店を出て、そこでもうさよならしたかった名前だけど、「次どこ行くー?」なんて当然のように言う世良の絶妙な強引さに負けて、また人波を掻き分けて歩いている。相変わらずすいすい歩いていく世良、歩く速さは速くないけど、人混みに慣れていない名前は、はぐれまいと、背中を追うのに必死だ。
ふと、人にぶつかって、身体が傾いでしまう。すみません、と言ってから前を向く瞬間、目の端で、歩くたびぴょこぴょこと跳ねる世良の髪の毛が、人波に消えるのがわかった。前を向いたときには、もう姿は見えなかった。慌てて追いかけるけど、歩いても歩いても、見つからない。いないはずがない、そんなに遠くには行っていない、はず。分かっていても、目を凝らしても、行き交う人ごみの中、せらきょうへいさんの姿を見つけられない。どうしよう。
やみくもに歩いても仕方ないし(だってせらきょうへいさんは自分よりずっと早く人混みを歩いて行ける)、人混みを歩くのに疲れていたから、取り敢えず、ちょっと休憩のつもりでガードレールに腰を掛ける。携帯を開いて、番号を探す、けど、ない。なんてこった。世良は、一方的に自分の携帯に名前のアドレスを登録したきりだったみたいだ。ああもう、どうしたらいいんだろう。
携帯を握り締めて、名前は人混みに目を凝らすけれど、世良から連絡はないし、姿も相変わらず見つからない。もしかして帰ってしまったんだろうか。それならそれでほっとしたような、でも傷付いたような、不安なような、変な気持ちが名前の中に広がる。

「こんにちは〜」

世良が行ってしまったであろう方向に目を凝らしていた名前の目の前に、ふっと影が差す。反射で顔を上げると、その顔を覗き込むみたいにして、男が声をかけてくる。名前が今まで接する機会のなかったタイプの人間で、一番苦手な種類の人間である、“イマドキの若者風の男”が、にこにこ笑って名前の前に立ち塞がっている。

「一人?何してんの?」

咄嗟にこの場から逃げ出したいと思うけど、ちょっと距離が近くて、立ち上がれない。背を逸らして、微々たるものでも可能な限りの距離を取りながら、名前は泣きそうになる。

「な、なんですか」
「え、いやーあ、かわいいなって思って」

近いし、な、なんか、話しかけてくるし、意味分からん!、名前は殆ど半泣きで、でも助けてくれる人なんて何処にもいない。こんなにたくさん人がいるのに、名前のエマージェンシーを感知してくれる人は一人もいない。
急にどうしようもなく心細くなる。

「名前ちゃん!」

一方的に話しかけてくる男と、固まっている名前の間に、割って入るみたいに、名前を呼ぶ声。顔を上げると、世良が走ってくるのが見えた。
名前の前にいた男は、あからさまに「男連れかよ」な顔をして立ち去る。入れ替わるみたいに、世良が名前の前に走ってきて、名前の両肩を、確かめるみたいに掴んだ。

「何、何か変なことされてない?大丈夫?」

肩から伝わる熱が、名前の心細さとか不安とかを溶かしていくみたいに、じわー、と視界が滲んでいくのを感じながら、名前は小さく頷く。

「な、なんか、名前ちゃんいきなりいなくなってたからびっくりした!」

いなくなってたなんて、せらきょうへいさんが、すいすい歩いて行っちゃったんじゃないか!、と思って、責めたい気持ちもあったけど、見つけて飛んで来てくれて、ほっとしたような嬉しいような気持ちもあって、だから、「あの、ごめんまじごめん、俺、」なんて言ってあわあわしている世良の声を聞きながら、ぶんぶんと首を横に振る。
その拍子に、名前の目に溜まった涙が零れた。世良は弱り顔で、ためらいがちにそっと指で涙をぬぐう。

「はぁっ、もう、よかった…」

それから、そんなことを言って、眉を下げてくしゃりと笑うものだから、名前はどきどきして、もう、どうしていいかわからない。



「え、じゃあ、せらきょうへいさんは、サッカー選手なんですか」
「うん、ETUっていうチームで、FWやってる」
「ほぉ、だから人混みもすいすい歩けちゃうんですかね」
「いや、俺も上京したばっかのとき、超戸惑った。慣れだよ多分」

手をつないで二人、歩いている。人混みを通り抜けてから人通りの少ない道に入って、だから、手をつなぐ必要はもうなかったけど。
歩きながら、他愛もない話をした。今度は、世良の話に名前が相槌を打つだけじゃなくて、名前の話に世良が相槌を打ったりした。会ったときは、今日が早く終わればいいと思っていたのに、今はずっと続けばいいのにと思っているから不思議だ。

「わたし、人混み苦手です」
「俺も苦手」
「嘘。わたしなんて置いて余裕で歩いてった!」
「もー、ごめんってば!」

握った手をぶんぶん振ったって結局、甘えるみたいになるだけで。離す気なんてもともとないし、それでも少しだけきつく握りなおされて、それがちょっと、嬉しいとか。


夕暮れの空よりも少しだけ明るい光が外灯にともり始める中、駅に向ってまた人通りの多い道を歩くけど、今度はもう、人にぶつかったり、はぐれたりはしなかった。世良にくっついて、世良の頭、斜め後ろのぴょこぴょこ跳ねる髪の毛を間近で見ながら名前は、帰りたくないと思った。


乗った電車は人が多くて、寄り添うみたいに二人、立っている。さよならの時間が近付いて、名前は何かを言いたい気持ちになるけど、何て言えばいいのかわからなくて、世良もさっきから黙っているから、同じ沈黙に浸っている。世良の降りる一つ前の駅でたくさん人が乗ってきて、ますます距離が近くなって、顔を見れない、どきどきする、けど、離れたくないと思っている。何だ自分、乙女か!これじゃあまるで、恋をしているみたいじゃないか、バカみたい!、と思うけど、多分全然、バカなことなんかじゃないって、そんな気もしている。変なの、何これ。
電車が減速する。

「俺、実は名前ちゃんのこと、前から、」

声に顔を上げると、世良の目はどこか空を彷徨っている。言いよどんで、言葉をつなぐ。

「前から、かわいいなって思ってて、」

ふらふら彷徨っていた世良の目が名前を見て、じわじわと赤くなっている名前に気付く。それで世良は、ニカッと笑う。反対に名前は何だか、泣きそうな気持ちになる。

「今日、超好きになった!」

電車が停止する。

「今度は名前ちゃんが会いに来て」
「は、」

ぽかんとしている名前に世良が笑うのと同時に、プシューと扉が開いて、世良は電車から降りる人の中にのまれていく。え、ちょっと待って、待って、何、今の!?
それからまた新しく人が乗り込んできて、扉が閉まると、名前は窓の外に世良を見つけた。手を振ってくれたけど、名前は振り返さなかった。それどころじゃなかったっていうのもあるけど。だってだって、せらきょうへいさん、言い逃げじゃないか。人をこんなにどきどきさせておいて、ずるすぎる!



最悪な一日として始まって、甘いようなどきどきするような一日として終わったあの日から、一週間が経った。でも、世良から連絡は来ない。世良から連絡が来るんじゃないかという名前の淡い期待はみるみるしぼんでしまった。
名前は世良の連絡先知らないままだったし、あの日世良と名前を巡り会わせた先輩に世良の連絡先をきいても、はぐらかされてしまった。


「名前ちゃん、夜更かし?」
「ちょっと眠れなくて…」

まあまあ恋わずらい?、なんて言われて、あながち外れてもいないので、あはは、と適当に濁すしかなかった。
先輩に言われた「縁があったらまた会えるんじゃないかな!」という言葉を夜な夜な反芻して、縁があってもこんなに人の多い都会で、連絡先も知らない相手にまた会えるなんて、そんなの奇跡じゃないかと思ったり思わなかったりしているうちに、寝不足の頭を抱えてバイトに行くことになってしまったのだ。
早朝からのバイトで、住宅街にある、仲の良い夫婦が営んでいるベーカリーで名前は働いている。いい匂い、きっと色んな人の朝の食卓に並ぶであろう焼きたてのパンを、並べていく。
デニッシュを並べながら、せらきょうへいさんに食べさせたげたいなあと思う。この店の自慢の一品で、いつも昼前に全て売切れてしまうのだ。

(甘いもの、好きだって言ってた…)

棚に並べ終わって、一瞬ぼんやりとしていた名前の目の前、窓の外、走っていく人と、目が合う。笑っている。何でだ、なんなの、あの人、ちょっと待て、

「せらきょうへいさん!」

気付けばドアを飛び出して、背中に叫んでいた。

「ちょっと!待って!」

でも、背中はどんどん遠くなる。世良は立ち止まりも振り返りもせず、後ろ手をひらひらして、走ってく。ぴょこぴょこと跳ねる髪の毛が、自分を笑っているみたいで、むかつく。何なの、なんなの、

「せらきょーへー!もう、バカ!」

子供みたいに叫んで、店の中に戻ると、奥さんがにやにやしながら「青春ねえ!」なんてキラッキラの目を向けてくるから、恥ずかしくていたたまれない。
何でもないんです、なんて平静を装いながら仕事に戻るけど、焼き上がったパンの甘い匂いが、(そこ、超絶品の、いっつもすぐに売り切れちゃうデニッシュがあるらしくて、まじ一回食べてみたいんだけど…)、なんて、世良の声を思い出させる。

そのときは全然、わたしのことなんか関係ないみたいに言ってたけど、せらきょうへいさんは、わたしのこと前からかわ、かわいい、とか思ってたって、いっつもここでパン並べたりしてる、のを、見てたってこと?…何それ。何それ!?



昼前にバイトが終わると、包んで取っておいたデニッシュを持って、浅草へ向う。(今度は名前ちゃんが会いに来て)、なんて、つまり、そういうことでしょ?
物凄く不本意な気がしている。だって、せらきょうへいさんは、わたしが会いに来るって、わかってたから、あんなに余裕だったのだ。泣きそうなくらいに、どきどきしている自分が恨めしい。会いに行かないっていう選択肢なんて持ってない自分がもっと恨めしい。それでもって、自分をこんなふうにしてしまったせらきょうへいさんが一番、憎い。


丁度練習が終わったようで、散らばる選手達の中、落ち着きなくぴょこぴょこと髪の毛を跳ねさせているからすぐに見つかった。
名前に気付くと嬉しそうに笑う。嬉しそう、ていうのが伝わってくるから名前は、何だか恥ずかしくて、眩しいような気持ちになる。

恋をしている。





101111

色々盛り込みすぎて無駄に長くなってしまった。結局はこのあほな感じのタイトルを付けたかっただけという。あと「せらきょうへいさん」ってフルネームで呼ばせたかっただけの話。



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