▼主人公はうさぎ様のサイトの長編「暗き森にも光は射すか」の主人公・時緒さんです。
▼夢主同士ががっつり交流している描写がメインです。女子かわいい。


上院町はそれなりに田舎町であるが、隣の条北はそれなりに都市化が進んだ市街地である。大型のショッピングモールやデパートが隣接した区域もあり、お洒落なお店も多いので若者が多数集まってくる。休日ともなれば家族連れも増えるし、平日であってもなかなかに賑やかである。

「えーと……」

そんな華やかさのある街の、綺麗に整備された駅の改札前。待ち合わせ相手を待つ人々の中に混じったなまえもまた、円柱にもたれかかって人を待っていた。もっとも厳密に言えば待っているのは『人間』ではないのだが、そんな細かいことはどうでも良い。
何となく目に付いた鏡で寝癖や不自然な服の皺が無いかをチェックする。普段よりも少しきちんとした余所行き仕様なのは、相手が同級生や従弟関係の子供達ではないから――というのは、ただの建前。珍しい相手との珍しい約束事に、なまえ自身がちょっぴり浮かれてしまっているからだ。
うっすらと、ほんのちょっぴり施した化粧が不自然でも派手でもないことを確認し、安堵した丁度そのとき、

「なまえさん」

沈黙とも静寂とも縁の無い改札口で、張り上げたわけでもないのに良く通る声。穏やかなそれで名を呼ばれ、なまえはぱっと顔を輝かせた。

「遺駒さん」

ともすれば雑踏の中に飲まれて消えてしまいそうな、華奢な影。特徴的な雪色の髪を帽子と上着で隠した彼女は、少し困ったような笑みを浮かべてなまえに会釈をした。

「ごめんなさい。待たせてしまいましたか?」
「いいえ、私も丁度今来たところなので」

時刻は待ち合わせ時間15分前。待ち合わせ場所に来る時間としては申し分無い。なまえが先に着いたのは先述の通りなまえが勝手に浮かれていたからなので、遺駒が気にすることでは一切無い。……ので、実は今より更に30分前に到着していたという事実を、なまえは綺麗に無かったことする。

「じゃあ、まずは本屋さんですね。こっちの出口から行きましょう」
「分かりました」

現世の地理にはあまり慣れていない遺駒を先導し、彼女が困らないだろうペースを考えて歩く。自分よりも年長で人生経験(?)も豊富な『お姉さん』をナビゲートする。そんな滅多に無い機会に、なまえはどうにも浮かれる自分を持て余していた。

 ◆◇

「辞書、ですか」

それはまだほんの数日前のこと。
珍しく電話をかけてきたかと思えば「相談があるのですが」と神妙な声で告げた女性獄卒に、なまえはこてりと首を傾げた。
辞書。下の上でもう一度その単語を転がしてみる。違和感があるわけでもないのだが、何だか新鮮な気持ちがした。獄卒という存在とは、いまいち結びつかない言葉だからだろう。

『はい。手持ちのものがだいぶ昔のものでして……今の言葉があまり載っていないんです』

特段不便には感じていなかったのだが、先日捕縛した亡者の使っていた言葉が載っていないということが分かったのだという。あまり良い言葉ではないらしかったが、これを機会に新しいものを買うのも悪くないと思ったのだそうだ。

「成る程。ちなみに今お手持ちのものは?」
『ええと……日本大○林というものです』
「……宮内省刊行の?」
『あ、はい。そのようで』

近代以降の国語辞典としては最古に分類されるタイトルである。確かに今時の亡者が使うような言葉は載っていないに違いない。遺駒の物持ちが良いのはなまえもよく知っていたが、辞書ひとつとってもそこまで長く使われていれば冥利に尽きるだろう。
……付喪神とかになっていやしないだろうか。うっかり新しいものを買って祟られたりしないだろうか。なまえがそんな下らない心配をしたのも、まあ無理からぬかも知れない。

『現世の言葉なので、現世の辞書の方が用に足ると思いまして……その、なまえさんのご迷惑にならなければですが』

現世との行き来が自由とはいえ、獄卒の多くは現世にそれほど通じてはいない。遺駒も例外ではないようで、要は現世の本屋や辞書についてレクチャーが欲しいということだった。

「分かりました。取り敢えず、まず遺駒さんのご予定を教えて頂けますか?」

普段から色々と面倒を見て貰ったり、親切にして貰っている相手である。年齢や立場のことは置いておいても、なまえにとって遺駒は友人とは違う、言うならば姉のような存在だ。大概のことはひとりで出来てしまう彼女の助けになれるというのに、渋る理由などひとつも無い。
半ば食い気味にスケジュールの調整を始めたなまえに、電話口の向こうで遺駒が結構まごついたのは言うに及ばずである。

 ◆◇

「国語辞典はですねえ、『二律背反』って言葉を引いて一番分かりやすいのが良いそうですよ」

そういうわけで、此処は条北の駅近くにある大型書店。ずらりと並んだ国語辞典の1冊を取り上げたなまえが、『二律背反』の1語を引いて指さす。

「そうなのですか? 説明の難しい言葉だからでしょうか」
「ですねえ」

私も今此処で『二律背反』を説明しろって言われてもちょっと言葉に詰まりますし。などと半ば独り言のように呟くなまえ。なるほど、と頷いた遺駒が、律儀に辞書をひとつずつ取って『二律背反』を調べている。

「うーん……」

小さく唸った遺駒の細い指が、自身の綺麗な唇をそっと押す。化粧気はなく血の気もないが、いつ見ても梔子のように綺麗な女性だ。思わずうっとりしてしまいそうになる自分の頬を、なまえは思わずぺしりと叩いた。

「なまえさん?」
「すみません、何か虫がいたみたいで」

きょとんとしてこちらを見る遺駒に、なまえはひらりと手を振った。危ない危ないと内心冷や汗をかいていたが、幸いにして遺駒が言及することはなかった。

「これにします」

ややあって遺駒が選んだのは、丁度彼女の両手にすっぽり収まる大きさのものだった。赤い表紙のシンプルなそれは割とメジャーな出版社から出ているもので、なまえの学校にも同じものを持っている生徒が多い。そんなに悪い話も聞かないので、なまえはそれを受け取って買い物籠に入れた。

「他にも何か買うんでしたっけ?」
「あ、はい。外来語……というか、カタカナ語辞典を」
「それならこっちの棚ですねえ」

カタカナ語と一口に言っても、遺駒の言う一般的な外来語から、ビジネス用語、哲学用語など多岐にわたる。なるべく一般的でニュースなどに出てきやすい言葉が、満遍なく載っているものが良いだろう。国語辞典に比べて割とカラフルな表紙の多いカタカナ語辞典の中から、なまえまた1冊を取り上げた。

「これ、確か友達が面白いって言ってたやつです」
「面白い、ですか?」
「元の語源と今使われている意味とが両方載ってるんです。それが結構楽しいらしくて」
「そうなのですか」

国語辞典と同じく、やはり丁寧に言葉を調べて吟味し出す遺駒。なまえも同じように辞書を広げつつ、ああでもないこうでもないと頭を捻り始めた。

 ◆◇

「良いのが買えてよかったですねえ」

1時間後。
本屋のロゴが印字された紙袋を下げた遺駒が、1歩先を歩くなまえににこりと微笑んだ。

「お陰様で」
「やだなあ、私何にもしてないですよ」

律儀な遺駒に苦笑しつつ、なまえは腕時計をちらりと見やった。時刻は既に昼を回っており、きちんとした時間に朝食を摂っていても、それなりに空腹になってくる頃だった。

「遺駒さん、お昼食べたいものとかあります?」
「お昼、ですか」
「はい。もしくは逆に食べられないものとか。あ、そもそもお腹空いてますか?」

なまえ的には小腹が空いてきたのだが、遺駒はどうだろうか。順番が違ってしまったがそう尋ねると、遺駒は照れくさそうに微笑んで「はい、実は」と答えてくれた。少し気を遣わせてしまった感があるが、折角なので甘えておこうとなまえは笑みを深めた。

「和食と洋食だったらどっちが良いですか?」
「そう、ですね……朝餉は和食だったのですが」
「じゃあ洋食にしましょうか。パスタの美味しいお店があるんですよ」
「ぱすた、ですか」
「はい。あとデザートも凄く美味しいんです」

実はこの近くには叔母の美麗が贔屓にしている寿司屋(勿論回っていない)もあったりするのだが、確実に遺駒が萎縮するだろうと思われるため『今回は』候補から外したなまえである。

「遺駒さん、パスタと洋菓子は大丈夫ですか?」
「勿論です。そこにしましょうか」
「はい」

ちなみに今勧めたパスタの店もチェーン店ではないお洒落で女子力の高いお店(そしてディナータイムは結構なお値段)なのだが、今は丁度ランチタイムである。お値段は一気にお手頃になるし、クーポン券もあるのでドリンクとデザートが無料でついてくる。何より美味しいし接客も好印象なので、遺駒に不快な思いをさせることはないだろう。

「人が増えてきましたね」
「そうですねえ。……そうだ、遺駒さん」
「はい?」
「手、繋いで貰えませんか?」

人混み、苦手なんです。眉をハの字にして白々しくそう告げると、遺駒は微かに瞠目し――けれど決して拒否はせず、柔らかに微笑んで頷いた。

「私で良ければ」

差し出された手を、なまえは躊躇わず、けれど一応は遠慮する素振りを見せて掴んだ。白いそれはひんやりとしていて、武器を握るためか少し固い。けれど小さくて可愛らしく、女性らしい印象を抱かせた。

「何かデートみたいですねえ」
「あらまあ」

私がお相手じゃあつまらないでしょう。そんなわけ無いじゃないですか。そんな他愛も無いやりとりを繰り返しながら、人混みをえっちらおっちらとかき分ける。休日はやっと折り返し地点。お昼の後は何処にどうやって彼女を連れ出そうかと、なまえはへらりと浮かべた笑顔の下でひたすら考え続けるのだった。
―――ちなみに。

「そういえば遺駒さん、亡者の使う言葉が分からなかったって言ってましたよね?」
「ええ。良い意味の言葉ではないのだけは分かったのですが……」
「罵倒の言葉だったんですか? 別に調べなくても差し障りない気もしますけど」
「そうですね。ただまあ、今時の言葉を調べるのには、今持っているものでは確かに不便だったので」
「なるほど。……ちなみに、どういった言葉を調べたかったんですか?」
「びっ○」
「え」
「○っち、です」
「……遺駒さん」
「はい?」
「それは、知らなくて、良い言葉です」
「えっ」
「遺駒さんは、知らない方が、良い言葉です」
「あの、なまえさん?」

というやりとりが件の『パスタの店』で交わされたとか、そうでないとか。
真相は当人達と、彼女たちが座ったテーブルに給仕していたウェイターのみが知っている。


▼「花氷」のうさぎ様より、拙宅の一万打記念に書いて頂きました!
うさぎ様のサイトの長編『暗き森にも光は射すか』の主人公時緒さんとうちの長編主人公の遺駒との現世デート(おでかけ)が見たいですと、私欲にまみれの戯けたリクエストをしたら…こんな…こんな可愛いものを賜って悶え転がった私の話をしますか?同世代や親類とも違う、種族を超えた仲の良さがたまらないです。可愛い…(それしか言ってない)
Twitterで会話していた小ネタや、とりとめもなく話していた設定まで拾い上げて貰っていて感無量でした。何より遺駒の口調やキャラの把握&再現率がいつ見ても凄い…!
うさぎ様、本当にありがとうございました!

ちなみにオチになっていたビッ○の話は小ネタページに置いてあるこれのことです。