04邂逅と昔の夢
(―――八年前)
「......お嬢様、泣かないで下さい。きっと旦那様もここまで強く言われるつもりは無かったと思いますよ。」
ベッドに突っ伏して涙を流すエミリエの肩をサラがそっと抱いた。
病状の悪化に伴い、彼女の肩は痩せていく。その事がサラの胸に暗い影を落としていた。
「......お父様は....まるで石の様に冷ややかな人だわ....。新しいお母様も嫌い。
.......私が良い子じゃないから.....。こんな....体だから......」
「お嬢様は良い子ですよ。胸を張ってお嬢様らしくなさっていれば良いんです。」
「........サラ。私は....お母様に早く、会いたい.....。」
辛そうに涙を流すエミリエを見て、サラもまた苦しそうに眉を寄せた。
「.........。お嬢様。お嬢様さえよろしければ.....この屋敷を....内地を出て、外へ....私と一緒に参りませんか。」
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ここは.....あまりに閉鎖的過ぎます。もっと広い場所へ二人で行きましょう。そうすれば体の調子もきっと良くなります。」
サラの提案を、エミリエは黙って聞いていた。そしてそっと目を閉じて息を吐いた後、首を横に振った。
「サラ.......。ありがとう。すごく嬉しいわ。
だけれど......私がいなくなったら、お母様の事を覚えている人がこの屋敷には誰もいなくなってしまう。
お母様は....確かにあまり褒められた家柄の人間では無かったわ。それでも、頑張ってここで生きようとしていたのよ.....。
......それなのに......これでは、あまりにお母様が可哀想....。」
「お嬢様.......。」
「......私は大丈夫よ。だって貴方がいてくれるもの。
どんなにお父様に冷たくされ、新しいお母様に疎まれて....使用人たちに嫌われようと、サラだけは私の味方だから.....だから、平気よ。」
エミリエは体を少し起こし、サラの首に腕を回す。
「傍に.....傍にいてね。サラ.....」
その言葉にサラは強く頷き、エミリエを抱き返した。
「勿論ですよ。お嬢様.....」
「馬鹿ね。何で貴方が泣くの....。本当にいつまでも泣き虫なんだから.....」
「......お嬢様の前でだけですよ....」
.......貴方と二人なら、この暗い屋敷の中でも....私は生きていける....。
どんなに疎まれようと、私はここで生きてみせるわ。そう、固く胸に誓っていた。
あの......事件が起こるまでは......
*
(..............。)
深夜、目を覚ました。
頬に生暖かいものが滑るのを感じて、初めて自分が泣いているのだと気付く。
(........八年か。)
あの屋敷を出て、もうそんなに経つのか.....。
........先程、サラが家を出て行く気配を感じた。
こんな夜遅くに、あの子はどこへ行ったのだろう。
.......可能性はひとつしかない。最近よく口にする.....あの、調査兵団の兵士だ。
深夜、男女が逢瀬を行う理由は......まさか。あの子に限ってあり得ない。だって八年前の事件で、サラは......
溜め息をひとつ吐いてエミリエは涙を拭う。
.......しめやかな夜だった。雪が、全ての物音を優しく包み込んでしまった様な。
彼女とサラしか住む者のいない小さなこの屋敷も、深々とその静けさを募らせて行く。
.......私はあの子から内地での快適な生活や友人、これからの人生....様々なものを奪ってしまった。
だから、せめて守ってやらなければ.....サラが悲しむ事が、今の私にとって一番の痛みなのだから....
........玄関から物音が。良かった。この時間に帰って来たという事は何も無かったという事だ.....事故も、それ以外の事も.....
......一言叱ってやらねば。こんな夜遅くに主人に無断で外出した事に。
そう思ってベッドから起き上がった時に聞こえた声にエミリエは動きを止める。
――――男の声。
エミリエはしばらく固まっていたが、それが聞き間違えでない事を確認すると、深く呼吸して立ち上がった。
そしてゆっくりと自室の扉を開いて廊下に足を踏み出す―――
*
「ここまで送って頂いて、本当にありがとうございました。」
サラは柔らかく笑ってエルヴィンの事を見上げた。
「いや、構わない。それに礼を言うのは私の方だ。今日は....本当にありがとう。」
「そんな事.....全部私の好きでした事ですから....。」
礼を述べれば彼女は照れくさそうに目を伏せる。
エルヴィンはその様子に小さく笑った後、寒さからか少し赤くなった彼女の耳にそっと唇を寄せて「おやすみ、サラ」と囁いた。
サラはくすぐったそうに目を細めて「はい。兵隊さんも.....」と返す。
........別れが、惜しかった。しばらくエルヴィンとサラはそのままの姿勢で玄関に立ち尽くしていた。
「.......そこにいるのは誰」
しかし薄暗い室内に静かな声が響き、二人は声がした方向へ視線を向ける。
「........お嬢様」
そこにはこの屋敷の主がランプを片手に白い寝間着姿で立っていた。先程の声と同様、静かな瞳で二人を真っ直ぐと見据えながら。
「.............!?」
だが、その瞳はエルヴィンの顔を見た瞬間見開かれる。
「あ、あのお嬢様.....こちらは以前お話していた調査兵団の兵隊さんで....私、送って頂いたんです」
サラは固まるエミリエに少し疑問を覚えながらも手短に紹介をした。
しかし彼女はそれも耳に入らない様で、大きな瞳に困惑の色を浮かべてエルヴィンを見つめるばかりだった。
「.........貴方、調査兵団の団長とこんな時間に何をしているの......」
吐息の様な声がエミリエの口から漏れる。
今度はサラが固まる番だった。
「だ、団長さん...........?」
そう呟いてエルヴィンの事を見上げる。エルヴィンは少し困った様にそれを見つめ返した。
「お、お嬢様......本当なんですか....。この方が....調査兵団の団長さんっていうのは....」
震える声でサラはエミリエに問い掛ける。彼女は深い深い溜め息を吐いてサラを見つめた。
「全く.......。新聞位お読みなさいな。その男の名前はエルヴィン・スミス。調査兵団の現団長だわ。やり手として有名よ。」
困惑の表情を浮かべるサラの掌にエルヴァインの大きな手が安心させる様にそっと触れる。
その様子を眺めてエミリエはもう一度気怠げに溜め息を吐いた。
「.........エルヴィンさん。大変失礼ですが、もううちの使用人に近付かないで頂けますか。」
その一言にサラは息を飲んでエミリエへと再び視線を向ける。エルヴィンも多少動揺した様にたじろいだ。
「........なっ、お嬢様!?一体何を.....?」
「貴方は黙っていなさい。.......エルヴィンさん、貴方の為でもあるのですよ。」
「.......どういう事か、お話をお聞かせ願えますか。」
混乱するサラに反してエルヴィンは冷静に言葉を紡ぐ。エミリエはそんな彼を一瞥して踵を返した。
「サラ。エルヴィンさんの外套をお預かりしなさい。」
「え.......?あ、あの....」
「それから熱い紅茶を淹れて差し上げて。」
「お嬢様........?」
「急ぎなさい。今すぐによ。」
「は、はい......」
そして振り返らずに「どうぞお上がり下さい。」と粛々とした口調でエルヴィンに告げる。
彼は黙ってそれに頷き、エミリエに従った。
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