理不尽なんだよ
何にだって守りたいものがあるかもしれないのに
お前は馬鹿だからわからないだろうがな
だから俺が教えてやるよ
お前にそれが何かって






















その日は土砂降りだった。こんなに雨はふったら歌舞伎町なんか沈んでしまうんじゃないかと思うくらいの雨が降っていた。大抵の人はこの天気で外に出るのが億劫なようで、祝日にもかかわらず街に人の影は少なかった。自分の部屋の襖を開けると長い廊下が続く。真撰組の屯所の庭も雨が叩きつけられて涼しい風が体を通った。今日は真撰組も休みをとっており、隊士はそれぞれの時間を過ごしていた。しかし私は隊服に着替え腰には刀をさしていた。寂しい人間で、仕事がなくなったらそれはきっと何も無くなることをさすのだろう。1人街を見回りに行こうと外にでようとしたが、やめた。パトカーが一台無かった。おそらく彼が市中に出ているのだろう。誘ってくれてもいいのに、せっかくの雨なのに。せっかくの雨なのに。あたしはそう思って一歩外に出た。もちろん傘はささない。雨があっという間に体を突き抜ける。体温が奪われていく。額に前髪が張り付いてうっとおしいが払うことはしない。

「…何やってんだ、」

「あ…土方さん、」


土方さんがパトカーから降りてきた。彼が律儀に傘をさしていた。あたしがこうやって雨の日にびしょ濡れで外に立っていることはそう珍しいことではない。あたしがこうやって居ることは真撰組では有名なことで、最初は止めろと言った土方さんも今は何も言わない。

「相変わらず変わった趣味だな、」

「…はは、」

土方さんは煙草に火をつけた。この土砂降りの中でも傘が火を守っている。

「今日は休みだろ、何してんだ」

彼の吐く煙が雨を避けた。

「や…土方さんこそ、」

「誰もやらねぇ訳には行かねぇだろ、」

「…さすが土方さん、」

「………、行くぞ、」

「…や、あたしはまだ、」

「…休みたくねぇんだろ、制服なんか着やがって。仕事は腐るほどあるんだ、来い。」


そして土方さんに従って土方さんの部屋に向かった。あたしが歩けば周りはすぐ水たまりになった。それに土方さんはイヤな顔をしてあたしに風呂に向かうよう言った。逆らうこともなく風呂に向かう。

あたしは雨が好きなわけじゃない。帰りたくなるのだ、あたしがいた世界に。あれはもう5年前か、道に落ちていたあたしが土方さんに拾われて真撰組に住むことになったのは。あたしはただの大学生で、家族がいて、友人がいた。大切な人もいたのだ。突然の雷雨に身体を撃たれて気が付いたらそこは江戸時代。今が不満であるというわけじゃない。素姓がはっきりしないあたしを四の五の言わずに引き取ってくれたのはこの真撰組で、武術をかじっていたあたしに人を斬れるまで剣を鍛えてくれたのは紛れもなくこの真撰組のみんなで、今この世界で大切なものもたくさんある。
だけど、だけど突然とてつもなく苦しくなる時がある。帰ってみたくなる時がある。初めて人を斬った時も雨が降っていたのだ。あたしの日常はもうここで、今現代に行ったらそれは異常になる。

湯船に体を沈めると冷えていた芯が暖まった。指先がじんじんする感覚に深く息を吐くと体が休まる。帰るか帰らないか、この世界で死ぬのか元の世界で死ぬのかは、あたしが決めるんじゃない。この世界にあたしを送りこんだ、神様が決めるのだ。何人いるかわからない神様、本物か知らないから偽物と区別のつかない神様。

あ、土方さんのところに仕事をしに行くのだった、ゆっくりしすぎた、なんて思いながら風呂から上がり彼の部屋にむかう。雨はまだたくさん降っていて、雑音を掻き消した。

「…失礼しまーす。」

「おぅ、入れ。」

土方さんの部屋は煙草の香りが充満していた。あたしに背を向けて書類を片付ける後ろ姿はもう何度も見た。あたしは右も左もわからず彼についてきたんだなぁ、なんて考えながら土方さんの仕事を手伝い始めた。


「珍しいな、文句も言わねぇで仕事するなんざ」

「んー…気分です。」

土方さんが後ろに手をついて煙草の煙を吐きながら言った。この書類は何度目か、沖田さんの不祥事をもみ消すためのもので、土方さんのため息の多さも頷ける。必要事項を書き込んで判を押す。土方さんの視線を感じて振り返った。

「…なんですか?」

「…、」

「土方さん…?」

「お前は、…」


土方さんの視線が刺さった。ドキリとするのだ彼の視線は。全てを見透かすような、苦しい。

「…雨が、嫌いなのか?」

「、え?」

「…」

「…いや、きらいってわけじゃ、」

「…、」


沈黙が空間を包む。気まずくなって苦笑を浮かべて視線をそらした。
すると突然体に鈍い重さと近距離で煙草の匂いを感じた。あれ、

「…、」

「…」

「お前は、」

「…ひ、土方、さ…ん」

みしり、と骨が軋む。強い力で抱きしめられた。

「…、」

「……ぁ、の」


土方さんは喋るな、と言うようにさらに腕に力を入れた。距離がない。体が彼の煙草の匂いに包まれた。耳に彼の息がかかる。たまらない感覚に体が熱くなった。

「…帰りたいのか、」

「…え…」

土方さんはこの近距離でしか聞こえないようなとても小さな声で囁いた。

「…お前は消えちまうのか、」

「…ひ、じかた、さん…」

「勝手なことは許さねぇ。俺は、てめぇをてめぇが言う世界とやらに返すつもりなんざありゃしねぇんだよ、」


彼の顔は見えなかったけれど悲しいとか寂しさとかいう類いの感情が触れ合う肌から伝わってきた。悲しくないよ、あたしはあたしでこの世界を愛してる、ただ懐かしさがたまに破裂するだけだよ。彼の背中に腕をまわすとまた強く抱きしめられた。


それだけなのに何かが切れたように涙が出てきた。止まらない涙と嗚咽が、彼の隊服に飲み込まれていく。あたし達は揃いも揃って泣き虫だった。
外は土砂降りだった。地面に叩きつける雨音に雑音が掻き消される。あたし達を見下ろす神とやらは何をあたしに果たさせたかったのか。包まれるぬくもりと煙草の匂いに自覚もなく深い安堵感を覚えた。

あたしの目から溢れる涙は、この土砂降りがあがる頃に渇くだろう。















月が満ちて涙は枯れた





諦めたわけじゃなくて、
未練があるわけでもない。
前を向いて進むことしか出来ないなら
それはとても幸せなことであることに
私は、気づいたのだ。






Thanks.SYさま