09期待と時計台
サラは頭を抱え込んだ。エミリエは盛大に溜め息を吐いた。
「......今日は特にひどいわね....何枚目?」
粉々になった陶器の破片を見下ろしながらエミリエが尋ねる。
「さんまいめです.....」
青ざめた顔でサラが答えた。
「......違うわ。四枚目よ。」
「分かってるなら何で聞くんですかあ!」
「......それにしても....ここまで来ると逆に感心するわ。貴方前世でお皿によっぽどひどい事されたみたいね。」
「されてませんよ!あぁ....また新しいものを買って来ないと.....」
「一番安いのにしてよ。どうせ割れるんだから」
「割りません!気をつけますから!」
「.......その破片を片付けたらもう今日の用事はいいわ。このままだと家中の食器が割れてしまうもの。」
「すみません...」
しょんぼりとしながら欠片を掃除し始めた彼女を見てエミリエはもう一度溜め息を吐く。
この仕事への集中力の無さと散漫さ.....まぁいつもそうなのだけれど....
......よっぽど楽しみにしていると見えるわ。今日、彼に会う事を....
*
「.....エルヴィン。顔がひどく気持ち悪い。悪いもんでも食ったか。」
リヴァイがうんざりした様子でエルヴィンに言葉を投げ掛けた。
しかし彼の辛辣な言葉も意に介さず、エルヴィンはにこやかに「うん?そうかな」と返す。
思わずリヴァイは舌打ちした。
「.....どうせ例の紙みてえに平面的な女の事でも考えてたんだろ」
「確かに彼女は体の厚みが少ない方だが...そこまで平たくは無いと思うぞ....」
「最近のお前はどうもにやけ過ぎだ。気持ち悪いを通り越して不気味に感じる事すらある。」
「なかなかひどい事を言うな。」
「そして今日は一段とひでえ顔だ。....おい、まさか時間が空く今日の午後、あいつに会いに行くとか言わねえよな」
「........いけないのか?」
相も変わらず曇りひとつ無い笑顔で答えるエルヴィンを呆れた様に見つめるリヴァイ。しばらく二の句が告げなかった。
「いや......いけなくはないが.....。お前がそこまで入れ込むなんて珍しいと思っただけだ....。」
「そうだな.....。私自身も少し驚いているよ。」
「お前、随分と趣味が変わったな....。」
「....そうかもしれないな」
そう言ってエルヴィンは窓の傍まで歩き、遠くに見える時計台をしばらく眺めた。
約束の時間は15時。あと数時間が待ち切れなかった。時計の針の移動がいつもよりひどく遅く感じて仕方が無い。
時計台のある街の中央の建物へ続く道は暖かな春の日差しに照らされていて、左右には赤茶けた屋根の建物がいくつとなく並んでいる。
この中のどれかに彼女が暮らす屋敷があるのだ。そう思うだけで心は穏やかに満たされて行った。
リヴァイもまたエルヴィンの背中越しに高く聳える時計台を見つめる。
そして先日出会った何の変哲も無い雑用女中の濁り無い笑顔を思い出した。
.......奴に会ってからだろうか。エルヴィンを包む空気が柔らかくなった気がする。
四角四面で真面目なこの男のそんな様は長い付き合いの俺でも初めて目にするものだった。
恐らく....エルヴィンにとってサラの存在は不可欠なものになりつつある。
だがなあ、お前は調査兵団の団長で、向こうは素性の知れない女中だろう?
他人の恋愛にああだこうだ言うのは趣味じゃねえがどう贔屓目に見ても上手くいくとは思えない。
それにお前はいつ死ぬとも分からない身だ。その時の事を考えてはいるのか....?
リヴァイは小さく首を振って思考を強制的に中断させる。
......考えても仕様が無い。なる様にしかならないのだ。
穏やかに晴れた空を見上げると、またしても脳裏にサラの笑顔が浮かんで来る。
その笑顔はただエルヴィンのみに赦されてあるかのような健かなもので、サラもまた彼を大切にしているのが良く分かった。
そう、なる様にしかならない。
彼等の未来を思っては、リヴァイはひどく重たい気持ちになるのだった。
← ◎ →