日溜まりを探す人 | ナノ 14投函と夜の桜



「....今日は随分と手紙が多いわねえ...」
ほう、息を吐いてエミリエは机の上に置かれたいくつかの封筒を手に取る。

そして眼鏡をかけて差出人の名を見てはうんざりとした表情でそれを再び机上に放った。

「駄目ですよお嬢様。お手紙はちゃんと読まないと」
傍でベッドメイクをしていたサラが言う。

「全く....。表に住所は出さずにここに越して来たと言うのに...何処で聞きつけてくるのかしら」

読む価値なし、とばかりに眼鏡を元の位置に戻すエミリエ。サラはその様子を困った様に見つめた。

「でも....もしかしたら大切な用事の手紙があるかもしれません。一応目を通されては...」

「......私はこの体だからどの用事もこなせないし夜会にも出れない....ましてや父に何か取り合うなんて天地がひっくり返っても不可能よ。」

「でも、お手紙が来るのはちょっと羨ましいです。封筒を開く時、何だか宝箱を開けるみたいでわくわくしませんか?」

「貴方...そんな恥ずかしい事よく真顔で言えるわね。能天気なその頭が羨ましいわ。」

しかしエミリエは眉をひそめながらもサラの言葉に従って再び封筒の差出人名に目を通し始める。

サラはそんな彼女の事を微笑みながら一瞥すると、再び自分の仕事に戻った。


「サラ」


少し経った時、エミリエがサラの名を呼んだ。

「はい、何ですか?」
一旦手を止めてサラは彼女の方を振り返る。

そこには少し悪戯っぽい笑みを浮かべた主がひとつの封書をひらひらと手に持ってこちらを眺める姿があった。

「あなたに宝箱、届いてるわよ」

そう言ってエミリエは封筒の差出人名が書かれた箇所をトン、と軽く指で弾いた。





その日の晩、エミリエが寝静まった後....サラは針仕事に精を出していた。

元、侯爵家令嬢という事でそれなりの支援はあるが....それでも贅沢はあまりできない。少しでも出費を抑える為にできる事はしなくては....

しかし、その日の仕事は全く身が入らなかった。

サラはひとつ息を吐き、そっと引き出しの中に仕舞われていた封書を取り出す。

今日も今日とて繁雑を極めた事と、何故か読むのが躊躇われてしまっていた事で....それにはまだ封がされたままだった。


サラは目を閉じ、手元にある少しざらりとした紙の感触を指先で確認する。
目を開けて、宛名と差出人名を眺め、青いインクで書かれたそれ等をなぞっては再び目を閉じた。

しかし、遂に決心したかの様に暗い室内でたったひとつ灯っているランプの火を少し強め、手紙と同様に引き出しに仕舞われていたナイフで、ピリと手紙の端を切り開く。

それだけで胸が一杯になって、喜びの声を上げたい様な、泣き出したい様な、非常に複雑な気持ちになった。

文面は、想像通り几帳面で綺麗な文字だ。暗い中でもその文字だけはぼんやりと光った様に浮き上がっていて、よく見る事ができる。

思えばサラは一度も彼の文字を見た事が無い。新鮮な感動が胸に湧き上がってくるのを感じながら、ゆっくりとそれに目を落とした。



『フラウ・サラ


手紙を差し上げたのは、まず先日の謝罪を申し上げる為です。

貴方達の都合を考えずに、非常識な時間に押し掛けてしまった非礼をお許し下さい。

しかし、私はあの時とった自分の行動を後悔はしていません。

貴方と同じ気持ちだった事の喜びは、数日経った今でも私の胸に宿り続けています。

どうか可能なら返事を下さい。それが私の支えになります。


エルヴィン・スミス』



手紙を読み終わる頃には、サラの目尻には涙が堪っていた。

そしてもう一度愛しい人からの文章を読み返す。十遍程読み、また繰り返し読んだ。

眼は文字の上に落ちてはいるが、瞳裏に映るのは夢の国の事か現の国の事か。そして、やはり浮かんでくるのは優しい笑顔と暖かな金糸の髪の色だった。

顔が熱い。きっと自分は今情けない顔をしているの違いない.....


ようやく手紙を大事に封筒に仕舞い込むと、サラは机の上に置かれたインク壷とペンを自分の方へと引き寄せる。

手紙を書くなんて何年ぶりだろう。あの事件以来、内地の友人たちとも疎遠になってしまった。

そうか....離れていても、気持ちがひとつならこうして繋がる事ができるんだ....。







「リヴァイ....今日の郵便物はこれだけか」

「.....しつこいぞ、何度も言わすな。それで終いだ。」

「そうか.....」

明らかに落胆した様子のエルヴィンにリヴァイは眉をひそめた。

「待っている手紙でもあるのか。お前に来るのは大抵が悪い知らせだろう」

「.......いや、良い知らせだって来るさ....。来る筈だ....。」


「エルヴィンいるー?」

そこに明るい声が響く。その方向を見るとハンジが団長室の入口からひょい、と顔をのぞかせていた。

「君の郵便物がひとつ私のところに紛れ込んでてね。はい、これ。」
そして中に入って来ると、生成り色の封書をひとつエルヴィンに差し出す。

エルヴィンは努めて落ち着いてそれを受け取った。裏返し、差出人名を確認する。

「....ああ、ご苦労。」

顔を上げた彼は気持ち悪い程爽やかな笑顔だった。


「........?どしたの、エルヴィン」

ハンジがリヴァイに尋ねる。

「.....おいクソメガネ。お前、差出人は誰か確認したか....?」

「いんや。ただ筆跡的に女性っぽかったけど....何何、万年枯れすすきな彼にも春が来た系?」

「知らねえよ。知りたくも無え。面倒臭いから触れるなよ、絶対」

「エルヴィン!その手紙何?教えてよ」

「おいこら」


ハンジに質問をされた時、エルヴィンはその手紙を大切そうに内ポケットに仕舞うところだった。

「ん?ああこれはな....」
顎に手を当てて考える様な仕草をする。

少しした後、やはり幸せそうな笑顔で「良い知らせだよ、とてもね。」と答えた。

リヴァイは額に手を当てる。ハンジは頭上に疑問符を浮かべる。エルヴィンは菩薩の様に柔和な笑みを湛えている。


三者三様の団長室には、うららかな日差しが差し込んでいた。その日は一日中、それはそれは良い天気だったそうな。





一般の執務時間が終了してから大分時間が経過しても、エルヴィンは団長室で仕事を続けていた。

壁外調査までひと月を切った。やるべき事は山程ある。

(...........。)

しかし、手は落ち着き無く内ポケットに差し込まれては何もせずに出す、という動作を繰り返していた。

(........仕事にならん)

本当は寝る前にでも落ち着いて読みたかったのだが、こうなるともう仕方が無い。そう自分に言い訳しながら、遂に生成り色の封書を取り出した。

その封筒は軽い薄い雁皮の紙ながら、ふっくりと厚くて触り心地が良い。

思わずはあ、と溜め息が出る。返事を心から待っていたのに関わらず、いざ封を切るとなると滑稽なまでに緊張してしまうのは何故だろう。

しばらくそれを見下ろしたまま時が過ぎて行った。部屋の隅に据えられた時計がもうすぐ日付を越えようとしている。

はあ、と先程より大きく息を吐いた。そして恐る恐る封蝋を切る。指先は微かに震えていた。



『エルヴィンさん


お手紙ありがとうございます。嬉しくて、何度も読み返しました。

私は学の無い人間なので文字を書くのは不得意ですが、精一杯お返事を書かせて頂きます。どうか笑わないで下さいね。

謝るのは私の方です。貴方に失礼な事を沢山しましたし、お見苦しい所も沢山見せてしまいました。

けれど、それでも貴方が私の事を大切に思ってくれている事がとても幸せです。

そしてもうひとつ、謝る事があります。

あの冬の日、初めて貴方に声をかけた日、私はひとつ賭けをしました。

この人が、私の頼み...話を聞かせてくれる事...に応じてくれたら、今度こそ自分の弱点を克服しようと。

世の中には悪い人もいますが、良い人も沢山います。いつまでも殻に閉じこもっていないで、頑張ってみようと....この人と友人になってみようと....そう、思ったのです。

貴方は私の頼みに応じてくれました。....私は自分の苦手意識を克服する為に...エルヴィンさんを利用したのかもしれません。本当にごめんなさい。

でも、私も後悔はしていません。あの時お話できたのが、貴方で良かったです。

ごめんなさい、長くなり過ぎました。ここでペンを置かせて頂きます。

壁外調査に向けてお忙しいと思いますが、どうか御身体御自愛下さい。お仕事の成功をお祈りしています。


サラ』



手紙を一度畳み、机の上に置いた。机に肘をついて顔を手で覆い、瞼をぎゅうと瞑る。

「......サラ。」

か細い声で彼女の名を呼んだ。勿論返事は無い。

......困った。会えないせめてもの埋め合わせに手紙という方法を思い付いたのに、これでは会いたい気持ちが募る一方だ。

最早仕事にならない所では無い。仕事ができない状態だ。

.......とにかく、返事を書いてしまおう。そして明日からはまたいつもの様に、いやいつも以上に仕事に打ち込める様になるに違いない.....。





そして手紙を書き終えたエルヴィンは椅子から立ち上がり、公舎の脇に据えてあるポストへと向かう。

朝になれば部下の一人が郵便物を受け取りに来てくれるが、一刻も早く彼女の手に届いて欲しい気持ちが抑え切れなかったのだ。

塗装が剥げたポストの前でハトロン紙でできた封筒をもう一度見る。体を横切って行く夜風も大分温かく感じる様になった。

そしてうん、と決意して投函する。ポストの底にことり、と幽かな音がする。それっきりである。

その一封の便りがこの街の長い通りを越えて彼女の元まで行くということが、エルヴィンには判っているような心許ないような気がした。

だがそれでも確かに届くのだ。この手紙と、気持ちは。確かに.....







毎朝、郵便受けを開ける度にサラはひどい緊張に駆られる様になった。

大抵は....やっぱり。という僅かな落胆と共に再び郵便受けを閉めるのだが、今日は違った。


(..........!)


郵便受けを開けたときよりも濃厚な緊張感が足下から上がって来る。

見間違いでは無いかと、何度も何度も差出人を確認した。......いや、確かにあの人だ。

それから気持ちを落ち着かせる為に深く呼吸する。そうすると今度は嬉しさがこみ上げて来た。

そしてサラは足早に屋敷の中に戻る。....まだ、お嬢様はお休みになっている筈....


その手紙を持って二階の空き部屋へと身を滑り込ませる。そして街に臨んだ窓の所に行って、今一応丁寧に封筒の上書を検査した。

窓の下には埃よけを被せてあるソファがある。サラは金色の日が差し込むそこに腰掛けて、すぐに封を切った。

遂に緊張よりも、早く読みたいという気持ちの方が上回った様である。



『返事を読ませてもらいました。自分でも信じられない程気分が高揚するのを感じます。

とても綺麗な文字でした。何も恥ずかしがる事はありません。

そして、ありがとう。あの日に私を選んでくれた事に感謝します。

貴方に出会えた事は私にとって大いなる幸運でした。

壁外調査が近付くに連れて兵団内は忙しさを増しています。

兵士の顔付きもやおら緊張感を伴うものになっていくのを強く感じるこの頃です。

余裕が無くなり、不安が増す環境の中、貴方の手紙は私にとっての安らぎです。

また、返事を待っても良いでしょうか。

記す事は何でも良いのです。貴方と繋がっている事ができれば、それで良いのです。』



サラは前回もそうした様に繰り返し手紙を読む。

そして、皺を作らない位の強さで、封筒ごとそれを抱き締めた。


.......もうすぐ、お嬢様が起きて来る。まだ、返事は書けない。


サラは屋根裏の自分の部屋の机脇の引き出しに手紙を仕舞うと、返事を書ける夜を心待ちにしながらエミリエの朝の支度を手伝いに行くのだった。





........夜、手紙を書き終えたサラはポストの前に封筒を持って立ち尽くしていた。

やがて...手を離れてそれはポストの底に落ちる。けれどそれだけでは安心が出来ない。

もしか手紙はポストの周囲にでも落ちていないだろうかという危惧は、直ちに次いでサラを襲うのである。

三回、ポストを周ってみる。端から見ると不審者である。

どうやら、確かに手紙はポストの中に落ちた様だ。


.......どうしてだろう。

エルヴィンさん事になると、こんなにも不安になってしまう。

今、何をしているのだろうか.....。

自分とは違ってしっかりとしている彼の事だから、何でもそつなくこなしているに違いない。

......一度、仕事をしているエルヴィンさんの姿を見てみたいな....。


.......いえ、こんな薄汚い使用人が恐れ多くも国家公務員の方々の仕事場に行くなんて不可能に決まってるじゃない!それこそ親族や家族ではないとそんな事は....!


はっ


.........家族?


いやっ、恐れ多過ぎます!!ごめんなさい!!二度とこんな邪な事は考えません!!ごめんなさい!!


サラは恥ずかしさを噛み殺す為にポストに縋り付く。その姿は完全に不審者にしか見えなかった。

そして遂にサラは地面にへたり込む。その頬を霞めて何かがひら、と飛んで来た。


(........ん)


それが飛んで来た方向を見上げると、桜の花が最後を惜しむ様にひらりひらりとその花弁を散らせていた。

「うわあ.....」


しばしサラは惚けながら桜を見上げていた。

桜花は爛と咲き乱れて、やや雪の様に散り、遠く霞んだ中空に美しくおぼろおぼろとした花弁を舞い上げている。夜の中でそれは淡く光っている様に見えた。

サラの心には、綺麗だと思うと同時に、彼と見たらもっと美しいだろうという気持ちが湧き起こる。


(......来年は、一緒に桜を見れるかな.....)


そう考えた瞬間、胸が痛んだ。


.......エルヴィンさんは兵士だ。その身には何が起こるか分からない。

でも.....それでも、少しでも良いから...長く生きて欲しい。

そして....できる事なら、どうかその傍にいたいと....強く、.....



しばらくその光景を見つめていたサラは目を伏せて、屋敷への道を辿り始める。


誰もいなくなった閑散とした通りには、後から後から桜花が一片散り二片散り夜の空気を巡り、冷たい石畳に拡がっていった。



  

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