08疑惑と夕焼け
「......エルヴィン?」
そろそろ公舎へ戻ろうかと思っていた所に、意外な人物に出くわして驚く。
彼もまた吃驚した様に目を見開いていた。
「君とこんな所で出会うとは.....。どうしたんだ。」
「......野暮用と言うか.....まあ、散歩だ。それより隣の女は何だ。」
リヴァイの鋭い瞳がサラは見据える。彼女の肩が小さく跳ねた。
「勿論兵士じゃねえよな。見た所ただの雑用女中だ。何故お前と一緒にいる。」
彼はサラから目を離さないまま心底不思議そうにエルヴィンに尋ねる。
彼女もまたリヴァイを見つめていたが、やがて何か思い出した様に彼の方へ歩み寄った。
「仰る通り近くで使用人をしておりますサラと申します。
貴方は今朝の新聞に載っていた方ですよね。確か調査兵団の兵士長で人類最強でいらっしゃる....ドバイさん?」
「何だその掘ったら石油が出てきそうな名前は」
「サラ。リヴァイだ。リヴァイ。」
笑顔でリヴァイに話しかけていたサラの表情が固まる。そしてまたじわじわと朱色が顔に浮かび上がって行った。
「...........本当にすみません.......。どうぞ項を削いで下さい......。」
「君、リヴァイの名前は知らなかった癖に巨人の弱点は知っているのか......」
「よし望み通り削いでやろう。ちょっと付いて来い」
「やめろリヴァイ。サラは一般人だ。気持ちは分かるがやめろ。」
「.....まぁ良い。こんな貧乳に何言われようが何とも思わねえよ」
「ひんっ........?」
「で、お前....名前何だっけ?ペッタンコだっけ?」
「ち、違います.....!断じてペッタンコじゃありません!!
というか滅茶苦茶何とも思ってるじゃ無いですか!!」
「リヴァイ。サラだ。サラ。」
「分かってるワザとだ。.......で、サラよ。お前エルヴィンとどういう関係なんだ。
見た所絶望的に色気が無えから情婦と言う訳でも無さそうだし....」
「.............じょっ?」
「いちいち大袈裟に反応するなペッタンコ。」
「戻ってますよ!!サラです、サラ!!」
「事実を述べたまでだ。なぁエルヴィン。」
「私に振るな」
リヴァイはどしんとサラの隣に腰掛けてその顔を値踏みする様にねめつけた。
彼女は鋭い眼光に少々怯えながらもにこりと笑いかけるが、リヴァイに「笑うんじゃねえ気持ち悪い」と言われてしょんぼりと俯いてしまう。
しかし思い付いた様に買い物袋の中をごそりと探ると、林檎をひとつ差し出してリヴァイに向かって再び笑った。
「.......別に腹が減ってるんじゃねえ。俺は元からこういう顔だ。」
彼女の意図を読み取ってリヴァイが鬱陶しそうに述べる。
「そうですか....林檎がお嫌いなら蜜柑もありますよ?」
「果物の種類の問題じゃねえよ.....。エルヴィン.....こいつ馬鹿だろ。」
「ははは.....」
「エルヴィンさん、否定して下さいよ!」
リヴァイは溜め息を吐いてベンチの背もたれに寄りかかった。視線は相変わらずサラに固定されたままだ。
「.....で、もう一度聞くがペッタンコよ「サラです」
「どっちも別に変わらねえよ「変わります」
「これだけ脳内がおめでたけりゃ地位目当てで近付いた訳でも無さそうだが.....何が目的でどういう関係だ。答えろ。」
リヴァイの視線がキュッと細められる。サラの林檎を持つ手に思わず力がこもった。
「リヴァイ、そんなに睨まないでやってくれ。」
「お前の身に何かあった時に困るのは俺達だ。用心するに越した事は無えよ。
第一お前と女中.....あまりにも不自然な組み合わせだ。何かを疑いたくもなる。」
「あ、妖しい事は何もありませんよ!私とエルヴィンさんはただのお友達です.....!」
「.......はぁ?エルヴィンが何の打算も無くお前みたいなペッタンコと関係を持つ訳ねえだろう。
どういう取引を交わして何を隠してやがる。正直に言え。」
「だからペッタンコじゃありませんよ!
私はエルヴィンさんが優しくて素敵な方だと思ったからお友達になっただけです....。」
「リヴァイ....彼女は君の名を知らない位その手の事には疎い。
私が団長である事実も遂最近まで知らなかった位だ。これが演技なら使用人ではなく女優を志した方が良い。
.....だからもう止せ。」
「.........お前が入れ込むなんて珍しいな。
ここ最近水曜日に時々消えるのはこいつに会っていたのか.....」
「はい。毎週ではありませんがお会いできるのをとても楽しみにしています。」
「お前には聞いてねえよ。どうやら脳みそまでペッタンコな様だな」
「........ひどい」
.........何故エルヴィンが.....こんな奴に.....?
頭を埋めるのは疑問ばかりだ。エルヴィン程の人間が何故女中なんかに....
「でも今日はリヴァイさんともお友達になれてとても嬉しいです。」
「..............はぁ?」
彼女のとんでもない発言によりリヴァイの思考は中断される。
「......リヴァイ。そろそろ時間だ。我々は公舎に戻らなくては」
「そうですか。今日もとても楽しかったです。」
「あぁ。私もだ。それでは来週の件、よろしく頼「おいおいおいおいちょっと待て。」
のんびりと別れを告げ合う二人の会話をリヴァイが遮る。
「........おい、ペッタンコ。」
「サラです!いい加減覚えて下さい!」
「誰と.....誰が.....友達だって.....?」
リヴァイの質問にサラは頭上に疑問符を浮かべて自分の事を指差した。
それからリヴァイの方へ指を揃えて指し出す。
「私と.....リヴァイさんがですよ。」
「はぁあああああああああ?」
「ちょっ....そんなに嫌がらなくて良いじゃないですか!」
「嫌に決まってんだろ!寄るなペッタンコが伝染る!!」
「伝染りませんよ!!というかリヴァイさん男だからペッタンコだって良いじゃないですか!」
「......リヴァイ。そろそろ行くぞ。」
やや呆れているエルヴィンに促され、リヴァイはベンチから本日何度目かになる溜め息を吐いて立ち上がる。
そしてサラの手の中に持たれたままの林檎をひったくった。
「......迷惑料だ。もらっていくぞ。」
そう言って睨みつけるが、何故か彼女は可笑しそうに笑っている。
「何だリヴァイさん。やっぱりお腹減ってたんじゃ「違えよ!!!」
思わず怒鳴ってサラの頭を一発はたくとリヴァイは肩を怒らせて歩き出した。
それに苦笑いを浮かべたエルヴィンが続く。やがて二人は並んで徐々に茜色に染まる道を辿って遠ざかって行った。
サラはその後ろ姿を見つめながら、何とも言えず嬉しい気持ちになる。
........内地から出て、本当に良かった。こんなにも素敵な人たちとお友達になれるなんて。
........本当に....良かった。
「エルヴィンさん、リヴァイさん!お元気でー!!」
そして思わず彼等に向かって大きく手を振りながら呼びかける。
二人は一度振り返り、エルヴィンが片手を上げて応じてくれた。
嬉しかった。今日は帰ってからお嬢様に話す事が沢山ある。
.......早くお嬢様も体が良くなれば良い。それで沢山素敵な人に出会うと良い。
大丈夫。きっと良くなる。根拠は無いけれど、今の私にはそう思えて仕方無いのだった。
*
「......何だあいつは恥ずかしい」
笑顔で手を振るサラを遠くに見つめながらリヴァイが呟いた。
「そこがサラの魅力だ。」
頬を緩ませるエルヴィンを一瞥するとリヴァイは先程の林檎に齧り付く。酸味の強さに思わず顔をしかめた。
「エルヴィン.....。お前があのペッタンコを気に入る理由もそれなりに分かる。
だが......いいのか。自分の立場をよく考えろ。」
「.....あぁ。充分分かっている。その証拠に私たちの関係はただの友人だ。」
公舎へと向かう道に伸びる影は細長い。街全体が夕焼けで真っ赤に染まり、まるで知らない風景の様に思える。
「.......そうか。」
リヴァイはもう一口林檎を齧る。食物を口に入れてみて分かったが、やはり自分は腹が減っていたらしい。
「だが.....時々今の関係がもどかしくなる事もある....。」
「エルヴィン......?」
「いや、何でもない。急ごうリヴァイ。少しゆっくりし過ぎた様だ。」
エルヴィンの表情は逆光となり、リヴァイからはよく見えなかった。
二人はそれきり言葉を交わす事は無く、ただ無言で足を動かすのだった。
*
「......貴方の顔の広さには恐れ入るわ」
エミリエはサラの話に呆れながら相槌を打っていた。まさか....あの、リヴァイ兵長とねえ.....
「そうなんですよ。リヴァイさんは少し意地悪でしたね。あと意外と小さな方でした。」
「......このまま行くと調査兵団の兵士全員と仲良くなるんじゃないかしら」
「いいですねそれ。素敵です。」
「止して頂戴.....。面倒事になるのが目に見えてるわ。私はただ静かに暮らしたいのよ....。」
ぐったりとベッドに体を預ける彼女を見ながらサラは相変わらず楽しそうに話し続ける。
「いつかお嬢様も一緒に街へ行きましょうね。」
「私は貴方みたいに器用に誰とでも友達になれないわよ」
「なれますよ。簡単です。」
「...........そうかしら。」
「勿論ですよ。保証します。」
「貴方の保証じゃ頼りないわ....」
エミリエは溜め息を吐いた後、微かに笑ってサラを見つめ返した。
「......で、貴方....何か私に聞きたいんじゃないの」
「え.....」
「さっきからいつも以上に落ち着きが無いわ。......どうせあの男絡みの事でしょうけど。」
「え......?」
「.....やっぱりね。ほら、言ってごらんなさい。」
「えーっと、えっとですね。あの.....来週末の午後....お休みを頂きたくて....。」
「ふーん。デート?」
「でっ.......?」
「良いわよ。行ってらっしゃい。貴方は駄目駄目だけど駄目なりによくやってくれてるわ。
たまには休ませてあげないとね。」
「あ....ありがとうございます....!」
心の底から嬉しそうにするサラを見てエミリエは再び溜め息を吐いた。
そして机の上に置かれた自分の札入れを指差す。
「.....そこから少し出して、服を一着買いなさい。」
「........?」
「勘違いしないでよ。うちの使用人として最低限の身なりをして欲しいだけだわ。
........これはいつもの買い出しじゃないのよ。
貴方は正式に誘いを受けたんだから、それなりの準備をして応える義務があるわ。」
そこまで言うとエミリエは優しく微笑んでまだ驚いた表情で固まっているサラへ再び視線を向ける。
......この子が男性と出掛けるなんて初めてだもの。少し甘やかしても良いわよね。
「楽しんでらっしゃい。」
「........はい。ありがとうございます...!」
そう言って少し泣きそうになりながらサラは笑った。
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