近頃江戸では雲一つ無い晴天が続いている。何でなんですかねとわたしが尋ねると、団子屋にとっちゃ晴れてるほうがよりたくさんのお客様に立ち寄っていただけるから都合がいいや、と陽気な店長は白い歯を見せた。確かに天気が良いのもバイト先が繁盛するのも嬉しいことだが、食器を手にガチャガチャと店の中と外を行き来するわたしにとっては、仕事がより忙しくなると思うと正直複雑だった。お客様が来店されるピークが過ぎ、ついに真っ青だった空が赤みをおびてくるとようやく店内は落ち着きを取り戻す。空いた時間に一息ついて休んでいると煙草の匂いが鼻をかすめた。



「一皿頼む」



注文に応答しながら振り返るとそこには煙草をくわえた黒髪の男性。仏教面に切れ目、さらには瞳孔が開いているせいかあまり良い印象を与えるタイプの人では無かった。内心少し、ほんの少しだけ怯えつつ、笑顔でお待たせ致しましたとマニュアル通りの台詞とともに外で待つお客様にお団子を差し出す。ふと気づくとお客様の腰には刀がささっていた。廃刀令の出ているこのご時世に堂々と刀をさして歩けるということは幕府関係の人なのだろうか。不思議に思いしばらく眺めているとお客様はさらに思いがけない行動をとった。懐から取り出したマヨネーズを団子にかけ始めたのだ。それもちょっとした味のアクセント、というわけではなく団子がマヨネーズに隠れるぐらいたっぷりと。思わずうっと口を塞ぎ、こそっと店長に知らせると、ああ、あれは真選組副長土方十四郎さんだよと軽々しく口にした。続いて、まだ若くしてあのご活躍だ、話相手になっていただきなさい、良い社会勉強になるぞ、なんて言い出すものだから店長の陽気さにはお手上げである。そんな滅相もない。わたしが言うやいなや向こうから何やら大きな物音がした。微かに男のうめき声も聞こえる。何事かと飛び出すとざわめく人の中心に刀を抜いた土方さんが立っていた。



「な、何やってるんですか」

「あ?何やってるかって、見りゃ分かんだろ」



眉をひそめて土方さんの背中ごしに後ろをのぞくとそこには二人の男性がいた。よく見ると二人の刀を持つ手は細かく震え、目の前にある刀の切っ先にたじろいでいる。土方さんは見りゃ分かんだろと低く言ったが、状況を把握するにはこの場面を見ただけでは不十分だった。これだけではどうみても土方さんが二人を一方的に襲っているようにしか見えない。わたしが真相を知る前に土方さんが刀を振り上げるものだから、わたしはとっさに着物を引っ張り邪魔をしてしまった。罪の無い人が斬られるのを阻止したかったというよりは、ただ単に自分の目の前で人が死ぬのが嫌だったのだ。そして二人の男はその一瞬の隙を逃さず一目散に逃げていく。良かった、とわたしが安堵の息をもらすにはまだ早い。相手を斬るチャンスを奪われたうえ逃げられてしまったのだ、土方さんはわたしのほうをゆっくり振り返り片腕を強い力で掴みあげた。



「人の喧嘩の邪魔をするたァどういう了見だ」

「すいま、せ」

「別に謝罪がほしいわけじゃねェよ。こっちは理由を聞いてるだけだ」

「さ、さっきの二人が、斬られてしまうと思ったので」

「そりゃ斬るに決まってんだろ。廃刀令の下ったこのご時世に腰に刀さして歩き回ってるうえ、そこら中で食い逃げはたらきやがって。武士の風上にもおけねェ野郎の命なんざ知ったこっちゃねェ」



しゅぼっ。土方さんはわたしの手を解放しマヨネーズの形をしたライターで煙草に火をつけた。夕日がかった空に向かって白いもやもやが上がっては消えていく。そうだったのか、悪者はあの人たちだったんだ。そもそも真選組といえば評判こそあまり良くないが江戸の治安を守っている組織。民家をバズーカで破壊する事件などは稀に起こるが、悪さをするような集団ではなかった。その事実に気づいたときには時すでに遅し。今頃、先ほどの男たちは遠くへと逃走距離をのばしているに違いない。



「あの、知らなかったとはいえ、邪魔してしまって、すいませんでした」

「‥怪我はねェのか?」

「え?」

「え、じゃねェよ。怪我はねェのかって聞いてんだ」

「怪我は、大丈夫です」

「そうか。ならいいが」



死にたくねェなら二度と刀持った奴の前に出ねェことだな、と思いの外優しい言葉を付け加え残りの団子を口にする。何度か咀嚼し、ごくりと飲み込むと最後にお茶をすすって席を立った。



「あのっ‥」



気づけばわたしは声をかけていて。土方さんは振り返ってくれたが何も言葉を用意していなかったわたしは、ぱくぱくと金魚のように口を動かすことしかできなかった。ありがとうございました、そう一言いえば済む話であるのに何度も繰り返してきたそのマニュアル通りの台詞さえ出てこないほどわたしは緊張していたのかもしれない。それに見かねたのか、土方さんは仏教面のままわたしのかわりに口を開いた。



「うまかった。そう店長に伝えておいてくれ」

「はい!あ、ありがとうございました。ぜひまたお越し下さい」

「ああ、気が向いたらな」



ふわりふわり。煙草の匂いと共にやってきた彼は、赤く染まった空に小さな雲を浮かべながら去っていった。掴まれた腕は未だに少し赤みをおびて熱を持っている。では、同じく赤く熱をもった顔は何故そうなっているのだろうか。また来て欲しいと思うのは、伸びる影を引き連れる彼の背中を欲するのはなぜなのだろうか。店長に聞いたらおそらく、くしゃっと顔をしわくちゃにして言うだろ。



それは恋だよ






どうやら雲に恋したらしい




Thanks.ちいこさま