隙間45センチ劇場
俺の朝は、隙間45センチの景色から始まる。
用意するものは、双眼鏡。
その隙間から、まず見えるのは政治経済の窓口。新聞。それを大きく広げて、男は十分かけてコーヒーを飲む。
それが終わったら、朝から風呂。
そいつの風呂の脱衣所は脱衣所としての役目を果たした事が無い。いつだって、男は開いたカーテンの隙間四十五センチに気付かず服を脱ぎ始める。
「お。今日は黒のボクサーパンツ。」
思わず身を乗り出した。
まるでライト級の格闘家みたいに固そうな体。
惜しげもなくそれをこちらに見せつけながら、男はテーブルの上の新聞をまだ少し未練がましく見つめながら、服を脱ぐ。
隙間の中では治まりきらず抜け殻みたいに散らばった服をそのままに、男は一旦隙間から姿を消す。
俺はその間に急いで、自分の朝の準備を済ませないといけない。服を着替えて、飯食って、歯磨いて、顔洗って、鬚剃って。
それら全部を二十分以内に納めて、また隙間四十五センチの前に陣取る。
朝の隙間45センチのクライマックス。
男は濡れた体をそのままに、一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、パンツさえ身につけていない状態で、隙間を横切る。
その一瞬だけしか見れないのが非常に残念だ。
けど、この45センチという隙間は絶妙だと思う。
じれったい。それが余計に興奮させる。
男は新しいパンツに履き替えて、また隙間で服を身につけていく。
今度は灰色のブリーフ。
股間の部分の盛り上がりに溜まらず呟いた。
「うまそう。」
その声と同時に、俺の部屋の目覚ましの音がけたたましく鳴り響く。
朝の隙間45センチ劇場の終わりの合図。
俺は携帯を取り出し、通話スイッチを押した。
何度目かのコール音の後に、ねむそうな男の声が聞こえる。
「もしもし〜おはよう〜起きてた?」
『・・・・今、お前の電話で起きた。』
その言葉に、噴出しそうになるのを堪えて言葉を続ける。
「ほんと、俺に感謝しろよ。ネボスケのお前を俺が毎朝起こしてやってるんだから。」
『うん。お前がいなきゃ俺、会社毎日遅刻してる。』
何が会社だ。お前、無職だろ。やくざのボンボンで、世間知らずの馬鹿。
「今月の、目覚まし料。ちゃんと振り込んどけよ。」
『うん。』
俺は視線をもう一度隙間に戻した。
男が受話器を持ったまま、ソファの上に寝そべっている。
その顔は、シャワーのせいか赤く染まり、絶えずそわそわと落ち着きが無い。
「そろそろ切る。俺まで遅刻してたら意味ねーからな。」
俺がそう言った途端、隙間の男は、そわそわした動きを止めて、窓の外を見た。
『待てよ、もうちょっと。』
双眼鏡を目に当てて、身体をベランダに乗り出す。
「あ?何?」
片手には器用に受話器を持ちながら。
男は俺の視線には気付かない。どこか遠くを見ている。
『もうちょっと話したい。』
「・・・・・」
『なあ。今日、店に行ってもいいか?』
店とは俺がバイトしてるゲイバー。
「いいけど、俺今日いねーし。」
『じゃあ、一緒にどっか・・・』
「うぜぇし。」
そう言って容赦なく電話を切ってやった。
隙間で男は項垂れて、クッションを形が崩れるくらいに抱きしめてる。
いちいちかわいいんだよ。お前。
本とは俺よりずっと早くに起きてるくせに「朝どうしても起きれないから俺の目覚ましになってくれないか。」なんて。
いじらしい。
俺は煙草に火をつけて、そのまま唇の端を吊り上げて笑った。
俺のこの悪癖に気付いたら、いじらしい隙間の男もきっと呆れ返るだろう。
パパに頼んで、俺を東京湾に沈めちゃう?
それとも、45センチの隙間で、愛してると手を振ってくれるだろうか。
ただ、お前のために、この高層マンションに引っ越して、毎月の給料のほぼ全額をつぎ込んでいる俺の苦労は買ってくれよ。
【End】
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