日溜まりを探す人 | ナノ .......朝だ。


部屋に据えられた窓から黄金を大気に溶かした様な光が流れ込む。

それを開けばまだ少し冷たい空気が肌に触れた。5時を回ったばかりなのに、眼下の街は既に人々が行き交っている。


実に静かな穏やかな朝であった。 


私は無我無心でぼんやりしていた。ただ身体中から暖かい日光を吸い込んで、それがまだ微睡んでいる肉体の中に滲み込んで行くような心持ちをかすかに自覚しているだけだった。


......朝。


朝が来る事が、毎日楽しみだった。またそれが西の空に真っ赤になって沈んでいく光景も好きだった。夜の星明かりが窓から見える事もまた嬉しい。


生きている事が幸せだった。他でもない貴方の傍で呼吸をしていられる。それだけで.....



「....あ、大変!」


ぼんやりと窓枠に肘をついて黄昏れていると思った以上に時間が経っていた。

(朝なのに黄昏れるって表現はちょっと変ですね....)

一人でくすくす笑ってから身支度を始める。


.....私はこの部屋が大好きだ。


あれからすぐに一緒に暮らし始めた私たちだけれど...驚いたのは、彼の私宅にはもうこの...私の部屋が日用品等をきちんと収められて存在していた事だ。

再会した後の短い期間で揃えられるものではない。

もっと前から...一緒に暮らす事を考えて...その日を待って、準備をしていて下さったのだろう...。

5年の歳月、私だけが辛かったのではない。きっとエルヴィンさんも不安で...けれど、私を信じていてくれたのだ...。



(.....何故私はいつも考え事をすると手が止まってしまうのだろう!?)


先程から全く進んでいない身支度の状況を前にして、自分に対する驚きと呆れが思考を中断させた。

いけないいけない。早起きができる事が私の数少ない取り柄のひとつなのに、これでは意味が無くなってしまう...。


それに....早起きは三文の得とは良く言ったもので、ちょっと良い事があるのだ。


鼻歌混じりに服を着替えて髪を整える。長い髪を自分で結い上げるのも楽しかったけれど、短いのは短いので楽で良いなあ....。

しかし...このままの長さで過ごそうかと一度エルヴィンさんに相談した時、それはそれは悲しそうな顔をなさったので短い髪は今一時だけになりそうだ。


(.....まだ少し時間がある....。エルヴィンさんを起こしに行く前に、窓ガラスをもう一度拭いておこう...。)

椅子にかかっていたエプロンを身につける。馴染んだ感覚だ。


.....使用人をやめた今も、お慕いする方の為に雑役をするのは私の喜びだった。





(......うん。綺麗になったなあ。)


まるで何も嵌っていないかの様に透明になった窓ガラスを満足げに見つめる。

かつてはこれの数倍以上あるものを磨いていたのだ。....何だか夢の様な話に聞こえる。


時計が良い時間を差していた。

起こす様に言われている時刻の二十分前。私がとても楽しみにしている時間だ。


掃除道具を片し、一度部屋に戻ってエプロンを置いてくる。

それから足取りも軽く彼の部屋へと向かった。


――――


.....その扉の前に立つと、未だに息詰まってしまう。


一緒に過ごす様になって....ひと月。

あっという間で、実感が無い。けれど、私は常に緊張しているし何もかもに慣れる事が無い。


.....エルヴィンさんはそれに反していつも落ち着いていて...私もしっかりしなくちゃ..とは思っているのだけれど...。


....厚くて、深い色の...材木はエボニーだろうか。

高い所に磨りガラスが嵌り、明かり取りの役割を果たしている...、大好きな人の部屋に通じる扉。

ひとつ呼吸をして小さくノックした。


...返事は無い。


とてもとても意外な事にエルヴィンさんは朝...目覚めが悪い。

てっきり私と同じ...若しくはそれ以上に早い時間に目を覚まされているものだと思っていたので、朝起こしてくれる様に頼まれた時はびっくりした。

......私がここに来る前はどうしていたのだろうか...。


...まさか他の女の方が....。いやいやいや、駄目駄目。こういう事を考えていたらきりが無い。

第一この年まで恋愛経験の無い私みたいな人間の方が希少種なんだから....


ああ...それでも....何だかとっても、嫌、ですね...。



少々複雑な思いを抱えながら足を中へと踏み入れた。


まず、書斎となっている部屋を通り抜ける。

沢山の本が本棚に収まっていて...。お仕事中に紅茶を供する際、ちらと中身を拝見した事があるのだが...字が小さくてとても読めたものではなかった。

それと同じ様なものをこれだけ....。溜め息が出るばかりだ。

机の上は昨晩のままになっていて...仮眠を取るつもりがそのまま寝てしまったのだろうか。


前線に兵士として赴く事は無くなっても、未だにエルヴィンさんにはやるべき事が大いにある様だ。

公舎からこちらに仕事を持ち帰るのはよくある事で....それでも、どんなに多忙でも必ず帰って来て下さる。

以前は毎日向こうに泊まり込み、家に帰る事はほぼ無かったと聞くから....、これは自惚れなのかもしれないが...。とても、嬉しい。


.....書斎は紙とインクと...少し、彼の香りがする。

その空気に触れるだけで、先程まで胸の中にあった刺はすっかり丸くなってしまった。


今現在..私の近くにいて下さる...それだけで充分なのだから...。



先程よりも薄い扉をもう一度ノックする。しばらく待つがやはり返事は無い。

.....いつもの如くお休み中なのだろうか。


(...........。)


....緊張する。もう何度目の朝になるのか分からないのに、とても緊張するのだ。

だがこうしていても仕方が無い。...3つ数えたらこの扉を開けよう。


1、2、3....やっぱり5つにしよう。....4、5....いやいや、7つに...いや待って、10に....


(.......ああ、もう!)


長い逡巡の末、ようやくその扉を開いた。

例の五年間よりも今の方がよっぽど神経をすり減らして毎日生活しているのは気の所為だろうか....。



....部屋は片付いていた。

私はいつもこの部屋の掃除は特別丁寧にする....自室にまで、立ち入って掃除をさせてもらえる事がとても嬉しかったから。

だから当然と言えば当然なのだが、それ以上に部屋の主が....どこぞの潔癖さん程では無いにしても...清潔で綺麗好きな人物なのだろう。


自分のものより幾分大きなベッドに、彼が横たわっている。こちらからはその顔を見る事はできなかった。


ああ...やはり寝間着では無い。

.....寝る間も惜しむ程の忙しさの中でも、私の元に戻って来てくれるこの方が...本当に愛しかった。


(......丁度、10分前.....)


ここからが、誰にも...勿論エルヴィンさんにも内緒の、私だけの時間だ。

足音を忍ばせてベッドへと近付き、彼の顔が向いている方に回り込んだ。


......眠っているエルヴィンさんはいつもより少し幼く感じる。彼は青年の頃もさぞかし素敵な人だったのだろう。


(あ....)


隈が...うっすらと青くできている。白い肌の下に透けるそれから日頃の苦労を感じ取ると、胸がとても切なくなった。


何か...私に出来る事があると良いのだけれど...。


ベッドの傍に膝をついて座り、マットに腕を乗せながら彼の顔を何をするでなく眺める。


....この時が本当に幸せだ。


起きている時だと何だか緊張して真っ直ぐに見つめる事はできないし...話をしていると心拍数が徐々に上がっていくのがよく分かる。


水曜日に、あの通りで...貴方の名前も知らずに過ごしていた時はこんな事は無かったのに。


でも...やっぱり好きな人の事をじっくり眺めたい。だから彼が目を覚ますまでの僅かな時間、傍に居る喜びを噛み締めながらその時を過ごすのだ...。


(....髪が....)


先程開けた窓からそよりと入って来た風で、金色のそれが顔にかかってしまった。

そっと掻きあげ、指で梳く様に流してやる。


....私の髪をよく褒めてくれるけれど...貴方の髪の毛だって、とても綺麗ですよ....


マットの上に置いた腕に顎を乗せながら淡く微笑む。

少し冷たく、薄暗い部屋の中にそよそよと一陣の風が吹き、一道の日光がさし込んだ。....もうすぐ、春だ。


(....エルヴィンさんは、本当に綺麗だなあ....)


毎朝こうして見る度に、新しい発見、そして再発見を繰り返すが...やはり答えはひとつ。この方はとても素敵だ...という事だけだ。


もう一度髪を梳く。そうしていると飽き足らなくなって来て、今度は頬をそうっと撫でた。

眉を寄せて軽く身じろいだので急いで手を離す....が、起きる気配は無いので胸を撫で下ろす。


.....もうすぐ、時間だ。

名残惜しく思いながらも、彼の耳の傍で小さく小さく想いを紡ぐ。



ひとつ、呼吸をすると柔らかいこの部屋の空気が体に流れ込んだ。


それを吐き出す様に、私は愛しい人を眠りの淵からこちらへと呼び戻すのだ.....



  

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