恋っぽい


久しぶりにスタバに入った。ちょっとした時間潰しだ。外は寒いけど、暖房の効いた建物の中にいたから身体が火照っている。一番無難そうなアイスティーを注文する。
半端な時間帯のせいだろうか、店内は閑散としていた。道に面したカウンター席に座る。外を、寒いはずなのに惜しげもなく太ももを晒して数人の女子高生が、笑い声が聞こえてきそうなくらい楽しげに談笑しながら歩いていくのを、ぼんやりと眺める。

それで、世良は思い出す。
高校二年のとき、初めてスタバに入った。止まってしまった電車を待つ、時間を潰すために。先輩と一緒に。


:::

世良が先輩と出会ったのは、学校の図書室。部活は土日も殆ど練習があったけど、身体を休めるため、火曜日だけは練習がなかった。それで、二学期早々、ジャンケンで負けて図書委員になった世良は、火曜日が当番の日になった。
最初の委員会の日、仕事のやり方を教わったけど、勿論世良は覚えていない。当番の、初めての火曜日、放課後がやってきて、世良は図書室の受付の中に座るけど、運悪くその日は当番の相方が休みで、司書さんもどういうわけかそのとき、いなかった。
そういうときに限って、本を借りにやって来る人がたくさんいたりして。目の前に並ばれるけど、世良はうろ覚えの手順を辿っていくしかないから、手間取って全然捌けない。それで、そんな世良のところに、見かねてやって来たのが、先輩だった。
黙ってやって来た先輩は手際よく手続きをして、列が途切れたところで初めて、その仕事っぷりを見てぼけっとしていた世良に話しかけた。

「はじめて?」
「ッス。あ、あの!すみませんッス、俺、」
「謝らなくていいよ。わたし、ずっと図書委員だったから」

そう言って世良に仕事の仕方を丁寧に教えてくれて、時間が終わるまで一緒に受付の中にいてくれた。
ちら、と盗み見た上履きは、丁寧な字で、3-C 苗字って書いてあった。


それから、毎週火曜日、世良が当番のとき、先輩はいつも図書室にいた。世良が受付にいて、先輩が入ってくると、お互い、ちょっとだけ、会釈。話しかけるほどじゃないし、無視するほど赤の他人でもない。そういう、顔見知り。
世良が見る先輩はいつも、机に向って勉強している。三年生だから受験勉強だろう。時々眉を寄せたりシャーペンの頭を顎に当てたりして、じっと考え込んでいたり、ふと答えが分かったんだろう、はっとしてペンを走らせたり。
世良は受付にいる間、勉強なんてするはずもなくて、サッカー雑誌を捲っているか、寝ているか、ときどき先輩を眺めてるかしているのだった。



二学期も終わりの頃、12月。世良は受付の中でプリントを広げていた。スウガクのプリント。前回の小テストが駄目すぎて特別に与えられた課題、しかも提出期限、明日。図書委員のこの時間は、世良にとっては格好の勉強時間ではあるのだけど、いかんせん、さっぱりわからない。それでもしばらくプリントと格闘して、とうとう、はあ、と溜め息をついてその上に突っ伏した。


「ねえ、起きて」呼ばれて、控えめに肩を揺すられて、目がさめて、眠っていたことに気付いた。身体を起こすと、安堵したような溜め息が降ってくる。いつの間にか図書室には人がいなくて、奥のほうは電気も消えている。目の前には、苗字先輩。ん、と。なんとなく、世良は状況を理解する。

「戸締りしといたから。出よう」
「あの、スイマセン、俺、」

謝ると先輩は可笑しそうに目を細めた。え、何。

「ほっぺ、袖の跡ついてる」



それから職員室に鍵を返しに行った。先輩も、職員室に用があるらしく、一緒に廊下を歩きながら少し喋った。暗くなるの早いね、とか、今日風強いスね、とか、そんなの。図書室から職員室は、きまずくなるほどの距離でもなかった。
世良は鍵を返すだけだったけど、数学の先生に捕まった。それで、職員室から出るタイミングが、先輩と一緒になった。

「先輩、何通学スか」
「え、電車だけど」
「俺も、ス」

ただの質問で、雑談で。だけど本当は暗黙に、一緒に帰りませんか、ていう、提案。暗黙の提案だから、明確なイエスもノーも存在しない。それで、どちらからともなく、何故だかそのまま、一緒に帰ることになった。学校の先生の話とか、学年も違って接点もない二人にはそんな話題しかなかったけど。

駅につくと、強風で電車が止まっていた。さいわい、ターミナル駅でそこそこ栄えた駅ビルなんかがあるので、待ちぼうけにはならなさそうだった。

「え、と。どうしよ。わたし、どこか入って時間潰すけど」
「あの!俺も、一緒していいスか」

先輩はちょっと困ったみたいな顔になる。当たり前だ。名前を知ったのも、まともに喋ったのも、今日が初めてで、そんな相手と、いつ来るかわからない電車を待って時間を潰すのは、ちょっと気まずい。
世良もそう思ったけど。気まずさと天秤にかけても、もうちょっとだけ、先輩と話してたいような気がしたから。

「俺、明日提出のスウガクの課題あって、あの、全然わかんなくて、」

ホントはこれ、口実。言わないけど、課題やってる間は多分そんなに気まずくなんないでしょ、ていう、提案。そのとき世良が、そこまで考えて言ってたかわからないけど。
先輩はちょっと困ったみたいな顔のまま、「二年生の数学って今どんなのだっけ」微分とか?わたし数学あんまり得意じゃないんだけど、て。世良の提案に乗った。



それで、先輩についていって、スタバに入った。初めて。高校生の世良には、何だかオシャレでオトナでリッチなところに思えてたから、ちょっと緊張。先輩は慣れてるふうで、それがちょっとオトナに見えたりなんかして。

「先頼んでいいよ」
「えっと、」

本当は何かあの、スタバっぽい、なんちゃらフラペチーノとか、甘いの好きだし飲みたかったけど。ちょっと背伸びして、デキるオトコ風のサラリーマンが隣のレジで頼んでたのと同じ、コーヒーを頼んだ。
先輩は、季節モノっぽい甘そうなラテ。

勉強を教えてもらいながら、世良は飲めないコーヒーを飲んで、先輩の飲んでいる甘そうなやつ、いいなあとか思っていたら。

「世良くん、甘いの大丈夫?」
「まあ、平気、スけど」
「何か、甘いの飽きちゃった」

そう言われて、世良にとっては願ってもない提案だったから、交換した。
それから、課題のプリントを先輩のおかげで終わらせることが出来て、ぽつぽつと雑談して。甘い味を飲み込みながら、世良は何だかふわふわした気分で、世良の言う冗談に小さく笑う先輩の、伏せたまつげを見ていたのだった。

:::



ぼんやりと、薄くなったアイスティーを飲みながら。今思えば、苦いの苦手っていうの、ばれてたんじゃないかとか、思う。それって結構恥ずかしい。でも、なんか青春っぽい。アマジョッパイってやつ?
一緒に帰って、スタバで時間潰して、電車が動き始めたから、普通にサヨナラして。二学期が終わって、世良は図書委員じゃなくなったから、学年も違う先輩とは、会うこともなくて、それきりだった。
別に恋とかじゃなかったけど、多分。憧れるほど、好きになるほど、知らないし。今まで思い出すこともなかったし。
でも、あの日、世良はちょっとどきどきしていた。それは、本当。


気付けば外が暗くなっている。
窓ガラスが明るい店内を反射している。ふと、隣に人がやってきて、世良は何とはなしに、窓に映る人を見る。

あれ。
反射する窓越しに、目が合う。ぱちり、まばたき。嘘でしょ。
先輩と一緒に帰ったあの日もただの偶然で、今日こうして先輩のことを思い出したのも偶然で。

「え、と、あの、苗字先輩、スよね」
「……世良、くん、」

で、再会っていう偶然も、重なるって。何これ。マジすか。



突然の再会で、しかもそんなに知り合いってわけでもない二人が、話すとなれば、どうしたっていつもの調子じゃいかなくて、ぎこちなくなる。でもそれは居心地の悪いものじゃなくて、あの日、によく似ている気がするから、世良は不思議な気分になる。

「先輩、社会人っスか」
「そ。世良くんは、サッカーだよね」
「え」

まさか先輩が知ってるなんて思わないから、世良は驚いてしまう。驚いた世良に、先輩はちょっと笑って言う。

「成人式のとき、同窓会したんだけど。わたしのクラスにもサッカー部の人いて、で、世良くんがプロでやってるって」
「そっすか」
「うん。こないだ職場のサッカー好きと試合見に行ったよ」
「まじすか!あざっす!」

先輩が今までのどこかで、世良のことを思い出してくれてたっていうのが、何だかうれしい。

「世良くんとスタバ、なんか懐かしい。覚えてる?」
「っス、」
「あはは、覚えてる、て、わたしのこと覚えてるんなら覚えてるよねえ、まともに喋ったの、あの時くらいだもんね」

つい今しがた先輩のことを思い出していた、なんてことは、言えないけど。
先輩はあのときもオトナっぽかったけど、もっとオトナになってて、でも俺もオトナになってて。だからあの日の何だかちょっとアマジョッパイ、俺のことを言ったらば。一緒に笑ってくれるんじゃないかって。

「っすね。…あんとき俺、ホントは、コーヒーとか飲めなかったっス」
「そうなの?」
「あのとき、ちょっとかっこつけたんス。でもやっぱ飲めなくて。そしたら、先輩が交換してくれて」
「あ、あれね」

言って、ちょっと目を伏せて、先輩は笑う。

「わたし、ホントは甘いの苦手なんだ」
「え、」
「あのときね、わたしはちょっと、かわいいと思われたいって思ったんだ、実は」

結局飲めなくて、途中で諦めたけどね。笑う先輩の伏せたまつげを見つめて、でも世良はどうしてか一緒には笑えない。
ふと、先輩の視線が、世良の手元で留まる。え、何。

「それ、」
「え、」
「やっぱり。絶対そうだと思ってた。なんか、世良くんっぽい」
「え、何、何スか」
「それ。ストロー噛んでるの」

見ると、ストローの飲み口、ベコリ、てしっかり噛み跡がついてる。

「変だよね、世良くんのこと、全然知らないのにさ」

可笑しそうに細められた目が世良を見る。


憧れるほど知らないし、好きになるほど知らないし。
でも、ねえ、何。なんだろう、これ。
ごまかすみたいに世良はまた。知らずストローを噛んで、薄くなったアイスティーを飲み込むけど。
一度点った火は、すぐにはおさまらないらしい。





101216

ストローを噛む癖のある世良くんを書きたかっただけの話。



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