「………なんでカレーなの?」
「あ、臨也さん。」
お目覚めですか、と彼女が笑う。部屋に広がる独特なスパイスの香り。確か俺は仕事から帰ってきて寝る前に彼女に言ったはずだ。食欲がないから夕食は作らなくていい、と。なのに目の前のテーブルには炊きたての白いご飯が俺と彼女の二人分盛られている。そして彼女が掻き混ぜている鍋の中にはこの匂いの正体のカレー。見ているだけでお腹いっぱいな光景だ。
「臨也さんもう座っててください。すぐできますから。」
「ごめん。俺食欲ないから無理。」
「まあまあそんなこと言わずに。残してもいいですから。」
ね?と首を傾げる彼女を断れない俺は相当甘いのだろう。言われるがまま大人しく座ってしまった。エプロンをつけた彼女はもうすこし待っててくださいねと、また視線を鍋の中に戻した。もっと、ずっとこっちを見ていればいいのに。彼女の横顔を見て思う。彼女は一体何を考えているんだろう。そもそも俺と付き合っている時点で彼女は相当変わっているけど、彼女の単純なくせに鋭いところはシズちゃんと似ていて侮れない。だからたまに突拍子もなく可笑しな行動をしても、それには俺には見当も付かなかった理由があるわけで、そんなところを俺は気にいっていたりする。シズちゃんと似ていると言ったけど、彼女の方が数段頭がいいのでやっぱり似てない。
「?何ですか。人の顔をじろじろと。」
「…なんでもないよ。別に。」
「変…なのはいつものことでしたね。さ、できましたよー」
テーブルの上に準備されたカレーライスが食欲を誘う。彼女が作るカレーライスはご飯とル―の間に卵焼きが挟まれているのが特徴的だ。彼女が言うには、ルーをご飯にかけると嫌がる人間もいるから、らしい。俺はあまり気にしないけど、彼女のカレーが当たり前になっているので、今では卵焼きなしのカレーなんて考えられない。…そんなこと絶対彼女には言ってあげないけど。
「熱いうちにどうぞ?」
「じゃあ、…いただきます。」
口に運ぶとほどよい辛さが舌を刺激する。うん、美味い。二口目は卵も一緒にスプーンですくって。カレーの辛さと卵の甘みが絶妙にマッチしている。やっぱり卵焼きは甘い方が美味い。続けてスプーンを運んでいると、彼女と視線があった。俺の感想を聞きたいらしく、子犬のような目でこっちを見ている。その姿が可愛らしくて思わず笑みがもれた。
「心配しなくても美味しいよ。」
「本当ですか?」
「人参も入ってないしね。」
彼女は俺が人参が苦手なことをしっているので、あらゆる面で人参を食べさせようとしてくる。栄養がいっぱい入ってるんですから、と彼女は耳にたこができそうなくらい俺に言うが、苦手な物は仕方がない。しかし、今日のカレーの中にはそれらしきものが見当たらず肉とマッシュルームとジャガイモと溶けかけた玉葱があるだけ。めずらしいこともあるもんだな。と思った矢先、彼女はとんでもない発言をする。
「残念ながら、人参は摩り下ろして入れたんですよ。」
これなら臨也さんも食べられるんですね。
次回からもそうします。
スプーンを落としそうになった。人参を知らない間に胃の中にいれていたかと思うと、先程までの自分を信じられなくなりそうだ。にこにこと、まるで悪戯が成功した子供のように笑う彼女に溜息が漏れる。まったく、そこまでして俺に人参を食わせたいのか。スプーンにルーだけをのせて口に運び咀嚼する。人参の味など全くしない。やっぱり美味い。
「ね?人参の味なんてわからないでしょう?」
…なぜだかすごく負けた気分だ。自分の心中を読みとられたのが少し悔しかったので、返事をせずに残りのカレーを休まず口の中に運び続けた。
「ごちそうさま。」
「はい、お粗末さまでした。」
最後に水を飲むと、口の中の辛さが引いていく。彼女のにこにこした顔が無性にいらついて、食器を片づけるとすぐに仕事部屋に向かうことにした。まだ終わらせていない仕事がたくさんある。しばらくの徹夜も覚悟のうちだ。
「あ、臨也さん!元気は出ましたか?」
「……はぁ?」
「カレーは人を元気にさせる力があるんですよ。」
「……なんのことを言っているのかさっぱりわからないんだけど。」
「臨也さんはいくら食欲のない時でも、カレーなら食べてくれるんですよ。その証拠に、残さず全部食べてくれましたよね。」
彼女には、いつも仕事のことは一切話さない。だから知らないはずだ。今日帰って来る前の仕事がどれほど嫌な仕事だったかを。それで俺が珍しくも落ち込んでしまっていたことも。そもそも、俺も忘れてしまっていた。彼女のカレーのせいで。彼女のカレーを食べたせいで。
やっぱり、この子は侮れない。
「…本当、君の料理の腕には敵わないねぇ。」
カレーライスの魔法!
(君の作った料理だから、だよ
/20100615)