言葉と愛情 上

本編時間軸、幽霊主人公。『二十五・告白』翌年の夏。



「なあお前………幽霊なんだから、一瞬で着替えとか出来ないのかよ」


イライラとした口調で、ジャンが壁に向かって呟いた。

グレイスは、律儀にこちらを見ないようにしている彼のことを一瞥する。そうして、なんだか面白そうに唇に弧を描いた。


「あら、幽霊に夢見すぎですよ。あなたに出来ないことは私にも出来ません。」

「あのな。そういう話をしてるんじゃねえ。」

「分かってますよ。」

「いや……お前なにも分かってねえだろ……」

「別に見たければ見ていいんですよ。気を遣わないで下さいな。」

「はあ!???」

「はい、着替え終わりましたよ。ご苦労様です。」

「…………………。」


ジャンが振り返ると、そこには至極嬉しそうな笑みを浮かべたお馴染みのあんちくしょうの姿があった。

彼女はにこにことしながら「どうです?」と自分が纏っているスカートの裾をちょっとつまみ上げた。

それに伴い、グレイスの脚が膝小僧の辺りまで覗く。………いかにも少女といった様子の、ほっそりとした形である。


スカートは、白い薄手の生地に装飾的な模様が淡いレモン色で施されていた。

先ほどふたりで購入したものである。

暖色の服によって、グレイスの紙のように白い肌がやや健康的に色づいて見える。その心地は妙にジャンを安心させた。


「まあ………。服はいいんじゃねえの。」


ぽつりと呟くと、グレイスは些かムッとしたような表情をする。

そうして幽霊独特と言うべきなのか、流れるような歩みでジャンの側までやってくると、手を伸ばしては彼の肉付きの悪い頬を軽く引っ張った。


「服以外にも褒めるところはあるでしょう?もっとグレイスちゃんかわいいとか色っぽいとか言いなさいな」

「はあ?色っぽい????お前鏡って見たことあるか???」

「なんですって!!?」


グレイスはジャンの胸のあたりを両の拳を握ってぽかりと叩いた。

…………手加減してもらっていることもあるが、全く痛くない。

生きている時はそれなりに力もあったグレイスだが、幽霊でいる期間もそこそこ長くなる。その間に彼女はすっかり貧弱になり、ジャンは反比例するように逞しくなってしまったようであった。


(腕も、脚も……肩も。細く薄くなっちまったよなあ……。)


ジャンは心弱く笑って、グレイスにじゃれさせるままにする。

彼の反応が鈍いことが物足りなくなったのか、グレイスは「もう………」と呟いて、傍のベッドに腰を下ろした。それから随分とわざとらしく拗ねた素振りを見せてくる。


(………………… 。)


やはり、ジャンは笑った。

グレイスは、生を終えてしまってから………そしてここ最近、本当に無邪気に素直になった。まるで子供のように。

今までが大人び過ぎていたのだろうか。いつも、ずっとしっかりとしていた。全く少女らしくなく、可愛くなかった。


(でも今のお前が、本当なんだろうなあ。)


(オレは気が付かなかったよ。)


(本当に長いこと…………)



「ねえ、ジャン…………。」


遂に不貞寝を決め込むかのように横になったグレイスが、そのままでジャンを見上げながら呟いた。

応えて、彼は見下ろした。明るい色をした梔子色の瞳もまた見つめ返してくる。

ベッドには、グレイスの鈍い色をした髪が広がっていた。彼女が少し身じろぐと、それも一緒に僅かながら畝る。


「貴方いくつになるんです………?」

「は………?」


そして唐突なグレイスの質問である。ジャンは少々吃りながらも、「26だよ。ていうか忘れんなよ。」とぶっきらぼうに答えた。


「………別に忘れてなんかいませんよ。」


グレイスはゆっくりと体を起こし、ベッドの上に立ち上がる。ふたりの視線はいつもよりも随分近い位置で交わった。


「でも………あなたが26歳。それなら私はきっと、27歳ですよね。」


グレイスは自分の薄い胸のあたりにそっと掌を置いた。

………同年代の中で、別に発育が悪い方ではなかった。しかし、やはり体つきは少女のものである。死んだ時、16歳の身体のままである。


「私、27歳になったらきっと今よりもずっと大人っぽくて美人だと思うんですよ。私のお母様も若いときとっても綺麗だったんです。きっと……ああいう風に………」


ね、と付け加えて、グレイスはジャンの首の辺りに両の腕を回してくる。

ひんやりとした冷たすぎる彼女の温度が、ジャンの身体を触れたところから満たしていった。

ジャンはグレイスが言いたいことがよく分かっていた。応えるように抱き返してやると、彼女は嬉しそうに頬を寄せてくる。

その素直すぎる愛情表現がとてもいじらしく、そしてなんだか寂しかった。


「あなた、成人してから本当に……どんどん格好良くなります。周りの女の子…いえ、年齢的にもう女性ですね。彼女たちにほっとかれてないでしょう………。私、それにとっても焼きもちを焼いているんですよ。」


彼女もまた、ジャンからの愛情を惜しみなく受け取っていた。グレイスがぎゅっと抱く力を強くする感覚に、彼はゆっくりと瞼を下ろす。



「一緒に大人になりたかった………。あなたに綺麗だねって言って欲しかったんですよ、私。」


ジャンは、小さな声で悪かった、と呟いた。思いの外、その声は掠れてしまっている。

グレイスが、あなたなんにも悪くないんだから謝らないで下さいよ。と小さな声で応えていた。

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