悪魔と狼


オレンジと黒がじわじわと侵食を始め、仮装の衣装道具がショウウィンドウに並んだり、カボチャのお菓子が出回ったり。街がハロウィンめいて久しい今日こそがハロウィン当日だと気付いたのは、夕闇迫るこの街に、浮かれた人間が溢れていたからだ。

「うわ、すげー!みんな仮装とかするんだ」
「世良さんやりたいんだ、ガキっすね」

ガキじゃねーし!と憤った後、つーか楽しんだもん勝ちだろ、と開き直り、あ、あのコスプレかわいい、とすっかり意識が逸れるまで一頻り騒ぐ世良の声を右から左へ流しながら、赤崎は浮かれた街とは無縁とばかりに足をすすめる。今日は世良の発案でETUの若手で飲み会だ。

ふと、広くもない道路の向う側に、何かを見つけた気がした。数人の女のグループ、みんなハロウィン仕様の仮装をしている。苗字と同じ年くらいかと思い、苗字もあんなことしてるのだろうか、とぼんやりと思いを馳せたところで、はっとする。
黒いノースリーブで丈の短いワンピース、頭に角を生やし、背中には小さいながら黒い羽が生えている。それでもわかる、見覚えある後ろ姿にまさかと思った。その心の声が聞こえたかのように、後ろ姿は振り返る。

「赤崎くん!」

喧騒の中、聞こえなかったが、そう言ったのが赤崎にははっきりとわかった。しかも極上の笑顔つきだ。まじかよ。勘弁してくれ。

それで、赤崎のとった行動というのは、気付かない振りをするというものだった。
少しの罪悪感と後ろ髪をひかれる感じを振り払うみたいにさくさくと足を進めながら、赤崎は自分のとった咄嗟の行動の理由を考える。まず、苗字に捕まるとだいたい面倒だから、気付かない振りで通り過ぎるのは、正当防衛だ。全く以てその通り、危機回避、防衛本能が働いたといっていいだろう、正当な理由だ。次に、チームメイトに、あんなあほな格好をした女と知り合いと思われたくなかったから。これも保身という言い方になるが、要するに自己防衛だ。人間が生きていくのには必要なことだ。
よしよし、と自分の正当性を確かめていると、急に、「赤崎くん!」と、聞こえなかったけど脳が勝手に補完して再生した苗字の声が頭に響く。それで、一つの考えが頭に浮んで、立ち止まりかける。

苗字をチームメイトと接触させたくなかったから。

なんでだよ、意味わからん。そんなわけあるか。沸き上がる思考を静めようと必死に、赤崎はますますもって一心不乱にさくさくと歩き続ける。


「ちょ、赤崎行き過ぎ、ここだよ」

赤崎が無心で歩いたり、チームメイトがハロウィンの話で盛り上がったり、仮装集団と何度か擦れ違ったりしている間に気付けば目的地に着いていた。雑居ビルの狭いエレベーターに乗り込む。

「何階っすか」
「四階」
「…は?」

てっきりその上のチェーンの居酒屋と思っていた。階数ボタン横の店舗名を見ると、なにやらファンシーな文字が踊っている。世良が得意気に言う。

「こんなとこ中々来る機会ないだろ。ハロウィンに便乗して調子乗ってみた!」

エレベーターを降りると、予想の斜め上を行くファンシーな内装にチームメイトたちはしばし感嘆したりはしゃいだり(はしゃいでいるのは主に世良だった)。ファンシーな格好をした店員が出てきてパーテーションで仕切られた席に案内される。

「ちょっと、何なんすか、ここ」

きょろきょろと店内を見回している世良には赤崎の不満気な声は届かなかった。代わりに清川が応える。

「コンセプト・ダイニングってやつだな。俺もはじめて来たけど」

凝った装飾の椅子やテーブル、いかれた茶会を模したティーセットがぶら下がるランプ、天井にはトランプの絵、エトセトラ、エトセトラ。なるほど不思議の国に迷い込んだようだ。
さきほど自分が無視した笑顔を思い出しながら、苗字が好きそうだな、と思った。そして、苗字に似合いそうだな、とも。

「女の子が好きそうな店だよな」

一瞬心の中を読まれたのかとぎょっとする。ありえないと思いなおす。
隣では、男ばっかで来てもな…と、しかしこの状況を面白がれる程度には大人の顔をして清川が苦笑している。

変な名前のカクテルやら食べ物もあったが、基本的にはふだん行くような居酒屋と変わらないメニューで、いつものように飲み食いして、サッカーの話やらグラビアアイドルの話やら副会長のヅラにまつわる話やらサッカーの話やらをした。
会計を終えファンシーな格好の店員に見送られてエレベーターに乗り込む。何だか奇妙な感覚だ。いやいや、この薄汚れた狭い箱の方が日常なんだってば。
二次会に行く面々も居たが(結局上の階の居酒屋チェーンに行くようだった)、赤崎は参加せず、ぶらぶらと帰路についた。駅に向かう途中、すっかり夜になった街のそこここで談笑する仮装した人たちと擦れ違う。あほみたいに寒そうな格好をした苗字を思い出して零れた溜め息が白いことに気付くと、赤崎の眉間にしわがよった。



風呂から上がったところで、来客を告げるチャイムが鳴った。こんな時間に誰かと思い、ひとりだけ思い浮かぶ顔に、いやまさかと頭を振る。その一瞬の間にも、ピンポンピンポンピンポン、と連打される。ああ、やっぱり。こんな鳴らし方をする人間を、赤崎は一人しか知らない。

「チャイムは一回!」

ドアを開けるとにやにやした顔で苗字が立っていた。なにやら怪しげなステッキを振りかざして言う。

「ハッピーハロウィーン!」

心底頭が悪そうだと思う。多分顔に出ているだろう。しかし苗字は気にした風もなく、いや寧ろますます面白がるようににやにや笑いを濃くした。

「ねえねえ、トリックオアトリートって言ってみて!」
「はあ?」

赤崎の眉間が無自覚にしわを刻んだ。この女、だいぶ酔ってる。苗字の言動に振り回されるのはまあいつものこととしても、酔っ払いの強引さに抵抗する術を赤崎はまだ持っていなかった。苗字はご機嫌に繰り返す。

「ほら、トリックオアトリート!」
「…トリックオアトリート」
「じゃーん」

満足そうに笑って目の前に出されたのは、洋菓子の小さな箱だった。


「ごはん食べた後カフェに行ったんだけどさ、そこにあったんだー。美味しそうだったからお土産に買っちゃった」赤崎くんにも食べさせたげようと思って。

苗字の声を背中に、赤崎はコーヒーを入れる。

「てゆうか今日赤崎くん、私のこと無視したでしょ」
「まあ、あほみたいなかっこしてる人に絡まれたくないんで」
「ひど!」

街で無視したことも、赤崎の言葉も、全然気に留めた様子もなく、楽しそうにケタケタ笑う。
赤崎はコーヒーをいれたマグカップを二つ持って振り返る。取り敢えず苗字を家に上げざるを得なかった赤崎はしかし、ここでようやく、そうしてしまった自分をひどく後悔した。コートを脱いでソファでくつろぐ苗字の背中にはあほみたいな羽が生えていた。

「ちょ、アンタ、何なんすかその格好」
「え?」
「え?じゃないっすよ。アンタそのかっこで来たんすか」
「だってコート着てたら全部隠れるじゃん」さすがにこのかっこで電車乗らないよ寒いし。
あ、角もつけようか。とか言い出す苗字に頭痛がする。

「やめてくださいよあほに拍車がかかりますよ」

落ち着かないんで上に何か着てください、とは言えなかった。二人掛けのソファ、苗字から距離をとるみたいに出来るだけ端っこに座った。

「俺、一個もいらないっすよ」
「うん。私が二個食べきれないから、両方ともちょいちょい摘んで食べてよ」
「はあ」
「こっちはカボチャのモンブランで、こっちはカボチャのプリンね」

正直違いがわからないと思ったが、取り敢えず付き合うことにした。

ひとくち食べる。甘い。苗字は美味しいと言って食べている。それを見ながら赤崎は、胸焼けなのか胸焼けに似た苛々なのか分からない何だかもやもやした気持ちになる。いきなり押しかけてくるしあほみたいな格好してるし、そもそもケーキだって、俺に食べさせたげようと思ったとかいいながら自分が食べたかっただけじゃないか。この悪魔め。
悪魔にお経は効くのだろうか。と言ってもお経なんて知らないけど。お経っぽいからまあいいかと思い、頭の中で寿限無なんぞを唱え始める。


「もうおなかいっぱい。赤崎くん全部食べていいよ」

苗字はまたしても自分勝手な発言をする。スプーンの先のクリームをちろりと舐める苗字の舌を見て、いよいよこれはダメだと思う。好き勝手人のこころを荒らしやがって。
赤崎の悪魔退治の試みは失敗したらしい。別にいいけど、と、苗字が残した数口の甘ったるいケーキを食べながら、赤崎は開き直る。悪魔は退治しないことに決めたから。

「仮装までしてんのに、アンタがお菓子くれるんすね。俺にトリートしてくれてどうするんすか」

まあアンタの存在自体がトリックだけど。

「あれ?そうだね、何かおかしいな」

神妙そうに瞬きをして、苗字は言う。

「トリックオアトリート!」


あーあ。バカだね、苗字さん。
飲み込んでなお口に残る甘さを、ねじ込むみたいにキスをした。貰ったお菓子も、いたずらも、これでおあいこ。





101102

間に合わなかったハロウィン話。ETU若手にかわいい感じのコンセプトダイニングに行って欲しかっただけの話。あと、お経の代わりに寿限無唱えるってのを書きたかったという。赤崎はお経覚えてそうだけど。



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