恋はFW


カラフルな格好をした小学生くらいの女の子、おしゃれな男の人、綺麗なおねえさん、制服を着たカップルなど、たくさんの人がいる。ちょっと眩暈がする。
名前は、駅の改札を出たところで、サークルの先輩と待ち合わせていた。こんなにたくさん人がいる中で、例えばどういう風に立って待っていればいいのだろう、ということからして、名前にとっては難題であった。気後れに次ぐ、気後れ。
約束の時間は二時で、今はその五分前だ。そんなに早く着いたわけじゃなくて、二、三分くらいしか待っていないのに、果てしなく長い時間に感じられた。握り締めた携帯電話、何だか縋っているみたいだと思う。でも本当、先輩、早く来て!

今年の四月に大学進学のため上京してきた。物凄く田舎だったわけではないが、ちょっと電車に乗ればそこそこ栄えた地方都市の中心で、逆方向にちょっと行けば田んぼや畑が広がっているような、そんなところで育った名前には、休日の表参道の人出といったら、夏の大きなお祭りと同じくらいの賑わいだった。都会のこの人の多さには、未だに慣れることができないでいる。今も、壁を背に、地面をしっかりと踏みしめているのに、目が回りそうだ。足元に視線を落として、溜め息とも深呼吸ともつかない息を吐き出す。

「ちわ!」

そんな名前の頭上から、声が降ってきた。
例えばこんな風に人の多い場所で声をかけられるなんてことも、上京してくるまでは全然なかったので、適当にあしらえばよいのだが、名前にはそれも出来ない。目を合わせたら最後で、話しかけられたら応えなければ、と思ってしまうから、ずるずると相手が諦めるまで、付いて来られてしまうのだ。唯一の身を守る術が、(何も聞こえない何も聞こえない!絶対、顔を上げちゃダメだ…!)、聞こえない振り、相手には悪いけど、完全無視だ。

「えっと、」

ちょっと遠慮がちな声が続いて、今までにあったキャッチやナンパみたいな、強引ななれなれしさじゃないと思うと、少しだけほっとする。このまますぐに、どうか、いなくなって!、と思っていると、「苗字名前ちゃんだよね、」と名前を呼ばれたものだから、驚いて顔を上げた。

(え、誰?)

目の前に立っていたのは、なんというか、イマドキの若者風の男。無造作なかんじの長めの髪の毛とか、髭とか。名前が今まで接する機会のなかったタイプの人間で、一番苦手な種類の人間だった。
目が合うと人懐こい笑みを向けられて、「やっぱり!」なんて嬉しそうに言われる。やっぱりって何?何!?、ていうか、誰!?

「ど、どちらさまですか」
「俺?せらきょーへーッス!」

混乱の極みの中、何とか質問を口にすると、にこにこと答えられるが、名前にも顔にも、心当たりがない。自分は知らないのに、相手は自分を知っている。とんだ恐怖体験である。
助けて先輩!と携帯を開いたところで、タイミングよく携帯が鳴った。着信、先輩からだ。

「もしもし先輩今何処ですか早く来てください!」
『あ、名前?ごめんねぇ、ちょっと急な用事でアタシ今日行けなくなっちゃって』
「は!?」
『代わりに人向わせたんだけど、まだ会えてない?セラっていうヤツなんだけど』
「……は!?」


「は!?」とか「え!?」とか「先輩!?」とか何とか、混乱してろくな事も言えないでいるうちに、『じゃあね〜』なんて爽やかに言って先輩は電話を切ってしまった。そんなわけで名前は、ツーツー、という通話が切れた音を流し続ける携帯電話を握り締めて見つめたまま、せらきょうへい、と名乗る人物を前に立ち尽くしていた。
先輩は来れなくなった。先輩の代わりにせらきょうへいさんがやって来た。先輩と過ごすはずだった時間を、せらきょうへいさんと過ごすということだ。何それ。気まずい!
既に十分気まずかった。せらきょうへいさんは自分が何か言うのを待っている様子だ。

「あの!」
「ん?」

意を決して、携帯を閉じてせらきょうへいさんに向き直る。相槌を打つせらきょうへいさんは人懐こい笑みのままで、何だか怯んでしまうけど、今日一日続く気まずさより、今一瞬の気まずさの方が、ずっとましだと覚悟を決める。

「わたし、帰ります」
「え?何で?」

名前のなけなしの勇気で以て言った精一杯の決意は、あっけなく打ち砕かれた。

「せっかくじゃん。遊ぼうぜ!」

世良の笑みが悪魔の笑いに見えた名前は、最悪の一日が幕を開けたと思った。



(び、びっくりした…)

結局、世良に、ちょっと強引に腕を引かれて、名前は背にしていた壁を後にしたのだった。手首を掴んだ熱はすぐに離れていったけど、中高共に女子校育ちの名前の体温を上げるには充分の一瞬だった。これから一緒に過ごさなければならない気まずさの上に、不本意にどきどきさせられて、泣きそうになりながら、名前は世良の背中を追う。
それにしてもまったく、一体どこからこんなにたくさんの人がやってくるのか不思議なくらい、広い歩道をたくさんの人が行き交っている。世良は人混みの中、ぶつかることなくすいすいと歩いていく。名前はその背中を追うのに必死だった。そんなに長く歩いたわけではないのに、先輩と来るはずだったカフェに着いた頃には、名前はへとへとだった。


「甘いの好き?」
「まあ、好きです」
「俺も好き」
「はあ」

この店に来ようと先輩と画策したのは、凡そ一月単位で変わる期間限定のスイーツが目当てだった。限定メニュー、三種類あるスイーツの写真をじっくり見て、真剣に選ぶ。

「甘いのっつーとさ、俺、朝早くジョギングとかしてるんだけどさ、」
「はあ」
「住宅街なんだけど、…あ、決まった?」
「えっと、これ、と、カフェラテを」

店員がやってくるまでの間にも、せらきょうへいさんは、ずっと喋っている。思ってたよりも気まずくはならなくて、少しだけほっとしていた。ほっとしながら、メニューのどれを選ぶか真剣に悩んで、生返事になっても、それでも世良は、気を悪くした風もなく話を続けるから、名前はちょっとだけ緊張の糸が緩む。

「で、そこ、パン屋があって、その店の前通るとき、すげーいい匂いがするんだよね。走りながら腹が鳴るっつーか」
「はあ」
「超絶品の、いっつもすぐに売り切れちゃうデニッシュがあるらしくて、まじ一回食べてみたいんだけどさあ、」

世良について、会ったときの初めて見た笑みを人懐こいと感じたことが全く間違いではない、本当に人懐こい感じの人だと名前は思う。最悪な一日、と思ったけど、今日はもしかしたら、ちょっとアンラッキーな一日、くらいになるのかもしれないと思った。


世良が他愛もない話をして、名前がテーブルの木目を眺めながらその話に相槌を打っているうちに、注文したものがテーブルに届いた。美味しそうで見た目もかわいくて、先輩にも見せてあげようと、「あの、写真撮ってもいいですか」、一応世良にもお伺いを立てて、お皿を並べて、携帯でピロリン、と写真を撮る。

「あ、ねえ、アドレス教えてよ」

写真を保存したところで、携帯を閉じる間もなくそう言われて、するりと手から携帯を奪われる。名前が異を唱えることもできないでいるうちに、世良は赤外線で勝手に作業を終えてしまった。
例えば、さっきみたいな、せらきょうへいさんが他愛もない話をして、自分がそれを聞いているという、ほぼ一方通行でもそういうやりとりは、大丈夫だったのに、と名前は思う。でも、駅前で手を引かれた時とか、今みたいな強引さは、何だか嫌だ。嫌だ、というか、怖い。何だか怖くて嫌だった。
気まずいような、重たいような気持ちになって、紛らわせるみたいに、名前は運ばれて来たケーキを口に運ぶ。

それでまた、世良は重ね重ね、強引というかなんというか、「それ、一口貰っていい?」なんて言いながらもう、名前の皿に向ってフォークを差し出している。

「…ドウゾ」
「うま!こっちも食べてみ」
「…じゃあ、いただきます」

世良が頼んだのは、名前が選ぶのに悩んだケーキだった。先輩と来ていたら絶対、お互いのを半分こにして食べたのに、と思っていたケーキ。
甘くてふわふわしていて、小さく一口だけ掬ったそれは、ちょっとだけ名前の気持ちを軽くした。





101111

続きます。



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