を上げた赤い悪魔が立っていた。

「…こんばんは、アラスター」
「君はいつもそんな顔をしているのですか?いつ何時も笑っていたほうがお洒落ですよ」

この男の笑みからは相手を何処か小馬鹿にしたような、蔑むような、そんな嫌な感情が読み取れる。
むっとしてしまいそうになるのを抑えたつもりだったが、自分の目元がぴくりと微かに動くのを感じた。
…自分で思っていたよりもこの男に対して嫌悪感と苛立ちを感じているらしい。
あまり同じ空間に居たくない。

「そうね、努力してみるよ」
「何か急ぎの用事でも?」
「どうかな、急いでいるかもしれないね」
「そうですか、それなら私とお喋りしましょう。お喋りは楽しいものでしょう?」

それに、まだあまり貴方のことを知らないものでね、と付け足したアラスターに思わず逸らしていた視線を向けてしまう。
彼と目が合うと、一層笑みが深まった。

「人の話聞いてた?まさか耳が聞こえないとか?」
「ご安心を。しっかりと聞いてましたよ、用事があるかもしれないと」
「じゃあ」
「このホテルに今は客人は一人も居ない、なんとも廃れた寂しいホテルだ。ではそんなホテルで今すぐ足さなければならない用事があるのでしょうか?」

ああ、あるとも。
ルシファーにこの男のことを知らせなければならない。
のだけれど、余計な詮索はされたくないという気持ちが上回っている。
このまま立ち去るのも一つの手だが、着いて来られてはどうしようもない。
…今頃自宅に引き篭っている彼の鬱々とした姿が目に浮かぶ。
また下らないアヒルでも作っているのだろうか。
アラスターの存在を知った彼と、知らせなかった彼と。
どちらが良いかとこれまた頭を悩ませる選択だが、知らせなかったときのことを考えるとより一層鬱々としてしまいそうで、その陰鬱な感情が私にまで移ってしまいそうだ。
だが問題は目の前のこの男である。
悪趣味なことは言わずもがな知っているが、それ以外の情報が少ない。
それ故に、どう動くのか予想出来ない不明瞭な部分が多い。
…私が辿り着いた答えは、彼に背けていた体を向けることだった。

「"用事"とやらを後回しにしてくれて嬉しい限りです」
「手短に頼めると助かるのだけど」
「おや、それでは単刀直入に聞きましょう。何故貴方のような悪魔がここにいるのですか?」

言葉通り手短に済ませようと思っていたのだけれど、彼からの問いかけに早々に言葉を詰まらせてしまった。
そっくりそのままその言葉を投げ返してやりたいところなのに、彼の言葉の真意が読み取れずにいる。

「…どういう意味?」
「言葉通りの意味ですよ。そこら辺の悪魔とは違うように見えたものでね」

出会ってまだ1日も経っていない、会話するのも今が初めての筈だが、彼は私が他の悪魔と違う点があると指摘してみせた。
思い当たる節があるが故に、私は次の言葉をどう吐き出そうか考える羽目になっている。
彼に、ルシファーに繋がっている鎖が引っ張られるような感覚に陥る。
私の考えすぎだろうけど、ヘマをするなと言われているような気がする。
柄にもなく少し焦っている自分が居るのだ。
まさかそんな所を突かれるとは思っていなかったというのが正直なところだった。
地獄の王、ルシファーと契約関係にあるというのは、確かに他の悪魔と契約を結ぶのとは訳が違う。
私自身誰かを縛るのも縛られるのも好きではないのだが、彼とは訳あって契約を結んでいる。
理由は…思い出したくもない。
だからこの男に知られる訳にはいかないのだ。

「ふむ…貴方のような力のある悪魔でも、誰かさんの"ペット"のようですね」

ゆっくりとこちらへ近付いてくるアラスターの表情には、やや陰りが落ちていた。
余計に彼の嫌な笑みが深まって、不気味さを醸し出している。
彼は私の前まで来ると立ち止まり、目を細めた。

「ご主人様は今どちらへ?」
「私が言うとでも?」
「タダでは言わないでしょうねぇ、ですが」

そこで口を閉ざしたアラスターの赤い瞳が目尻へ動く。
背後には先程彼が入ってきたドアがある。
その先は大広間になっていて、今はまだ皆がいるのだろう。
チャーリーやヴァギー、エンジェルの声がくぐもってこちらへ届いている。
…この男は何処までも性格がよろしくないらしい。

「暴れるつもり?」
「まさか。私はチャーリーの手助けをしたくてここに来たのですよ?」
「今の貴方からそんな様子は伺えないけど」
「貴方次第といったところでしょうか」
「…どういう意味かな」
「交換条件といきましょう、私は貴方に興味がある。そこで貴方はご自身のことを教える代わりに、私はあのお嬢さん方には手を出さない。悪くない条件でしょう?」

首を傾げるアラスターからラジオのノイズのような音が鳴る。
悪くないどころではない、最悪だ。
彼がここに姿を現した時点で私の気分は地の底へ落ちたというのに、更にどん底へ突き落とされた気分だ。
元々良い印象も持っていないのに。
頭の中で自分の情報とチャーリーを天秤へかけてみる。
…いや、かける必要も無かったか。
彼との契約がある限り、私の選択肢は最初から一つしか残されていないのだ。

「…本当最悪」
「良い顔ですね!貴方の表情は見ていて飽きなさそうだ。今日は夜も遅いですから、今度ゆっくりお聞かせ願いましょう」

よろしくお願いしますね、なまえさん
彼は私の耳へ口を近付け耳打ちする。
顔を離したアラスターと目が合った私は嫌悪に満ちていただろう。
そんな私に彼は酷く楽しそうに笑うと、ご機嫌とでもいった様子で踵を返した。
鼻歌と彼の背中が大広間へのドアへと遠ざかっていく最中、ふとアラスターが振り返る。

「おっと、この事はご主人様へは秘密ですよ」

弧を描く唇の前へ、アラスターは人差し指を立てる。
私の唯一の手段も奪われてしまったところで、彼はドアの向こうへと姿を消してしまった。

「…ルシファー、恨まないでよ」

私は浮かんだ彼の顔を頭の片隅へ追いやり、アラスターの後を追いかけた。



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