日溜まりを探す人 | ナノ サラは、ゆっくりと瞼を開いた。


肩まで伸びた髪を穏やかな風が揺らす気配がする。

雲間から落ちてくる透明な太陽の光で、よく磨かれた御影の石は綺羅としてた。


今日は、花はない。この時期はいつもそうだ。供えるまでも無く、周囲には鮮やかに桜が咲いていてくれるから。


そうしてサラはおもむろに面を上げて隣にいた人物のことを眺める。

応えて彼もこちらを見下ろすようにした。


少しの間動かずに互いの瞳の内をじっと覗き込む。

やがてエルヴィンはそろりと左手を伸ばして妻の頬に触れた。……サラは少し照れて伏し目がちになるようである。

いつになっても初々しいその仕草は、彼の胸中をなんだか堪らない気持ちにした。


もう一度彼女が見上げてくる。何か言いたそうだったので、促してやった。ゆっくりと唇が開く。



「あの、エルヴィンさん。やはり男性というのは肉付きの良い女性が好きなのでしょうか。」



…………唐突に漏らされた彼女の脈絡の無い発言に、エルヴィンは思わず咳き込んだ。


「あれ、どうされました」


その様子を見てサラは心配そうに声をかける。


「い……いや。どうされましたは俺の台詞なんだが。」

「はい?健康ですけど」

「……………それは良かった。では質問を変えよう。何故今。このタイミングで聞く。」

「うーん。ちょっと気になったというか……」


サラが自身の行動を顧みては考え込む様子を眺めて……エルヴィンはその肩にぽん、と手を置く。

それからにっこりと笑った。


「サラ。体質は仕方が無いんだ、諦めろ。」

「ちょっ、ちょっとそれひどく無いですかあ!?」


夫の心ない言葉に、思わずサラは涙目になる。

それを察してやってか、エルヴィンは彼女を慰める為に軽く頭を撫でてやった。


(………………。)


中々良い調子で、髪が元の様子に戻ってきている。……一緒になってから随分経つという証拠だ。


愛する人がいるのは良いものだと彼はしみじみと思う。

こんな幸せが自分にも、と思えばいつでも気持ちは穏やかで…そして少し切なかった。



「…………サラ。」


名前を呼んでやる。

最近知ったことだが、本名はこれより少し長いらしい。

けれど彼女の愛する令嬢が親しみを込めてサラと呼び続けていたので、今日ではこちらが本当の名前のようになっている。


だから、自分もこちらを呼ぼうと思った。

違いは些細なものだし……自分が知っている彼女には、この名前が一番しっくりとする気がしたから。


「はい、なんでしょうか。」


彼女が嬉しそうに返事をした。

いつもそうだ、その表情だけで心から想われているのだとよく分かる。


触れていた髪から手を離すと、さらさらとした春風に煽られて揺れたあとに元の場所へ。

それを見届けてから、エルヴィンはもう一度笑った。


「俺は、サラのことが一番好きだ」

「ええっ!?」


そうしてせわしなくサラの表情は変化する。

…………こうも翻弄されてくれると中々面白い。彼は至極愉快な気分になっていった。


「なんだ、てっきりそれが不安だからあんな薮から棒なことを聞いてきたのかと。」

「まっ……まあ……確かに否定はしませんが……
あ、あの……はい、私はお世辞にも女性らしい身体ではありませんので…
もしそういった方がよろしいのであれば…少し、しかるべき処置を」

「…………元より。俺はお前にそういった女性的な魅力を期待したことは一度も無いが」

「ひどっ!?」

「まあそうショックを受けるな。今のままで良いと言ってるんだ。」


そう言いながら、エルヴィンは如何にも頼りない彼女の肩へ、そうして腕に触れる。

…………長い間兵士として生活してきた身からすると、少し乱暴に扱えば壊れてしまいそうなこの身体はいつまでも純粋に新鮮だった。


ウェストから、細い腰へ。

じっくりと確かめる様に、順々と。


サラはその様子を黙って眺めていたが……やがて「くすぐったい…ので。」と弱々しく零した。


(……というよりも。これはこれで相当いやらしいと思うんだが)


それは…言葉にしないで「好きになるのに姿形は問題じゃないだろう」と如何にも紳士ぶったことを言ってみる。

………サラは簡単に騙されて、嬉しそうな表情になった。


(ああ)


ひどく劣情を煽られる。


おかしい。

元より彼女が言うように、自分も…どちらかと言えば多くの男性の例に漏れずそういった系統を好んでいた気がするのだが。


(………………。)


だが。今は一人の怖い女性の墓前である。軽卒な行動は慎もうと、気分を落ち着かせる為に深く呼吸をした。


「それに……外見的特徴で言ったら、サラは髪がとても綺麗じゃないか。」


彼女は素直に褒め言葉を受け取って、なんだか照れ臭そうにしながら深い色をしたその髪の毛先を触る。


「エルヴィンさんにそう言って頂けるのが一番嬉しいです。
………私の、自分で唯一自信が持てるところなので。」

「……………そんな勿体ないことを言うな。お前の良いところは他にも沢山あるだろう。
優しくて…素直で明るいところ……誠実で失敗にもめげずに頑張る姿には勇気をもらえる。
こんな人間に愛される俺の人生は幸せなんだと心から思うよ。他にも「もっ、もう良いですよ……!」


まさに褒め殺しという非道な攻撃をしつくした結果、サラは非常に情けない顔になっていた。

…………すっかりと頬から耳にかけて朱がさしている。


一言謝ったあとに「もう不安じゃなくなったか。まだどうしようもないならば…」と懲りずに続けようとすれば、「もっもう全然ですよ…!とっても安全ですからあ」と悲鳴に似た声で制止される。


いっぱいいっぱいなその様子が不謹慎ながら可愛らしく思えたので、悪かった悪かったともう一度繰り返して謝罪しながら抱き寄せてやった。


(……………うん。)


しかし抱いてみて改めて思う事は……あれから随分経つと言うのに…確かに、相も変わらず痩せぎす過ぎることであった。

片腕で充分過ぎるほどしっかり身を寄せることが出来るのは悪く無いのだが。それにしても………。………



「サラ。今夜の風呂は一緒に入ろう」


思い当たってぽつりと零せば、サラは腕の中から不思議そうにエルヴィンを見上げた。


「いや……?結構ですけれど。」

「遠慮をするな。……というより、言われてみれば俺もお前の細さは少し不安だった。
服の上からではいまいちよく分からないから一度きちんと確認を……と」

「しなくて良いですよ…!第一何故それがお風呂に一緒に入る理由になるんですか」

「いや、いつも暗くてよく見えないからな」

「なに言い出すんですか!!??」

「なんだろうなあ。言ってみてごらん」

「うわああ、お嬢様ああ!!」


サラは恥ずかしさの限界を超えたらしく、ぴったりと抱かれたその状況から逃げ出そうとした。

勿論それは体格差的に適う筈は無い。彼女が助けを求めた女性の墓石も、柔らかい光の中でほのぼのとした趣きを醸すだけである。


「まあなんだ。それに成長させるにはそういうのが一番良いとよく言うだろう。」

「………成長?流石に年齢的に成長はもうしませんよ……」


エルヴィンの言葉の真意をサラは残念ながら察してくれないらしい。

少々残念な気持ちもするが……これ以上虐めてしまうと彼女の且つての主人から祟られる可能性があるので、ようやく解放してやった。



…………サラは自由になっても未だに緊張が解けないらしく、ひどく熱くなっているであろう頬に掌を当てている。


自分のことで余裕が無くなってくれるのは結構嬉しい。

エルヴィンは今日の天気に似た晴れやかな気分になって、声をあげて笑った。



一迅の優しい風に乗って薄紅の花弁がひらひらと運ばれてくる。

頭の上には、同じ色をした花がふっさりと鈴なりに漂っていた。花弁の合間に見える空の青さがまた美しい。



「………春だな。」


自然とエルヴィンが漏らせば、サラが「はい。」と相槌を打つ。

彼女もまた同じようにこの景色に見蕩れていたようだ。


「良い季節だ。」

「そうですね。」


エルヴィンの隣で、サラは微笑みながら…そっと自分の胸の辺りに触れる。

きゅっと小さな掌に力がこもった。彼はそれを見下ろして、軽く肩をすくめる。


「なんだ……お前、まだ胸のことが「もう胸の話は良いです…!」

「というか思い返すと、先にこの話題を振ってきたのはサラだ」

「エルヴィンさんはそこに深く突っ込みすぎなんですよ!!」


やっと失せていた筈の彼女の熱は再び回復してしまったらしい。

サラは自身の赤みが滲んだ顔を見せない様、そこを掌で覆った。



「………なんだか、ですね。嬉しくて仕様が無いのに…胸の奥がきゅっとして痛いんですよ。」


暫時して、落ち着きを取り戻したサラが再び胸の辺りを抑えながら囁いた。

その間もひらひらと桜の花弁は彼女の周りに落ちて行く。


髪についてしまった一枚を、エルヴィンは丁寧な仕草で取ってやった。


「…………きっと。幸せだからじゃないのか。」


摘まみ上げた花弁を離せば、風に乗ってふんわりしながら遠くへ行くらしい。

眺めている最中に他の薄紅に紛れたので、見送ることは出来なくなってしまった。


「幸せなのに……何故胸は痛いのでしょうか。」

「幸せとはそういうものだよ。」


自身の胸に触ったままでいた大事な人の掌を取って、エルヴィンは歩き出す。

最後に世話になった令嬢への挨拶を忘れずに。



「…………幸せ……。」



少し名残惜しそうにエミリエの墓碑を眺めていたサラは、エルヴィンの言葉をぽつりと反復して零した。

握ってもらった手を握り返しては、つくづくこの人は大きな掌をしているなと感慨に耽った。


未だに収まらない胸の痛みを堪えて、彼のことを見上げる。

瞳が合った。風が吹いて、桜の花が畝っては薄い花弁を次々に離していく。

その中で金色の髪がそっと揺れた。合間からは真っ青な空が。やはり美しい。どこか懐かしい光景だと思った。


感動なのだろうか。

目頭がほんのりと熱くなっていくのを、サラは確かに感じていた。


 

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