01出会いと林檎
冬が近付く街で、私は初めて彼女と出会った。
空は曇り、建物の群れは皆色を失っている.....
そんな中で、彼女の巻いた赤いマフラーだけが生き生きと色彩を放っていた。
まるでその周囲だけ花が咲いた様に鮮やかに見えて....
「兵隊さん....!」
街の通りを歩いていると、息を切らした声が背後から聞こえた。
振り向くとやや緊張した面持ちの女性が自分のハンカチを差し出している。
「兵隊さん、これ...落とされましたよね?」
状況がよく飲み込めず固まっていると、彼女は安心させる様ににこりと笑ってみせた。
まるで寒さなど気にはならないという様な明るい笑顔である。
「あぁ....。申し訳ない....」
兵隊さんという呼ばれ慣れない言葉に少し戸惑いつつもそれを受け取ると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「いえ、いつもお務めご苦労様です。」
先程から続く太陽の様な笑顔によく似合う元気な声でそう告げると、そのまま足取りも軽く立ち去って行く。
まるで春の突風の様なその勢いに呆然としてしまったが、しばらくすると心がむず痒い様な、何とも言えない温かな気持ちになった。
その日は一日中、理由の分からない機嫌の良さが続いていたのを覚えている...
*
再び出会う機会は突然やってきた。
安っぽい芝居にでもありそうな出来事だが、同じ街の曲がり角を曲がろうとした時に運悪く衝突した相手....それが彼女だったのだ。
「うわ!」
女性らしからぬ声を上げながら、体がぶつかった衝撃により彼女はバランスを崩す。
胸に抱えていた紙袋は放り出され、飛び出した林檎が偶然通り縋った馬車に踏みつけられていった。更に本人はしたたかに腰を舗装された道に打ち付けると言うおまけ付きである。
「い、いたい.....」
「す、すまない....。大丈夫か?」
「大丈夫です....。こちらこそ前方不注意で申し訳....ん?」
彼女が道路に座り込んだままぱちりとこちらを見た。顔を確認すると途端に花が咲いた様な笑顔になる。
「あぁ!この前の兵隊さんじゃないですか」
そう言うと地面から身を起こし、へにゃりと目尻を下げながらこちらに近寄って来る。
「こんな所でまた会えるなんて凄いです。とても嬉しいです!」
「そ、そうか...」
「あ、そうだ。兵隊さんこそお怪我はありませんでしたか?」
今度は一転して心配そうな表情になる。
.....私としては君の体の方が気がかりなのだけれど...
「大丈夫だ。....それより林檎を駄目にしてしまったね...。弁償するよ。いくらかな?」
「いえ、とんでもないです。私も不注意でしたから。」
「いや、そう言う訳にも...」
「良いんですよ。いつも私たちの為に働いて下さっている兵隊さんからお金を受け取るなんてできません。」
「では何か私に出来る事は無いかな。このままでは何だか申し訳ない。」
そう言うと彼女は顎に指を当てて少し考える仕草をする。
しばらくすると何か思い付いた様に視線をこちらに戻してきた。
「兵隊さん、お時間ありますか?」
「あぁ。30分位なら。」
「では、私に話を聞かせて下さい。」
「.....話?」
「そうです。私、人のお話聞くの大好きなんです。
兵隊さんのお仕事の話とか、何でも良いんです。聞かせてくれませんか?」
.......変わった子だと思った。
そして、この御時世にも関わらず随分とすれてない良い子だな、とも思った。
その要望に頷いて了承の意を示すと、彼女はまた嬉しそうに笑うのであった....
*
「.....驚いたな.....」
溌剌としたその態度から想像していた年と、彼女の実年齢は随分と開きがある事が話している内に判明した。
女性に年齢の事を言うのは失礼だと分かっているが、驚きのあまり思わずそれを口に出してしまう。
「......そうなんですよ。いつも実際より若く見られるんです....。」
「それは良い事なのでは?」
「いいえ、違います。私、物凄くそそっかしいから.....。お嬢様にもいつも年相応に振る舞えと言われますし....」
「.....お嬢様?」
「はい。私、この近くのお屋敷で使用人をしているんです。」
(......食器を割りまくっている姿しか想像できない)
「.....今ひどい事考えましたね」
「いや、気の所為だ。」
ベンチに座る二人の間を木枯らしが通り過ぎる。
冬がもうすぐ本格的に訪れるのだ。
「でも....今日は兵隊さんのお話が聞けてとても嬉しかったです。」
彼女が両手を擦り合わせながらそう言う。
終始私の話を興味深そうに聞いてくれたので話しているこちらも楽しかった。
.....自分にもあった筈なのだ。この様に、何にでも感動できた時代が....
それはいつの間にか、随分と遠いものになってしまったが......
「いや、喜んでくれてよかった」
「それはもう。壁外なんて私みたいな一般庶民には縁のない場所ですから。
凄いですねえ。兵隊さんは私なんかが想像できない様な広い世界をご存知なんですね」
「....そんなに良いものでは無いさ。とても危険な場所だ」
「そうなんでしょうね....。私には外に出る勇気なんてとてもありませんし....
でも....だからこそ危険を承知で壁外に行かれる調査兵団の方を、私はとても尊敬しています」
そう言って微笑む彼女は春の日溜まりに咲く花によく似ていた。
もしも自分が、少しだけでも彼女の様に笑えたら....幾分楽に生きる事が出来るだろうに。
そう思わずにはいられない程それは温かで、ひどく胸をしめつけてきた。
「.....名残惜しいがそろそろ時間だ。私も...楽しかったよ」
「はい。ありがとうございました。」
彼女が手を差し出してくるので応える様に握ってやる。
自分のものと比べて彼女の手は随分小さくて、その差が微笑ましい。
「兵隊さん、私、サラって言うんです。毎週水曜日の同じ時間にいつもこの通りに買い物に来てますから.....
もし見つけたら呼び止めて下さい。それで、またお話を聞かせて下さい。」
「あぁ。そうしよう。」
「嬉しいです。お仕事頑張って下さいね。応援してますから」
「.....君も。」
「はい!」
彼女は元気よくそう答え、小さく会釈をしてから通りの方へ歩き出す。
その姿を見送る私の方へ何度も振り返っては手を振りながら....
.......可愛らしい子だと思った。そして、やはりとても良い子だと思った。
街は寒さに覆われて、風は痛い程冷たいというのに、彼女と話した後の胸は温かだった。
(.....水曜日)
別れたばかりなのに関わらず、もう一度話をしたくなった。
毎週は無理かもしれない。だが....できるだけ時間を作ってこの通りを訪れる事ができたら....
「サラ....」
彼女の名を呼ぶ声は、あまりに小さかった為すぐに雑踏に紛れて消えて行った。
.......これが私とサラが最初に会話を交わした時の記憶だ。
君はあの時と変わらずに笑っていてくれるだろうか。
いや、きっと沢山泣いた事だろう......。
私の責任だ。君との約束を破った.....。
だが、今でも私の事を想ってくれているのなら....どうか待っていて欲しい....。
私の事を、忘れないで欲しい。
君と過ごしたあの日々が、私にとって特別な....いつまでも色褪せない、温かな思い出なのだから....
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